光触媒でコロナウイルスを殺菌: ベンチャー企業カルテックの躍進が示す日本再生のカギ
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日本人研究者が発見した光触媒
コロナ禍で、今から半世紀ほど前に日本人研究者が発見した技術に脚光が当たっている。光触媒技術だ。
光によって化学反応を促進させる物質を光触媒と呼ぶ。酸化チタンはその筆頭で、光を当てると強い酸化力を発生させる。これを利用して、物質の表面についた有害物質や悪臭成分を無害な水や二酸化炭素などに分解するのが光触媒技術だ。
この原理を世界に先駆けて発表したのは、当時、東京大学大学院に在籍していた藤嶋昭氏(前・東京理科大学学長)だった。水中の酸化チタンに光を当てると酸素が発生する化学反応に着目した藤嶋氏は1972年、権威ある英国の科学誌「ネイチャー」に酸化チタンの光触媒反応についての論文を執筆する。
以来、光触媒技術は、主に人の手を借りずにビルや住宅の外壁、屋根などを浄化するセルフクリーニングに活用されてきた。2002年に竣工した丸の内ビルディング(東京駅丸の内口)の外壁や、13年に完成した東京駅八重洲口の白い大屋根グランルーフの塗装に酸化チタンが用いられたのは代表的な事例だ。
そして2020年、藤嶋氏の発見からほぼ半世紀となる節目の年に、光触媒に新たな光が当てられた。
新型コロナウイルスを99.9%不活性化
2020年10月中旬、ベンチャー企業のカルテック(本社大阪市)が開いた記者発表会の内容がメディア関係者に驚きを与えた。
同社製の除菌脱臭機に用いた独自の光触媒が「新型コロナウイルスを不活性化することに成功した」と発表したのだ。カルテックによれば、日本大学医学部、理化学研究所との共同実験で、新型コロナウイルスを含む飛沫が浮遊する容量120リットル箱の中で除菌脱臭機を稼働させたところ、「20分間で新型コロナウイルスが99.9%不活性化、つまり殺菌した」と言う。
筆者も含めたメディア関係者の驚きは、二つの意味で大きかった。
一つは、あくまで密閉した空間内での実験の成果であり、カルテックの除菌脱臭機が実際に使われている環境とは異なるとはいえ、コロナを抑制する技術としての光触媒の可能性がはっきり示されたことだ。
もう一つは、それを成し遂げたのが、創業からさほど時を経ていないベンチャー企業だったことだ。 カルテックは2018年4月 、シャープのエンジニアだった染井潤一社長が志を同じくするシャープ時代の仲間とともに起ち上げた。
染井社長たちはなぜ、人材も資金も潤沢だった大企業のシャープを辞め、徒手空拳で光触媒の可能性を切り開こうと挑戦したのか? なぜ大企業ではなく、ベンチャーだったのか?
多くのメディア関係者が抱いた疑問への答えには、日本の大企業が突き当たっている壁やベンチャーの役割など、日本再生のカギが隠されているようにも思われた。
スリランカで目のあたりにした健康被害
染井氏が光触媒技術の事業化を構想するようになったのは10年ほど前にさかのぼる。シャープに入社して約25年が過ぎたころだ。高等専門学校時代に光触媒を知り、「この世で一番素敵な異性との出会いにも匹敵するほど心を動かされた」と言う染井氏は、大学を卒業し、シャープに入社してからもずっとその動向を気にかけていた。とはいえ、シャープではテレビチューナーの開発やLED事業など目の前の仕事に夢中で取り組み、光触媒はいわば「心の中だけにいる想い人(おもいびと)」のような存在だった。
転機となったのは、新規事業の開発を担う新設のBtoB事業推進センター(後のBtoB事業部)への異動だ。チームリーダーとして新規事業の発案を任された染井氏は、光触媒を活用した環境浄化商品の事業化を思いつく。光触媒は格段の進歩を遂げており、「今の技術レベルなら商品化にも耐えられるはずだ」との確信もあった。
これにはスリランカでの体験も影響していた。シャープはLEDの防虫ランプをスリランカの農家へ提供する国際協力機構(JICA)のプロジェクトに技術協力することになり、染井氏はLEDランプの設計担当者として現地での調査活動に携わった。そこで目にしたのは、農業の生産性を上げるために政府が農家に支給した農薬による深刻な健康被害の実態だった。慢性の腎臓病で命を落としてしまう子どもたちが少なくなかったのだ。
