台湾の新鋭デザイナー陳千慈さん:最新のファッションに取り入れて日本の伝統織物を世界に発信

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ミラノやパリで得た経験を日本に持ち込んだファッションデザイナーの陳千慈さん。日本の伝統的な和服の生地と独自技法を組み合わせて、東京でファッション・プロジェクト「ARLNATA(アルルナータ)」を設立した。既成概念にとらわれず、欧州の最先端のファッションと日本の伝統工芸の融合を実践し、新しい生活美学を目指している。

長い黒髪とモデルのような美しい容姿を持つ陳千慈さんは、現在、ARLNATAのチーフデザイナーを務めている。2018年に9年間にわたる欧州生活を終え、日本人の夫・寺西俊輔さんと共に日本に戻ってARLNATAを設立。消費者の和服に対する従来のイメージを覆し、現代ファッションのスタイルと日本の伝統産業を融合させた、言わば和洋折衷の新潮流を展開している。

ファッション業界との縁

陳さんの父親は服飾メーカーの管理職、叔母もファッション関連のバイヤーだった。幼い頃から多くの生地に触れ、父の会社で作った美しい服に袖を通す機会も多かったという。そんな経験から自然とファッションに興味を持ち、将来はファッション業界に進みたいという夢を抱くようになった。

高校入学後は、学校の授業の他に、専門的なトレーニングも受けるなど努力を重ね、陳さんはファッションデザイナー養成で台湾トップクラスの実践大学へ進学。大学2年のとき、ファッションマネジメント学科からファッションデザイン学科に転科し、2005年から本格的にデザイナーへの道を進み始めた。独自の感性とデザインへのこだわりが評価され、在学中の07年には「台湾テキスタイルフェデレーション(紡拓会)」の新人賞を受賞した。

台湾から欧州のファッション業界へ

大学卒業後、台湾のファッションブランド「CHARINYEH(葉珈伶)」に入社。同社で経験を積むうちに、欧州のファッション業界に進みたいという思いに目覚め、半年後には退職を決意。陳さんが愛してやまないブランド「ドルチェ&ガッバーナ」生誕の地ミラノで、イタリアのアートの名門校「イスティトゥート マランゴーニ」のファッションコースに進学、修士号を取得した。

ミラノでの学業がひと段落した後、友人の勧めでカシミヤを中心に取り扱うイタリアのニットウェアブランド「Saverio Palatella(サヴェリオパラテッラ)」に入社し、ニットウェアのデザイナーを担当した。2年後、縁あってメンズテーラーリングのエルメネジルド・ゼニアグループ傘下の女性ブランド「AGNONA(アニオナ)」に入社、欧州のファッションシーンで存在感を高めるイタリア人デザイナー、ステファノ・ピラーティさんの専属アシスタントを務めた。

そして16年、夫の寺西さんが「エルメス」でウィメンズウェア・デザイナーとして働くことになった際、一緒にパリに移住し、陳さんはフランスの老舗ブランド「カルヴェン」のウィメンズウェア・デザイナーを担当。その後、台湾のファッションブランド「シャッツィ・チェン(SHIATZY CHEN / 夏姿陳)」パリ事務所でウィメンズ部門のシニアデザイナーとして活躍した。

18年シャッツィ・チェン春夏コレクションショー (パリのパレ・ド・トーキョーにて)
18年シャッツィ・チェン春夏コレクションショー (パリのパレ・ド・トーキョーにて)

18年シャッツィ・チェン春夏コレクションショーのバックステージ (パリのパレ・ド・トーキョーにて)
18年シャッツィ・チェン春夏コレクションショーのバックステージ (パリのパレ・ド・トーキョーにて)

日本の伝統的な繊維産業との出会い

欧州で順調に活躍していた陳さん・寺西さん夫妻だが2016年に転機が訪れる。パリで開催された服地見本市「プルミエール・ビジョン」で日本の生地メーカー「民谷螺鈿(たみやらでん)」の社長・民谷共路さんと「白山工房」の社長・西山博之さんと出会い、陳さん夫婦の人生に劇的な変化をもたらしたのだ。

