人形浄瑠璃、文楽の人形の首(デコ)を作り続けて40年—デコ細工師・甘利洋一郎氏 インタビュー
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人形浄瑠璃、文楽の危機
人形浄瑠璃芝居が始まったのは安土桃山時代から江戸時代初期といわれる。江戸時代には民衆の大きな娯楽となり、阿波(徳島県)では『傾城阿波の鳴門(けいせいあわのなると)』などの名作も数多く生まれた。
もともとは、淡路島(兵庫県)で隆盛した「淡路人形戯」を、阿波の百姓たちが習得して始めたものだとされている。淡路の人形座は江戸中期には40に上ったが、阿波浄瑠璃もそれに劣らぬ活況を呈していた。
特に、阿波では農村舞台が発達し、300棟近くもあったといわれている。しかし、浄瑠璃、文楽ともに大正中期から昭和期にかけて映画、漫才、落語などの登場で、衰退の一途。第2次世界大戦で多くの人形座は解散へと追いやられた。
厳しい環境の中で、伝統芸能を守り続けるデコ細工師・甘利さんの仕事場を訪問し、デコづくりの現状や将来について話を聞いた。
経験の長いデコ職人は3、4人
——木偶(人形の首)は何年ぐらいお作りになっていますか。
甘利洋一郎 40年ぐらいですね。小さい時から、肥後守(ひごのかみ)という折り畳みのナイフを持っていました。その延長で、博多人形を彫ったり、洋酒棚を作ったりしていたんです。職業として始めたのは、近くに古い浄瑠璃の座があり、ちょうど人形師がいなくなったため、5年ぐらい師匠のところで修行しました。阿波木偶作家協会には現在、40人弱の会員がいますが、ほとんどが趣味です。長い経験の人は3、4人でしょうね。
——浄瑠璃と文楽の両方を作られていますが、その違いは。
甘利 口ではちょっと言えないです。文楽の方が浄瑠璃に対して少し大きい。元は一緒だが、文楽は都会育ちで、阿波のほうは田舎育ちのままきているんですね。
浄瑠璃人形の首は、文楽より大きい
——サイズが大きいのには、理由があるのですか。
甘利 文楽は、淡路から人形遣いが持って行ったので、それで「中型」なんです。阿波の方は、農村舞台で夕方から夜間にかけて芝居をやったので、油の明かりやろうそくでは、暗くてよく見えない。遠い所からも見やすいように大きくしたというのが一番ですね。
——これまでにどれくらい作られたのですか。
甘利 首づくりは、天候にも左右されるんです。湿度が60%以上だと塗ってはいけない。ひびが入って割れる。1つ作るのに1か月ですかね。これまでに作ったのは150ぐらいかな。でも「これは」というのは、1つか2つぐらいでしょうね。 文楽は、公演で汚れたりしたら塗り替えたり、薄く上塗りしていきます。阿波浄瑠璃の首は、落としたりぶつけたりしなければずっと塗らなくても、30年、40年は大丈夫です。今でも文楽の首の材料は檜(ひのき)で、尾州の檜、木曽檜ですね。阿波は大きいので、軽くするために桐の木です。うちで使っているのは福島の会津桐です。
「女房頭に表情出すのは難しい」
——顔の難しさは男女で差があるのですか。
甘利 男のほうが楽ですね、彫るのが。女の人は卵みたいなんですよ。つるっとした、女房頭(にょうぼうがしら)の中に、表情を出すのは難しい。作るのは、男性のほうが多いかな。女性の場合は使い回ししたりするので…。 苦労するのは、やはり表情。その役になりきれるかというような。できた人形に、人形遣いの方が“情け”を入れてくれるんです。
——文楽の方はつや消しをしていますね。
甘利 文楽は照明をしているので、ハレーションを起こして汗をかいているように見える。それで、つや消しをしている。逆に、徳島の方はつやが出る仕上げをしている。だから、浄瑠璃のほうが生きたような感じに見える。
首だけなら35万円、髪を結って100万円
——1体、いくらぐらいで作られているのですか。
甘利 この頭(かしら)だけで35万円ぐらいですね。文楽の頭は60万円ぐらいします。実際、この頭は“坊主のまま”で出し、床山さんが、髪を結って80万~100万円ぐらいにはなりますね。
——人形を動かす装置に、クジラのヒゲも使いますね?
