水村 美苗「日本語は亡びるのか?」
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非英語圏の国語を護る
——水村さんの長編評論『日本語が亡びるとき』は、タイトルが刺激的であることや、現在の教育界への提言として、(1)英語教育では中途半端な国民総バイリンガルを求めず、少数精鋭の二重言語者を育てることに徹するべきだ、(2)国語教育では作文を書かせるより、日本近代文学をしっかり読み継がせることに主眼を置くべきだ、という2点を力説されています。国語としての日本語に対する著者の愛情、また日本語の現状への強い危機感が読者に感銘を与えたのではないかと思います。
「この本がこれだけの広がりをもったということは、正直に言って予想を超えていました。今回の場合、ふつうのメディアを通した反応は概ね好意的でしたが、ネットの世界では強い反発も出たようで、あるブログが炎上するという騒ぎもあったそうです。『現在の日本文学にも見るべき作品があるにもかかわらず、それが無視されている』といったことが論点になったと聞いています。私は、普遍語としての英語への一極集中が強まる中で、日本語という非英語圏の国語をいかにして護るか、護るべきか、ということを訴えたかったわけです」
——執筆を促した具体的なきっかけとは何だったのでしょうか?
「私は父の仕事の関係で12歳の時にアメリカへ渡って20年間英語圏で暮らし、そのあと日本で暮らし始めましたが、次第に、二つの言語世界で流通する情報の質量に決定的な差が生まれてきたことを、どんどんと強く感じるようになっていました。例えばアメリカの大学院において外国人の占める割合は拡大する一方です。まさに世界中の知的エリートがアメリカに吸収されてきている。そして、このすうせいを一段と加速しているのがインターネットの普及です。インターネットを使って、英語の世界では途方もない知の<大図書館>が構築されようとしています。それによって、凄まじい数の人が、たとえ英語圏に住んでいなくとも、英語を読み、英語の<大図書館>に出入りするようになっています。英語はおそらく人類の歴史が始まって以来の大きな普遍語となるでしょう。そして、その流れを傍観しているだけでは、英語と、ほかの言葉との溝は自然に深まっていかざるをえない。何であれ知的な活動に携わろうという人は自然に英語の世界に引き込まれていき、その流れを押しとどめることはもはや不可能だからです。つまり、この先、英語以外の言葉は徐々に生活に使われる現地語になりさがってしまう可能性が生まれてきたということです。英語以外のすべての言葉は、今、岐路に立たされていると思います」
戦後教育の弊害が露出
——日本語そのものの現状についてはどう感じておられますか?
「私はその国の文化度をはかるひとつの尺度に、優れた言葉で書かれた著作がどれほど流通しているかにあると思っています。本が書店の本棚に置かれている期間(シェルフ・ライフ)が日本では極端に短くなってしまったので、ベストセラーにでもならない限りすぐに売れなくなり、絶版になってします。同時に、幼稚な内容で、安易に出版される本が多くなっています。アメリカの民主教育を曲解し、“分かりやすさ”を最重視してきた戦後教育の弊害が、今、大きく出てきていると思います。戦後の日本語の教育は、時代を経るうちに、授業時間も減らし、日本近代文学の古典も読ませないようにし、生徒自身が書けるような安易な文章を読ませるという方向に動いていってしまいました。若いうちからできるだけ骨のある密度の高い文章に触れておく必要があります。ところが、日本の国語教育の結果、今の日本人は、本からは安易なものしか期待しなくなり、百年前に書かれた近代文学でさえほとんど流通しなくなりました
ただ、外国の方には「日本語が滅びようとしている」などと言っても、なかなか理解してもらえません。高度教育がこれほど徹底しつつもここまで英語の苦手な国民ばかりいる国も珍しいので、日本語なんか滅びるはずがないと笑われるのが落ちです。この問題は、例えば、アメリカ人でありながら日本語で書いているリービ英雄さんのような人、つまり、日本近代文学の原典を自在に読みこなせるくらいの日本語力を備えた人でないと、なかなか感覚的には分かってもらえません。しかし、丁寧に説明すると理論的には分かってもらえる。非英語圏のすべての国語に共通した問題だということも理解してもらえます」
日本語は先行モデル