民谷螺鈿は京都の丹後地方にある螺鈿織の織元だ。螺鈿織とは、同社の創業者・民谷勝一さんが日本の伝統的な織技法「引箔(ひきはく)」を応用することで作り上げた生地で、緯糸(ぬきいと / 横糸の意)に螺鈿が用いられている。螺鈿はオパールのような神秘的な輝きを放つことから、天然の宝石とも呼ばれる素材だ。螺鈿織の制作方法は特殊で、高度な専門技術を必要とする。過去には欧州の大手ブランドと協力して、パリ・オートコレクションのための衣装を制作したこともある。

螺鈿を図案にはめ込む。全て手作業だ
螺鈿を図案にはめ込む。全て手作業だ

民谷螺鈿の螺鈿織の制作過程
民谷螺鈿の螺鈿織の制作過程

螺鈿緯糸と他の材質の糸で織った布で製作されたカフ
螺鈿緯糸と他の材質の糸で織った布で製作されたカフ

ARLNATAによる制作過程の紹介動画

白山工房(石川県白山市)は、日本三大紬に数えられ、国の伝統工芸品に指定される牛首紬(うしくびつむぎ)の織元。旧地名の牛首村にちなむ名前で、最大の特徴は、二匹の蚕が一緒に作った大型の「玉繭」を使うことだ。大島紬が年間9万反も生産されているのに対し、牛首紬はわずか数百反と希少なものだ。光沢があり手触りも柔らかいのに、張りがあり、シワになりにくい。釘を刺しても破れないという意味で「釘抜紬」という異名を持つほどだ。

ARLNATAのデザイナー寺西俊輔さん(左)と白山工房の西山社長
ARLNATAのデザイナー寺西俊輔さん(左)と白山工房の西山社長

一般的な蚕(左)と牛首紬で使われる玉繭(右)
一般的な蚕(左)と牛首紬で使われる玉繭(右)

つややかで色鮮やかな牛首紬
つややかで色鮮やかな牛首紬

これらの伝統的な織物の技術は欧米ブランドにも引けを取らないが、グローバル展開に向けたマーケティング戦略を持っていなかった。そこで陳さん・寺西さん夫妻は日本の布を研究し、伝統技術が結集された文化遺産をより効果的に広めるべきではないかと考えたという。

ARLNATAで伝統を打破する

2018年冬、陳千慈さんと寺西俊輔さんは日本に帰国し、ARLNATAの設立に乗り出した。ARLNATAの由来は日本語の「新た(ARATA)(ALATA)」と「あなた(ANATA)」に由来している。あなたと私のつながりを通して、一人そしてまた一人とより多くの人に日本の伝統工芸への関心を持ってほしいという願いを込めた。

他のブランドとの違いは、「ARLNATA」というプラットフォームを通して多くの人に日本の職人精神を知ってもらい、伝統工芸の価値への理解を深めてもらうことを目的としている点である。商品タグには工房名と伝統織の名前も表示している。

ARLNATAが制作した商品のタグ
ARLNATAが制作した商品のタグ

「和服の生地は和服にしか使えない」という固定観念を打破すべく、ARLNATAはコート、スーツ、ショールなど現代的な洋服を発表してきた。反物は38~41センチ程度と一般的な布地よりも幅が狭い。デザインと型紙起こしが難しく、現代ファッションに取り入れるには高いハードルがある。

白山工房の牛首紬で作られたチュニックとドレス
白山工房の牛首紬で作られたチュニックとドレス

ARLNATAでは和服の生地を普及するためには、日本三大紬「結城紬、大島紬、牛首紬」を欠かすことはできないと考えている一方で、常に使用する生地の選択肢を広げている。西陣織にルーツを持つ「創作工房糸あそび」が開発した幅広の「手絣染リボン織」も ARLNATAが推している生地の一つだ。