甘利 本当はセミクジラがいいんですけれど、今、セミクジラは手に入らない。クジラのヒゲの欠点は天然のタンパク質なので虫が付く。虫が付かなければ30年、40年バネは効いているんですよ。
——細工上手は研ぎ上手っていいますね。
甘利 やはり、ノミですね。ノミは全部手作りです。研ぎが悪かったら切れない。研ぎ師も、京都の亀岡まで砥石を買いに行ったりします。今は天然砥石が少ないですね。大体頭が出来上がってから、最後に耳を彫るんです。
大阪の「くいだおれ」人形も注文
——現代的な顔がいっぱいありますが、これは何ですか。
甘利 「くいだおれ」。大阪の「くいだおれ」を文楽人形にしてくれと注文されて、作りました。かなり時間がかかりました。それを、文楽の〔桐竹〕勘十郎さんが「くいだおれ」の店の前で使って、演じたので文楽劇場(大阪)のロビーに飾ってあるんです。
——仕事の中で記憶に残る忘れられない話はありますか。
甘利 一番印象に残っているものは、大阪の能勢町の人形を作った時ですね。 そのときに、文楽の勘十郎さんがうちに来られ、人形をちょっと持ったんですね。そのときは寒気というかゾクゾクしました。
——生きていると。
甘利 本当に生きていましたね。すごかったですね。やっぱりプロだ、こんな職人になりたいなと思ったぐらいすごかった。あれだけは忘れないですね。
女の怖さを表現する「清姫」の変身
甘利 この間、俳優の近藤正臣さんが来られて、これを見て感動していましたね。「安珍・清姫」の「清姫」ですよ。思いを寄せた僧の安珍に裏切られた少女の清姫が激怒のあまり蛇に変身して日高川を渡るという物語。そのときに、これに変身するんです。怖いですよ、女性は。こういうふうになるんですよ。
——元に戻ると仏様みたいですよね、顔は穏やかで。
甘利 これも、やっぱりかわいい女の子に仕上げておかないと効果がないですね。かわいく彫っておいて、変わるというのが怖い。
東大・慶応研究グループからも注文
——一般の人から、自分の顔を作ってくれというのはありませんか。
甘利 それはないですね。面白い注文といえば、東京大学と慶応義塾大学との合同チームの先生が来られて人形を作ってほしいと。その体の中に、7つのセンサーを埋め込んでくれと。頭(かしら)、首と手、着物とか、全体に7つ。どうしてかといったら、文楽を見ていたら人間以上の表情が出るので、それを測定したいと。表情、体全体や手の動きとか。それを、ロボットに応用するんだそうです。400年前の技術が今の先端技術に影響を与えているというのはすごい夢がありますよ。
——外国人の方に、見てほしいのはどんなところですか。
甘利 外国人はすごく興味を持ってくれます。人形劇としても世界一でしょうね。こういう繊細な動きをする人形は他にないです。外国の人形劇というのは子ども相手が多いですから。十郎兵衛屋敷で「傾城阿波の鳴門」をやっていたら、毎回泣く人がいるんですよね。見ているうちに余計に感情が入ってくる。このことを感じてもらいたいですね。
(インタビューは、nippon.com編集部が徳島県徳島市内の甘利氏の細工場で行った。)
取材協力=一般財団法人徳島県観光協会徳島県立阿波十郎兵衛屋敷
写真撮影=中野 晴生
動画編集=大谷 清英
文=原野 城治