——書き言葉としての日本語の成立過程がこの本の中では丁寧に辿られています。歴史を遡ると、日本が中国という高度な文明を持った「中華思想」の国の傍らに位置しながらも、地理的な幸運に恵まれたことで属国化を免れ、漢文を翻訳すると同時に仮名を発明して、独自の優れた文学を育てることができた。明治の国民国家成立と並行しながら、日本語という国語を確立できた。この過程が明快に論じられています。
「もうひとつ、江戸時代の資本主義の発達という側面も見逃せません。当時、印刷技術があっただけではなく、江戸幕府と地方の諸藩、そして藩同士の交易が活発に行われ、日本では非西洋の国では例外的に資本主義が発達していました。それは必然的に識字率の上昇にもつながり、明治維新を迎えた時には、世界一とも言われる識字率の高さを誇るまでになっていました。それがあれだけ早い国語の整備を可能にした背景でした。
ところが、日本の人たちは日本語があるのを当然のこととし、日本語という言葉が、それが辿ってきた固有の歴史の産物だということを理解していません。だから、非西洋世界の中で国語がこれほど早々と成立したことのありがたさ、学問もできれば、近代文学も書ける国語がこれほど早々と成立したことのありがたさを、十分に受け止めているとは思えません。僭越かも知れませんが、日本は、これから非西洋語の国語を作ろうと苦闘している国々に対してはひとつの先行モデルを提供できるでしょうし、国語を維持しようと苦闘している国々とは連帯感を持つこともできると思うのです」
日本近代文学は「奇跡」
——この本の中では言語の機能によって3つのレベルが指摘されています。ひとつは「現地語」。その土地の人々の言葉で、基本は話し言葉。それから「普遍語」。これは普遍的な叡智を伝える言葉で、古くは聖書を読むためのラテン語がそうであった。ある時代のフランス語もそうだったが、いまや英語が圧倒的な普遍語として覇権を強めている。そしてその中間に位置する「国語」。これは現地語と普遍語を架橋する二重言語者の働きがあって、話し言葉でしかなかった現地語が書き言葉として整備されて生まれたものである。大雑把に要約するとそういう仕分けになるかと思います。そして水村さんの見方によれば、日本語が優れた国語として整備されたからこそ、日本近代文学の傑作の数々が誕生したというわけですね。
「国語が成立する時は必ず優れた作家が登場しています。平安時代、ひらがな文の発達に合わせて優れた女流作家が輩出されましたし、明治期もそうでした。明治維新があった頃、今、私たちが知っている日本語は存在していませんでした。そして西洋の植民地化を逃れ、日本が独立を維持できたことによって、宗主国の西洋の言葉が日本の「普遍語」になり、日本の言葉が日本の「現地語」になる運命を免れることができました。それによって、福沢諭吉をはじめとする多くの二重言語者たちによる「翻訳」を通じ、日本の言葉は、近代国家の言葉にふさわしい言葉、同時代の世界の人々と同じことを思考できる言葉へと変身していきました。世界性を備えた国語へと成長を遂げたのです。それだけではありません。国語──日本人の魂の表現そのものに思える言葉に成長を遂げたことによって、夏目漱石などの日本近代文学の傑作が次々と書かれていったわけです。百年以上も前に日本近代文学がこの世に存在するようになったことは「奇跡」だと思います」
——水村さんが最も推奨する漱石は翻訳不能だと聞きます。
「本当に難しい。漱石の小説には当時の日本の現実が匂い立つように書き込まれていると同時に、日本語を通してのみ見える真実が散りばめられています。世界の中の日本が何かという自問にも満ちています。それらの文章は、時を隔ててもなお私たち日本語を読める者の心を打ちます。しかし、そういう文章に限って、まさに翻訳不可能なのです。漱石が翻訳されて外国で評価されるというのはほとんど無理だと思います」
——リービ英雄さんや、最近は楊逸さんが芥川賞を受賞するなど、日本語で小説を書く外国人作家が現われてきています。この傾向についてはどうお考えですか。
「日本語という国語をそれだけ面白いと思って参加して下さっているわけで、それ自体は大歓迎すべき話です。ただ、これは、なかなか理解しにくいことですが、日本語というのは、書きやすい言葉なのですね。コンピューターで漢字変換ができるようになったので、ますますそうです。話し言葉のままの短い文章が並んでも、それなりに面白く読めます。そういう意味で、どういう外国人の書き手に加わってもらいたいかといえば、できれば自国語でも多くのすぐれた文学を読み、かつ日本文学についても研鑽を積んできた方にできるだけ参加していただきたいと思います」
マイナー語に流れる日本語
——水村さんは12歳から日本語の世界を離れて、英語圏で生活してこられました。ところが、最終的に日本語の世界に戻って小説を書き始めました。決定的な理由は何でしょうか?
