フォトグラファー・米原康正「原宿よ、消費主義に食われるな!」
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——米原さんは、原宿に長く住んでいらっしゃいますね。
「事務所を構えたのが1995年なので、16年になります。ずっと若い子たちの文化を追いかける仕事をしてきたんですが、当時はちょうど裏原(※1)が面白くなり始めた頃だったので、原宿に拠点を定めて状況を見ていきたいなと思ったんです」
——ファッションの発信地としての原宿が、最近はだいぶ変わってきたと思いますが。
「もともと原宿には、ファッションを中心に、先輩たちが築いてきた文化というのがあったんです。それが、95年よりももっと前に、まず竹下通りが観光地化しましたよね。そこからクリエイティブな人たちが逃げてきたのが裏原だったようなところがある。でも、そういう若いクリエイティブな部分を、常に大人たちがよってたかって消費してしまうんです。今の原宿が置かれた状況はまさにそれです。当時、裏原には少ない客でも回っていくような小さなお店がいっぱいあった。そういう小さな店がたくさん集まっているからこそ人も集まった。ところがそれを見た大人たちは、『もっと大きい店をつくればもっと人が集まるだろう』と考えてしまう。そして、家賃が上がって若いクリエイターがいられなくなる。気づくと外資の大型店ばかりで、どこの地方都市だか、どこの国だかわからないような、どこにでもある街並みになりつつある。こういう『地方都市化』が東京中で進んでいて、原宿もその洗礼を受けているんです」
——いつごろからの傾向ですか。
「ここ3~4年が顕著ですね。今はもう最終段階に近いという気すらします。どこの国にでもある、しかも高所得者のためではないショッピングモールに入っているような安いブランドがどんどん進出してきている。安いのが悪いって言っているんじゃないですよ。でも雑誌でセレブが着ているっていうけど、ハリウッドスターが普段そんな安い服着ているわけがないでしょう。それは、あくまでも宣伝だから。買う方は、そういう自分たちの貧しさに気付いていない」
日本のファッションはどこへ行く
——最近の若者は、一般にファッションで個性を主張しないとも言われていますね。
「前の世代の若い子たちが、ファッションの文化的な背景を忘れて、次から次へと移り変わる流行に飛び乗って消費していった。今の世代は、そういう自分を失くした先輩たちの恥ずかしい状況をクールに見ていたと思うんですよ。ああいう風にはなりたくないなと(笑)。そういう文脈で考えると、何も色のついていないプレーンなものを選ぶのはわかる気がする。必ずしもみんなと同じでいようってことではないんじゃないかな。プレーンであることが、大人たちから決めつけられない方法なんです。ファッションに無関心というのが、大人に取り込まれない一番の方法論なのかなって気はするんですよね。こういう無関心は全体的なもので、雑誌が売れないとよく言うけれど、当たり前ですよ。若い世代向けの雑誌だって、40代、50代の編集長や営業の人間が分かるものしか作っていない。僕は常々言っているけど、日本は『オジサン社会』ですよ。現場を知らないオジサンたちが仕切る。だからオジサンたちが分かるようにしか作られない。マスメディアが伝えた時点で実態とは違ったものに作り変えられている。こうして表面的な現象だけが消費されていく。だからユースカルチャーが本質的に根付いていかないんです」
——今のファッション・シーンには、その文化的な本質のなさが反映している?
