能登半島地震の被災地で、学生ボランティアが探す“自分ができること”(後編):若い力を生かした支援

防災

復旧作業が続く能登半島地震の被災地・石川県珠洲市で、日本財団ボランティアセンターが派遣した学生ボランティアの活動に密着。被災家屋の保全作業や、避難所での足湯の提供で発揮した“若者の力”をリポートする。その後編。

前編から続く)

“能登半島では全然人手が足りていない”

阪神淡路大震災や東日本大震災などを経て、日本では防災意識や寄付文化と共に、ボランティア活動も浸透してきた。その半面、下調べをせずに現地に向かった人が逆に足手まといになったり、ボランティアが余ってしまったりすることもあって、「素人は被災地に行くな」といった風潮も生まれている。

さらに「専門スキルを持たない学生などは役にも立たないのでは?」との声もあるが、川島さんは「誰もが初心者からのスタートだし、被災地では特別なスキルがなくても、人手が必要な仕事も多い。ちゃんとアンテナを張り、日本財団ボラセンのように現地のニーズを把握している団体の募集を通じて、現地に来て、力を貸してほしい」と言う。

宿泊させてもらった蛸島町の民宿「むろや」から、活動に向かう学生とボラセンのスタッフ
宿泊させてもらった蛸島町の民宿「むろや」から、活動に向かう学生とボラセンのスタッフ

蛸島町の西に隣接する市街地・正院地区も、特に被害が大きかった地域の一つ
蛸島町の西に隣接する市街地・正院地区も、特に被害が大きかった地域の一つ

被災地には、学生のような若いボランティアの力が必要な仕事もある。その代表が、避難所での足湯だ。

血行が良くなる足湯は、風邪の予防や睡眠の促進に加え、避難所生活に多いエコノミー症候群対策などの効能がある。入浴環境を含め、避難所での生活は快適とはいえず、冬が厳しい能登では特に喜ばれた。今回訪れた正院小学校でも「今晩はよく眠れそう」「若い人が来ると避難所が明るくなる」といった声が多く、仮設に移った人も続々と集まって来た。

足湯マッサージを受けた浦秀一市議会議員(左)は「地割れしたデコボコ道を3カ月近く歩き回っているから、足がボロボロ。今日は足を温めたから、ぐっすり眠れるよ」と笑顔で語った
足湯を受けた浦秀一市議会議員(左)は「地割れしたデコボコ道を3カ月近く歩き回っているから、足がボロボロ。今日は足を温めたから、ぐっすり眠れるよ」と笑顔で語った

避難所となっている正院小学校。当初は車中泊を含めて500人以上が避難したが、取材時は運動場に仮設住宅ができ、校舎内で生活するのは40人弱だった
避難所となっている正院小学校。当初は車中泊を含めて500人以上が避難したが、取材時には運動場に仮設住宅ができ、校舎内で生活するのは40人弱だった

明るく元気な若者にしかできないこと

実は足湯には、別の効用もある。

先行きが見通せず不安を抱えていても、遠慮して声を上げられない被災者も少なくない。温かい湯に足を浸し、元気のいい若者とおしゃべりするうちに、自然とリラックスして本音がポロリとこぼれ出る。それが行政や支援団体の専門家では拾いきれない、被災者ニーズの把握につながる。学生たちが集めたつぶやきは、ボラセンのスタッフを通じて関係機関に共有されることで、細やかな支援が可能になるのだ。

順番を待つ避難住民との会話も重要な仕事だ
順番を待つ避難住民との会話も重要な仕事

70代の女性は「高校を卒業すると、若い人は珠洲から離れてしまう。正月休みに来るはずだった孫たちとも震災で会えなかったから、大学生とおしゃべりできて楽しかった」と晴れ晴れとした表情。

女子学生は宿舎に戻ってから「つらかったことも話してもらい、距離が縮まった気がする。私の話も楽しそうに聞いてくれた」と振り返る。男子学生は「初めて会う人と、手を握り合ってコミュニケーションを取るのは貴重な体験。僕の心も温まった」と目を輝かせていた。

第三者の学生相手だと話が弾む。その体験談に真剣に耳を傾ける
第三者の学生相手だと話が弾む。その体験談に真剣に耳を傾ける

最初は誰もが初心者、そこから災害支援のプロが生まれる

最後の現場作業は狼煙町の高台の住宅で、傾いた納屋から荷物の運び出し。家主の女性は「川島さんからは、危ないから自分で荷物を出さないようにと言われていたので、学生さんが来てくれるのを待っていたのよ」と歓迎してくれた。