現在、ARLNATAの主な販売方法は百貨店やギャラリーでの展示である。来訪した消費者はまず気に入った布を選び、その後、陳千慈さんがその布に適したデザインを提案する。そうして採寸後3〜6カ月で、消費者の手にオーダメイドの服が届く。

一反の反物がつなぐ人と人の心

2022年、ARLNATAは新コンセプト「自分のため、だけではない そんな服に出会える場所」を打ち出し、一反の反物(約11.4m)にニット素材を組み合わせ、小物を含む3〜4点のアイテムを作っている。例えば、4人家族なら父親にはネクタイを、母親にはショールを、姉妹にはそれぞれ違ったデザインの洋服を作る。このように一巻きの反物が人と人の心をつなぐのである。

22年ARLNATAの新コンセプト「自分のため、だけではない そんな服に出会える場所」
22年ARLNATAの新コンセプト「自分のため、だけではない そんな服に出会える場所」

「自分のため、だけではない そんな服に出会える場所」コレクションは、紬は三代に渡って着られるという「三代紬」の考えを受け継いでいるだけでなく、家族や友人とシェアを提案している。またブランドの精神を理解している消費者にとって、ARLNATAの服を買うことは貴重な技術の伝承というミッションへの参加という意味を持つ。この新しいコンセプトは陳さんが消費者と交流する中で生まれたものだ。一反の反物から一つずつ別のデザインをオーダーすることもできれば、誰かとシェアすることもできる。こうして職人技が光る反物一つひとつを余すところなく利用している。

「自分のため、だけではない そんな服に出会える場所」のコンセプトフォト(大島紬コレクション)
「自分のため、だけではない そんな服に出会える場所」のコンセプトフォト(大島紬コレクション)

欧州の現代アートと日本の伝統工芸の融合

芸術を愛する陳千慈さんは、よく欧州の絵画を自身のデザインに取り入れている。陳さんは3年前にフランスの抽象画家ニコラ・ド・スタールのプロヴァンスでの展覧会と住んでいた家を訪ねた際、ニコラ・ド・スタールの作品と目の前に広がる南フランスの深みある青い海との共鳴に心打たれ、その感動をコレクションに取り入れることにした。

フランスの画家ニコラ・ド・スタールの作品にインスピレーションを得たフリンジプリーツスカーフトップ
フランスの画家ニコラ・ド・スタールの作品にインスピレーションを得たフリンジプリーツスカーフトップ

布のスケッチと染色後の絹糸
布のスケッチと染色後の絹糸

ARLNATAの未来とビジョン

ARLNATAは設立当初から順調というわけではなかったが、今では固定客がつき、同時に新作コレクションの展覧会には多くの若者が訪れるようになった。他にもふるさと納税総合サイト「ふるさとチョイス」を運営するトラストバンクと須永珠代会長の個人会社・有徳が共同出資して設立したAINUSホールディングスから出資を受けて株式会社MIZENを設立。2022年に東京青山に実店舗をオープンさせる予定だ。

実店舗ではデジタル技術を駆使し、消費者は好きな生地をデジタルで選び、オーダーしたいデザインをシミュレーションすることで、実際の制作の雰囲気を味わうことができる。オートクチュールの面白みと参加する楽しさを感じてほしいと考えているそうだ。

株式会社MIZENの設立発表会での寺西俊輔氏(左)
株式会社MIZENの設立発表会での寺西俊輔氏(左)

ARLNATAが和服の生地を使ったファッションに焦点を当てているのに対し、MIZENはライフスタイルを起点とし、より多くの日本の工芸職人を発掘して、その技術や商品を現代の生活に取り入れることを目指している。将来、彼らは日本の伝統工芸と現代の生活が結びついた新たな生活の美学を示していくだろう。

写真は全てARLNATA提供

バナー写真=ARLNATA制作の衣装、モデルは陳千慈さん

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