日本SF大賞『大奥』:よしながふみの斬新さはどこにあるのか
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男女の社会的地位が逆転
【以下の内容はネタバレを含みます。】
江戸時代の三代将軍家光の時代に、男だけがかかる赤面疱瘡(あかづらほうそう)がまん延し、男性人口は激減、百姓、商家、武家まで一家の大黒柱となる働き手や後継ぎを失う。家光もこの疫病で亡くなり、ひそかに家光の隠し子である娘が将軍職を継ぐ。やがて女将軍が当たり前の男女逆転の世の中になっていく。これがよしながふみの描く「歴史のif」の世界だ。
「男女入れ替わり」のモチーフは、古くからある。代表的なのは平安時代の『とりかえばや物語』で、同作を基にした少女マンガもある。手塚治虫は『リボンの騎士』(1953~56年)で男女両方のハートを持ち、ハートが入れ替わると人格まで変わる主人公を描いた。一世を風靡(ふうび)した池田理代子の『ベルサイユのばら』(1972~73年)では、男装の麗人オスカルがフランス革命に身を投じる。
「よしながふみの『大奥』は、姿かたちではなく、男女の社会的地位を丸ごと逆転させて歴史を読み替えているところが特徴です」とマンガ研究家・ヤマダトモコ氏(明治大学 米沢嘉博記念図書館スタッフ)は言う。
男家光の乳母だった春日局は、女家光の世継ぎをつくるためのシステム、「大奥」を確立して美男の“種馬”を集める。また、男性の急減を外国から隠すために鎖国を断行する。吉原も遊女ではなく庶民の女性が子どもを作るために男を見立てる場所となり、力仕事も女がこなす。
「いきなり男女の役割を逆転させるのではなく、社会を動かす中心的存在に女性を据えるまでの過程が納得できる、破綻のない世界観を作り上げました。しかも、最後には、私たちの知っている“本当”の歴史に戻す。これだけ巧みな仕組みの物語は例がなかったので、国内のみならず、海外でも早くから評価されたのではないでしょうか」
「SF作品」として高評価
2009年、『大奥』は手塚治虫文化賞マンガ大賞、翌年にはジェンダーへの理解に貢献したSF・ファンタジー作品に贈られる米「ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア賞」(以下JT賞=現アザーワイズ賞)を受賞した。日本人作家として、またマンガ作品としても初めての受賞だった。
「男女逆転自体は、SFの“改変歴史もの”によくある設定です。ただ、それを将軍家と大奥に適用したということが、連載当初からSF読者の間で話題になっていました」とSF書評家・翻訳家の大森望氏は言う。「私自身も、この設定を徳川将軍家の歴史とどのように重ねてどう料理するのか、お手並み拝見という気持ちがありました」
本作では、3代将軍家光から15代将軍慶喜(11代家斉、12代家宣、および慶喜は男)までが登場し、実際の史実も織り込まれる。明治維新で、春日局の時代から記録されていた大奥の最高機密文書「没日録」の焼却により、男女逆転の歴史は再び逆転する。西郷隆盛が「オナゴに作られた恥ずべき歴史をなかったことにする」として、“歴代将軍は全て男だった”と強引に歴史を「書き換える」のだ。
「普通のSF作家が書けば、家光以降、将軍の名前もどんどん変えて、現実の歴史からずれていき、全く違う将軍家の歴史を描くでしょう。ところが、『大奥』は基本的に私たちの知っている歴史を大きなところではなぞるように展開して、説得力のあるもう一つの歴史を描いている。その語り方が新鮮でした」
米国でJT賞に決定したのは、英訳単行本の1、2巻が刊行された時点だった。「当時は日本マンガの翻訳も増えてきた頃です。よしながファンは米国にも多く、口コミやブログで、徳川将軍の話だけど将軍が女だと話題を呼びました。英語圏の女性SF作家にも読まれていたという背景もあります。特に『壊れた地球』3部作でヒューゴー賞長編部門三連覇を成し遂げたN.K.ジェミシンが絶賛しました。ジェミシンは『大奥』以前から、よしながファンとして知られています」
「男性SF作家が主流だった英米SF界では、この数年、女性作家が改変歴史世界を舞台に女性主人公の活躍を描くことが一種のトレンドになっています。『大奥』はその先駆けだったとも言えます」
19巻で完結後、本年2月に日本SF大賞を受賞した。
