「戦争に慣れることは不可能」:ウクライナ・ドニプロ市長インタビュー

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ロシア軍とウクライナ軍による激しい戦闘が続くウクライナ南東部。前線から約100キロの100万人都市・ドニプロ市には、周辺の危険地域から19万人もの避難者が押し寄せ、地域住民とともに生活をしている。ロシアからのミサイル着弾におびえながら、人々は日々をどう過ごし、何を願っているのか。4月に大阪市との連携協定のために来日したドニプロ市のボリス・フィラトフ市長にオンラインで現状を聞いた。(聞き手:ニッポンドットコム編集部) 

ボリス・フィラトフ Boris FILATOV

ウクライナの弁護士、実業家、ジャーナリスト、政治家。2015年11月よりドニプロ市長。日本の歴史や文化に深い関心を持ち、03年から根付を収集。11年から14年まで国際根付コレクター協会のCIS諸国支部長を務め、11年秋に高円宮妃殿下に拝謁。

国内2位の避難者の街 男性は人手不足

―ロシアとの戦闘の前線に近い、ドニプロの街の現状を教えてください。

ドニプロは、ドネツクやへルソンなどロシアとの戦闘が続く地域やロシアに占領された地域に近い内陸の街で、約19万人が避難して来ています。避難者数は首都キーウに次ぐ国内第2位です。軍事作戦の犠牲者や負傷兵も多く運ばれてきます。もともと重工業と化学工業が盛んな国内第3の都市ですが、2014年にロシアによるクリミア侵略が始まると、キーウと前線の間にある最大の物流中心都市としての役割が強まりました。22年2月の侵攻以降は、軍事、医療、生活などにおける戦略拠点になっています。

ウクライナ

―避難者19万人とは、中規模以上の都市の人口を急に受け入れた計算になります。

絶えず避難者が来るため、医療サービスや情報伝達などの面で、地域の負担が重くなっています。市当局は、そういった中でも全ての都市機能を従来通りに動かすよう努力しています。軍隊に入る男性が増えたことで、企業は人手不足になっています。公共事業や運輸部門など、伝統的に男性が働いてきた職場では、女性の労働力で補完する必要があります。

危険避け地下鉄構内で催し

―戦争は2年半近くも続いています。住民に娯楽はあるのでしょうか。

コンサートなど大規模な催しは禁止されています。砲撃やテロ行為から身を守るためです。小規模なコンサートやパフォーマンス、公共イベントは地下鉄駅構内で開かれます。地下鉄駅は改装し、ステージを設置しています。週末には、住民が公園などに出掛けることもできます。レストランやカフェは営業しており、人々は外食やおしゃべりをして楽しんでいます。

ドニプロ市の文化施設「シンニック」では、戦争中にもかかわらず、ダンスサークルなどが活動を続けている=2023年4月29日(写真提供:ドニプロ市)
ドニプロ市の文化施設「シンニック」では、戦争中にもかかわらず、ダンスサークルなどが活動を続けている=2023年4月29日(写真提供:ドニプロ市)

―住民はある程度戦争に慣れてしまった、ということですか。

戦争に慣れることは不可能です。そして、戦争を経験したことのない人に、その感覚を理解することはできないでしょう。確かに、市街地の様子は戦争前と比べ、大きくは変わりません。外国人ジャーナリストなどがドニプロに来て、戒厳令下にある人々の生活を見ると、「従来の平和な生活と区別がつかない」「高齢者が公園でくつろいだり、母親がベビーカーや子供を連れて歩いたりしている」などと描写します。しかし、私はこれを「幻想」と断言します。カフェや病院、公共交通機関がいつも通りに稼働していても、住民は空襲におびえています。実際、市内では数日に1回ミサイルが着弾し、2週間に1回ほどロシアからの砲撃があるのです。この恐怖は、体験し、目で見ないと分からない。戦争は戦争です。戦争は私たちの社会に数十年たっても治らない傷跡を残しています。

2023年1月14日、ロシア軍の航空巡航ミサイルが、ドニプロ市内の団地に着弾した。集合住宅が破壊され、子供6人を含む46人が死亡。80人が負傷した(写真提供:ドニプロ市)
2023年1月14日、ロシア軍の航空巡航ミサイルが、ドニプロ市内の団地に着弾した。集合住宅が破壊され、子供6人を含む46人が死亡。80人が負傷した(写真提供:ドニプロ市)

2023年8月、ドニプロの地下鉄駅構内ではロシア侵攻後として初の「青年フォーラム」が開かれ、250人が参加した。市内だけではなく、占領地域や解放地域からも参加があった (写真提供:ドニプロ市)
2023年8月、ドニプロの地下鉄駅構内ではロシア侵攻後として初の「青年フォーラム」が開かれ、250人が参加した。市内だけではなく、占領地域や解放地域からも参加があった (写真提供:ドニプロ市)

