高木美帆:悲願の“個人金”を狙うオールラウンドスケーター 【北京五輪を彩る主役たち】
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距離を問わない数々のメダル
短距離の500mから1000m、1500m、そして長距離の3000mまで。高木美帆はどの種目でも高いレベルの滑りを見せる。主戦場は世界記録を持つ1500mだが、そこから短・長距離両方向に強化を図ってきた。
これまでの国際大会での成績が、高木のオールラウンダーぶりを物語る。500mと1000mの総合成績で争う世界スプリント選手権では2019年に銀メダル、20年に金メダル。4種目の総合成績による世界オールラウンド選手権でも18年に金メダルを獲得するなど、何度も表彰台に上がってきた。
その成長を支えてきたのは、中学生の頃までかけ持ちしていたサッカーで、15歳以下日本代表候補に選ばれたことが象徴する身体能力の高さと、指導者も一目置くほどまめにメモをとる強い探求心である。それらは、日本スピードスケート史上初めて中学3年生で五輪代表(2010年バンクーバー大会)になった理由でもある。
ただ、順調そのものだったら今日の姿はなかったかもしれない。大きく飛躍する契機となったのは、14年ソチ五輪の代表落選だった。このシーズン、大学生になった高木は北海道帯広市から上京したが、親元を離れるのは初めてだったし、新しい生活環境にも慣れないままでいた。それが競技にも影響を及ぼし、代表選考会では出場種目5位にとどまったのだ。
ナショナルチームで得た成長
悔しさを晴らしたいと思ったそのとき、高木を新たな環境が待っていた。ソチ五輪でスピードスケートの日本勢は「惨敗」と評されるほど不振を極めた。このため、所属チーム任せではなく日本スケート連盟主導で強化を行なうことを目的に「ナショナルチーム」が創設されたのだ。
その一員としてチームに参加した高木は、年間300日を超える合宿で有力選手と切磋琢磨しながら力をつけていった。もともと勝負への執着が薄いと指摘されていたが、やがて勝利への欲求を口に出すようになり、淡白さは影を潜めた。生来の探求心に粘り強さが加わって、より熱心に速さを追求するようになっていった。
その成果が表れたのが平昌五輪だ。最初の種目1500mで銀メダルを獲得すると、1000mで銅メダル、団体パシュートでは金メダル。夏冬を通じ、一大会ですべての色のメダルを獲得した初めての日本女子選手となった。
それでも高木は、個人種目での優勝がなかったことを「悔しいです」と語った。
だから北京でやるべきことは明確だ。それは個人種目で世界一になることにほかならない。5種目に出場する高木は、総合力の高さだけではない突き抜けた個の力を披露すべく、スタートを切る。
バナー写真:スピードスケート五輪代表選考会、女子500mで滑走する高木(2021年12月29日、長野・エムウェーブ)時事