納屋の修復には時間が掛かるので、運び出した荷物はできるだけ処分せねばならない。でも、災害ごみは仮置き場に集められるため、「普段と分別の仕方が違うから覚えられないし、重いものを仕分けするのも大変。災害の専門家や若い人が来てくれて本当にありがたい」と感謝していた。

納屋が崩れないように川島さんたちが応急処置し、学生たちが中の荷物を運び出す
納屋が崩れないように川島さんたちが応急処置し、学生たちが中の荷物を運び出す

「これは必要なものですか?」と、一つ一つ確認しながら仕分けしていた
「これは必要なものですか?」と、一つ一つ確認しながら仕分けしていた

学生たちは家主さんに処分するかを確認しながら、手際よく荷物を運び出す。とりわけ大物だったのが、年代物の重厚なオーディオセットだ。

長年使っていなかったようだが、それを見付けた70代のご主人がうれしそうにレコードプレーヤーをいじり始め、「16~17歳の時、半年分の給料を貯めて買ったもの。やっぱり捨てられねえ」と、別の建物に移してほしいと依頼。その気持ちに応えるように、女子学生が3人がかりで丁寧に運んでいた。

初めてレコードプレーヤーを見る学生たちに、使い方を教えるご主人。こうした触れ合いも、貴重な時間だ
初めてレコードプレーヤーを見る学生たちに、使い方を教えるご主人。こうした触れ合いも、貴重な時間だ

大切なオーディオを運ぶ。同じサイズの重厚なスピーカーも2つあった
大切なオーディオを運ぶ。同じサイズのスピーカーも2つあったので、重労働だった

作業を見届けた川島さんは「初めての被災地に戸惑っていた子も、帰る頃には自分なりに率先して行動するようになる。一度、経験した子には、いつかまた現場に戻ってきてもらいたい」と語る。

東日本大震災の際に活躍した学生ボランティアは、復興が進んだこともあり、就職後は被災地での活動から遠ざかる場合が多かった。しかし、能登半島地震が発生すると、現地入りし、当時の経験を生かしてくれている人もいるという。「日本は災害大国。能登で経験したことが、未来の被災地で生きるはず」と力説する。

川島さん自身も最初から災害支援のプロだったわけではない。何度か足を運ぶうちに、現場で頼りにされるようになった。「自分ができることをしているだけなのに、被災者が『ありがたい』と喜んでくれる。それこそ“有り難い”ことであり、活動の原動力になっている」という。「少しでも被災地の役にたちたいと思う人には、ぜひ現場に来てほしい」と呼び掛け続けるのは、その中から後継者が育ってくれることを願っているからだ。

当初は作業で手一杯だったが、住民と会話を交わす余裕が出て来た
当初は作業で手一杯だったが、住民と会話を交わす余裕が出て来た

作業を終え、家主さんや川島さん(右から2人目)らと記念撮影
作業を終え、家主さんや川島さん(右から2人目)らと記念撮影

“ボランティアは気持ちだと思う”

宿泊最後の夜は、お世話になった民宿「むろや」のご主人と女将さんに足湯。その頃には「足湯をしながら肩も揉もう」「それは自分が担当する」といったように、各々が自主的に動いていた。

足湯の間、ご主人は学生との別れを惜しんで涙を流す。女将さんが「珠洲が良くなったら、またおいでね」と声を掛けると、第6陣メンバーは「必ず戻ってきます」とうなずいていた。

足湯の準備もてきぱきとこなす
足湯の準備もてきぱきとこなす

チームワークもバッチリだった
チームワークもバッチリだった

夜の振り返りの時間には、「愛読書やアルバム、賞状など、個人の思い出が詰まったものに触れるのには戸惑った」「家ごとにカラーやストーリーがあるのを感じながら、精一杯できることをした」「ボランティアって、やっぱり気持ちだと思う!」と、いつまでも話は尽きなかった。

1週間足らずの活動でも、“自分にできること”や“してあげたいこと”をとことん考え、行動に移すことで、初心者は経験者に、リピーターはリーダーへとステップアップし、一人の人間としても着実に成長していた。

各人の振り返りに耳を傾ける学生たちとボラサポスタッフ
各人の振り返りに耳を傾ける学生たちと日本財団ボラセンのスタッフ

能登半島でのボランティア経験が、社会に出てからも、次の被災地でも生かされるだろう
能登半島でのボランティア経験が、社会に出てからも、次の被災地でも生かされるだろう

撮影=コデラ ケイ

バナー:避難所で足湯する学生ボランティアたち

災害 防災 防災政策・災害対策 珠洲市 ボランティア 日本財団 被災地 避難所 能登半島 学生 能登半島地震