「本質が何かということを追求しても、それは分かりにくいですよね。だから、みんなが飛びつくように、分かりやすく形だけで入っていく。ブームに乗っかっておけば、とりあえず儲かるんですよ。それでひとつのブームが去ったら、次は何が流行っているかを探す。一貫性がまったくないんです。最近は、僕はもうブランドの展示会にもあまり行かなくなった。どのブランドも区別がつかない。そうなると値段が安いほうにみんなが流れるのは当たり前の話です。
それに加えて日本には、マスメディアを中心に外国文化を礼賛してきた傾向がある。そこに外資がなだれ込んできた状況です。グローバル化だ、TPPだ、というけれど、メディアがそのお膳立てをしてきたんじゃないかと思ってしまう。
ここ最近は、韓国や中国のほうが勢いがある。国を挙げて自分たちの文化の発信に取り組んでいますからね。韓国のポップカルチャーだって、もともとは日本経由で中国に入っていたものが、今や日本を素通りして直接、中国に流れて込んでいる。さらにここ1年くらいは、中国が韓国風のカルチャーを自分たちで作り出しています。
裏原ブームのころは、世界中の人が原宿に集まってきて、みんな日本人のスタイルを真似していた。日本はそんなチャンスに何のプロモーションもせずにいたばかりか、欧米や韓国の文化に飛びついてしまった。日本からアジアに波及していったポップカルチャーというのは、1995年から2005年までのもので止まっています。2006年以降のものはほとんど届いていない。不況で内需が冷え込んでいった時代に、外に向けて何も発信してこなかった。気がつけば今はそこに円高が追い打ちをかけるという壊滅的な状況ですよ」
(※1) ^ 裏原(うらはら)=裏原宿の通称。東京都渋谷区の明治通りと表参道の間の「原宿通り」や「渋谷川遊歩道(キャットストリート)」を中心とする一帯。1995年頃から独立系ブランドの出店が相次ぎ、ストリート・ファッションのメッカとして一躍注目を集めた。
原宿ガールズの逆襲
——そういう原宿が失速状況の中で、米原さんが2011年夏にあえて『HARAJUKU KAWAii!!!! girls』という写真集を出した意味は何でしょう。
「僕は90年代後半に生まれた『ギャル文化』をリアルタイムで追ってきました。もともとギャル文化は若い女の子たちが自分たちのために生み出した新しいカルチャーだったのに、オジサンたちの金儲けになる商品として消費され尽くしてしまった。女の子たちが自分たちの間で個性を競うことで生まれた文化が、メディアに取り上げられて一般化し、消費主義にからめとられて消えていった。その反動として2年くらい前から目立ってきたのが、「読者モデル系」と呼ばれる女の子たちです。単にモノを買うだけでなく、それを自分たちに合うようにカスタマイズして、自分たちだけの新しいスタイルを作り出していく。モデルも読者も交換可能なんだ、という現象を生んでいる。そこには、単なるファッションやブームを超えた、彼女たちの生き方、考え方が表れています。それに、彼女たちが得意なマイナー・チェンジというのは、日本のファッション文化はもちろん、日本文化全体の大きな特色じゃないですか」
——原宿には、まだそういう個性の強い女の子が集まってくる一種のステータスがあるということですね。
「風前の灯かも知れないけれど、原宿にはそういう面が辛うじて残っていると思います。若い世代が個性を発揮することを応援して、それを面白いと思う大人たちが、まだ原宿にはいるからでしょうね。僕を含めたヘンな大人たちが絶滅したわけじゃない(笑)。一般的に今の若い子たちに個性がないと言われるのは、自分を主張する、自分自身を出す、ということの価値を教える大人たちがいなかったせいだと思います。政治の世界でもそうじゃないですか。どれだけ自分の意見を言わないかが政治生命を延ばすやり方になっている。でも若者が本当に求めているのは、自分を打ち出して付き合える人間関係だと思うんです。だからこそ、こういうキャラクターの濃い女の子たちが復活してきたんじゃないかな」
——米原さんは海外への影響力も強いですが、これからの活動でどういう発信をしていきたいですか?
「今まで一貫してやってきたように、『日本の女の子たちがこれだけ面白いんだぞ』ってことを伝えていきたい。新しいものを作り出していく瞬間の彼女たちを、自分の作品を通じて紹介していきたいですね。彼女たちが消費主義にからめとられて、形を変えられていく状況はたくさん見てきたので、そうならないような発信の場所を僕自身が作っていくのも必要だと考えています。今年あたりはまた雑誌を作ろうかなという気もしています。モノを買わせるだけじゃない雑誌があってもいいのかなと。それで採算をどう合わせるかは難しいところですけど(笑)」
撮影=五十嵐 一晴(インタビューカット)
聞き手・文=松本 卓也(ニッポンドットコム多言語部)