「小さい頃からひたすら読んできたのが日本近代文学でした。その言葉で書きたい、日本語の世界に参加したいという憧れがありました。
皮肉なことに、最初の小説である『続明暗』を書き終えたあたりから、日本語は世界のマイナー言語であるという認識が深まり、深まるにつれて、自分が英語の書き手とならなかったのを後悔するようになりました。ただ、世界を見回せば、ほとんどの人間は、英語を母語にも第一言語にもしていないわけです。ですから、自分は日本語側の作家として生きていこうと新たに決心しました。いつも複雑な思いではありますが……。
冒頭の話に戻りますけれども、この先、優秀な人たちが英語の世界に引き寄せられていくという傾向はますます強まると思います。どの国に住んでいようと、読み書きは英語で行うという、言語的な頭脳流出が増えてゆくでしょう。そのような時代に入ってから百年たつうち、頭脳流出をいったんした人が日本語に帰ってきたいと思うかどうか、あるいは、日本語が過去百年の水準で流通し続けるかどうか、私は正直に言って、楽観はしていません。
ともかく、まともな読み手を育てる教育が必要です。漱石はイギリスに滞在している時に、日本には正岡子規のような人物がいる、つまり自分の書くものを100%理解してくれる知性がちゃんといるということを信じて、日本語の世界に帰ってくることができました。
日本人が幸運なのは、古典といっても、なにも『源氏物語』まで戻る必要がないということです。『源氏』のような古典があるのはもちろん喜ばしいことですが、日本語は明治を境に大きく変化を遂げたので、『源氏』は専門家にしかよく読めません。でも、日本には近代文学がある。明治、大正、昭和初期に書かれた作品は言葉の上でも、世界観の上でも、私たちと地続きのところにある古典で、わずかの努力でかんたんに読めます。そのような古典を、西洋ではない国がもっているというのは、本当に幸運なことなのです」
日本の現実を日本語で表現
——「英語圏出身でない作家として生きる決意」とは何を指すのでしょうか。
「私には日本人が今、本当に日本を見ているのだろうかという疑問が常にあります。戦後社会の流れが“過去の日本の否定”という方向に傾いたせいだと思いますが、それにしても、今の日本人の頭の中は、まるでアメリカの“属国”になってしまっているような感じがします。小説もまるでアメリカの小説の枠組みそのままに日本の表層をなぞっているのではないか、と。アメリカと日本──あまりに違いすぎるこの2国の非対称性が、どうも日本人には見えていないのではないでしょうか。ですから、これからの日本文学がやらなくてはいけないことは、その非対称性を正面に見据えて、見えているようで見えていない現実をきちんと捉えようとすることだと思います。それともうひとつは、英語の提示する世界に対して、それとは異なるローカルな視点をしっかり提示することも重要です。たとえば、小津安二郎の映画が良い例です。あれは外国人に評価されることを前提にしていません。けれども、小津の作品には日本人の生活ぶりが鮮やかに描き出されています。『ああ、こういう世界もあるんだ』と観客をして思わせる。だから面白いと。映画と文学は同列に論じられませんが、要は日本の現実を日本語で表現することが大事だと思うのです。とにかく大切なのは、グローバリズムの流れに目をくらまされるのではなく、日本語で日本人の生活をリアルに捉えること。これこそが日本人の作家の使命ではないかと思います。それが非英語圏にありながら、早々と日本語という国語を手にした私たちの使命ではないかと思っています」
インタビュー・構成=河野 通和(元『中央公論』編集長)
[2009年1月に実施したインタビューをもとに再構成]