―子どもたちは学校生活をどのように過ごしていますか。

登校とオンライン授業の2通りの方法があります。防空壕(ごう)がある学校に近い地域の子どもたちは登校して授業を受けます。一方、防空壕が無い学校のエリアの子どもは、自宅でオンライン授業を受けるか、通学バスなどで防空壕がある学校に行きます。いずれにしても、子どもたちは空襲時に身を守るためすぐに所定の場所に避難することになっています。

ドニプロ川のヨットクラブでは2023年7月、五輪と同じルールでヨット競技大会が開かれた。ヨットクラブの水域はロシアによる全面侵攻後、封鎖されていた (写真提供:ドニプロ市)
ドニプロ川のヨットクラブでは2023年7月、五輪と同じルールでヨット競技大会が開かれた。ヨットクラブの水域はロシアによる全面侵攻後、封鎖されていた (写真提供:ドニプロ市)

移民危機狙うロシア 戦争犯罪だ

―ロシアはミサイルで3月にドニプロの水力発電所を攻撃しました。ロシアによるウクライナ国内の発電施設への攻撃は、戦争が始まって以来、180回にも及んでいます。影響は大きいですか。

ウクライナは全土で電力不足に陥っており、計画停電を実施しています。次の冬の暖房は既に大きな課題です。現在、冬に備えてすべての市長や地方自治組織、政府が、暖房機器の導入を急ぐなど冬を乗り切る準備をしています。残された時間は多くありません。ロシアは電力施設などへの攻撃を続けることで、ウクライナという国を完全に崩壊させ、ウクライナの都市の人口を流出させ、ヨーロッパ全体に移民危機を引き起こすつもりでしょう。これは戦争犯罪です。

―ドニプロ市の住民はどのように戦争に向き合っていますか。

私たちは道徳的にも心理的にもドニプロから一歩も退かず固く守ろうと心に決めています。ウクライナ軍は、ロシア国内のカザフスタンとの国境にあるオレンブルク州オルスクでウクライナの無人機がロシアの早期警戒レーダーを攻撃したと発表しました。ウクライナによる遠隔地での攻撃能力を証明したものです。これに対し、ロシアは「越えてはならない一線がある」と警告声明を出しました。この声明について、私たちは単なる脅迫と心理的な揺さぶりだと受け止め、平常心を保つようにしています。戦争中、人は気持ちの揺れが大きくなります。だからこそ私たちはお互いに支え合い、肩を組むのです。これは独立のためだけでなく、国の存続そのものを賭けた戦いなのです。

ウクライナの独立記念日の2023年8月24日には、ドニプロ市内の「記憶の小路」に住民らが集まり、祖国のために命をささげた人々に黙とうした。手前は花を手向ける市長(写真提供:ドニプロ市)
ウクライナの独立記念日の2023年8月24日には、ドニプロ市内の「記憶の小路」に住民らが集まり、祖国のために命をささげた人々に黙とうした。手前は花を手向ける市長(写真提供:ドニプロ市)

日本の支援に感謝

―4月に大阪市を訪問し、復興支援に関する確認書を結びましたね。

大阪市とは戦争開始後の2022年7月に市民交流や経済協力などに関する「友好協力関係構築に関する覚書」を締結しました。国内の重要拠点都市としての共通性などを考慮したものです。大阪市からは救急車などを提供してもらいました。今回は戦争終了後にドニプロ市の復興に大阪市が協力するという追加の合意が目的でした。日本側からは、これまでも国際協力機構(JICA)が、ロシアの攻撃によって生じたがれきを処理するため、ダンプトラック、クレーンなど多くの重機をドニプロ市に提供してくれました。これらは、精神的な面も含め、ドニプロ市民とウクライナ全国民に対するとても強い応援のメッセージであり、感謝しています。

―市長は日本とウクライナの架け橋の役割も担ってきました。

そもそも東欧では、武道やアニメなどの日本文化に対する興味を持つ人は少なくありません。私は子供の頃から柔道や空手など日本の武道に真剣に取り組んできました。日本史を勉強し、禅の思想にも興味を持ち、根付など日本美術の収集もしています。14~15年には国会議員として日本との議員友好団体の代表を務め、15年の市長就任後は、市内で日本や日本文化を普及させるプロジェクトを支援してきました。当時のウクライナ駐在の日本大使、角茂樹さんとも協力し、市内での桜の並木づくりや日本の芸術や文化に関わるフェスティバルも実施しました。私には日本愛があり、これからも持ち続けていきたいと思っています。

民主主義国家全体の支援を

―日本に願うことは。

日本など民主主義国家全体からの財政面、外交面での積極的な支援を期待しています。ウクライナでの戦争が始まって以来、世界は変わりました。ロシアなどの「悪の枢軸」のネットワークが形成されたのです。民主主義国家全体の努力によってのみ、このネットワークを打ち破ることができます。このプロセスから距離を置くことはできないことを、日本でも理解してもらいたいのです。

バナー写真:オンライン取材に応えるウクライナ・ドニプロ市のボリス・フィラトフ市長(撮影:ニッポンドットコム編集部)

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