「単純な改変歴史ものだったら、それほどインパクトはありません。『大奥』はそのエンディングで特に評価が高まったと思います。男女逆転以外は、なぜ私たちの知っている歴史とそれほど大きくずれていないのか、最後に“答え合わせ”があります。実は私たちの知っている歴史が西郷隆盛によって修正された歴史だったという驚き。逆転のそのまた逆転という結末が素晴らしく、SF的な“センス・オブ・ワンダー”の感覚を味わわせてくれます。ある意味『猿の惑星』のエンディングを思い起こすような衝撃です」
同人誌で「読み替える」技術を磨く
1971年生まれのよしながふみは、『ベルサイユのばら』『SLAM DUNK(スラムダンク)』のパロディー(二次創作)同人誌活動を経て、男性同士の恋愛ファンタジーを描くボーイズラブ(BL)ジャンルから登場した作家だ。1994年、BLコミックスで商業誌デビューした。99年、『西洋骨董洋菓子店』の連載がヒットし、人気漫画家の地位を獲得する。同作はテレビドラマ化され、韓国で映画化もされた。
「二次創作は、自分の好きな作品を読み込み、“間を読み替える” “書かれていない間をつなぐ”という意識で、オリジナルをより意義深く、より楽しく読み替えていく世界です。そして、その感想をファン同士が共有することを一番の喜びとする文化なのです。よしながさんは同人誌活動で下地を巧みに読み替える力を鍛えました」と、ヤマダトモコ氏は言う。
「私が『大奥』についてインタビューした際(「別冊太陽 よしながふみ『大奥』を旅する」/平凡社)、大学時代に、“女王の国”のファンタジーを描いてみたいと思ったのが始まりだったとおっしゃいました。ただ、世界をゼロから構築するのは無理だとあきらめていた。ところが、テレビドラマの『大奥』(2003年)を見ていて、日本の歴史のパロディーなら描けるのではと思いつかれたそうです」
本作には、蘭学者の平賀源内(男装のレズビアンとして描かれる)や、オランダ人と遊女の間に生まれた「金髪青い目」の蘭方医・青沼らが赤面疱瘡の撲滅を目指す医療編も組み込まれている。パンデミックとの闘いはコロナ禍のいまを想起させるが、これも歴史的事件を巧みに読み替えた設定だ。鎖国下に天然痘が何度も流行して実際に家光をはじめ何人もの将軍が感染したこと、英国の医師エドワード・ジェンナーによる天然痘ワクチンの開発などの史実が下地になっている。連載開始前にアフリカで流行していたエボラ出血熱からも着想を得たという。
現代的なジェンダーのメッセージ
大奥を舞台にしたのは、将軍の世継ぎをもうけるために人間性を踏みにじる制度を肯定できなかったからだ。
「よしながさんは、デビュー当初から、ジェンダーに配慮した目線を持つ作家です。時代劇が好きなので、ドラマの『大奥』を面白く見ていたけれど、将軍職を直系の血縁でつないでいくことには無理を感じたそうです」とヤマダ氏は言う。
将軍が代替わりするごとに、さまざまな男女の結び付きが描かれるが、14代将軍家茂と和宮は女性同志の同性婚だ。そして家茂は「人の親になるのに、その子の父と母でなくてはならないわけでは決してない」として、養子を迎える。
「男女が結びつかなくてもいい。血はつながっていない子どもでも、大事に育てれば家族になれる。そんな新しい家族の形があるのだと、大奥を舞台にしながら現代に直結するメッセージを読者に届けているのです」
明治維新で女将軍の歴史は抹殺されるが、ラストシーンには希望を残す。1871年、岩倉使節団がサンフランシスコに向かう船上で、胤篤(たねあつ)=13代将軍家定の正室・天璋院篤姫(作中では男性として描かれる)=と6歳の留学生・津田梅子の会話が描かれる。胤厚は梅子に、かつて女性が政治を動かしていたことを伝え、「これから国を動かすのはあなたたちです」と励ますのだ。
『大奥』連載開始の3年後に始まった『きのう何食べた?』の連載は、まだ続いている。
「男性誌で中年のゲイカップルの日常を淡々と描いた作品が、普通に読まれ続けていること自体、すごいことだと思います。連載当初は目新しさで注目されたかもしれませんが、40代だった2人はいまでは50代で、読者と共に歩んでいる印象があります」
「日本では、長年にわたり、少女マンガが世の中の女性の在り方、ジェンダーについて考えさせる源となってきました。その積み重ねの中から現れた才能がよしながふみで、その才能の結晶が『大奥』『きのう何食べた?』です。面白い作品を足腰強く、長く書き続けることで、人の気持ちや価値観を変える大きな後押しをしてきたのです」
バナー写真:『大奥』第1巻・第19巻書影(白泉社)