「『ここに光触媒があったなら…』と思いました。光触媒で農薬に汚染された水を浄化できれば、子どもたちの命を救えるのではないかと。あの体験をきっかけに、光触媒には建物をきれいにするだけでなく、人の命を救う可能性もあるのだと強く意識するようになったのです」
つぶされ続けた新商品開発の提案
しかし染井氏の提案は跳ね返され続けた。シャープには、プラズマ放電によってイオン(H+とO2-)を発生させる独自技術「プラズマクラスター」ブランドの空気清浄機やエアコン、イオン発生機などの商品群がある。主に営業サイドがこの事業領域に踏み込ませまいと壁になったのだった。
「つぶされ続けましたね。経営陣は『面白いんちゃうか』と言ってくれても、現場へと降りていく段階で営業と商品企画にすべてつぶされてしまうんです。彼らの立場は私にも分からないではありませんでした。光触媒がいかに優れているかを示せば示すほど『プラズマクラスターよりもいいのか?』という話になってしまいかねない──営業や商品企画がそんな懸念を持つのも無理はないですから。そこで『光触媒を前面に出さず、除菌・脱臭を実現する、いわば黒子の技術の位置づけでもいい』と提案しましたが、それもつぶされました」
染井氏は2年ほど提案し続けたが、提案はいずれも叶わなかった。
「だったら会社を辞めよう。シャープで事業化できないならば起業すればいい。そう思い始めたのはシャープを辞める2年ほど前だったと思います。起業を決心してからは、もう迷いはありませんでしたね」
56歳でシャープを退社し、起業
この間、シャープを取り巻く環境も激変した。主力の液晶テレビと液晶パネル事業の採算性が競争激化で悪化し、それらへの過度な依存と過大な投資が足かせとなって巨額赤字に陥ったのだ。シャープは2016年夏に台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業の傘下に入り、BtoB事業部は解散した。
18年3月、染井氏はシャープを退社し、翌月、7人の元シャープ社員とともにカルテックを創業する。56歳の船出だった。
当初、採用を予定していた光触媒に問題点が見つかるなどの壁にぶつかりながらも、同社は19年12月、初の自社ブランド商品となる壁掛けタイプの空気清浄機を発売、20年10月には首掛けタイプの空気清浄機を発売した。どちらも独自の光触媒技術の性能が浸透するにつれて、売れ行きは右肩上がりで伸びており、21年9月期には売上高100億円を見込んでいる。染井氏は今後、「空気だけではなく、光触媒による水質浄化にも挑戦したい」と言う。
改めて問いたい。なぜ大企業ではなくベンチャーだったのか?
結論を言えば、日本の大企業では組織の硬直化がいっそう進み、進取の気性やベンチャー精神を事業に活かすダイナミズムがますます失われつつあるからではないか。
シャープが染井氏の提案を退けたのは、既存事業を脅かされたくない組織の壁だった。そこには「全体最適」、つまり会社全体の成長に寄与するかどうかよりも、「部分最適」、つまり部門の権益を優先し、それを守ろうと縮こまる大企業病の症状が垣間見える。
サバイバルのカギを握る「全体最適の選択」
当時のトップマネジメントの問題も無視できない。営業サイドが脅威を抱いたのは、光触媒の可能性を感じ取っていた裏返しでもあったはずだ。トップがその可能性を見極め、社内競合のリスクと長期的な成長性を「全体最適」の観点から秤にかけていたら、結果は異なっていたかもしれない。
組織の壁を打ち破るのはトップの役割なのだ。また、トップがそれを果たさなければ企業はジリ貧に陥りかねない。既存事業はいずれ成熟化し、価格競争などによって採算性が悪化する課題を常に抱えているからだ。
大企業病は少なからぬ日本の大企業に共通する問題でもある。既存事業との社内競合や組織の力関係などによって日の目を見ないでいる有望な事業の種は少なくない。有望なアイデアを持ちながら、大企業の中で閉塞感を抱きつつ与えられた仕事をこなしている社員もまた少なくない。日本の企業社会では、資金調達や人材の確保、取引先の開拓など起業へのハードルは決して低くはない。志を同じくする仲間とともに、勇気を奮い、成功への確信と信念を抱いて起業した染井氏のような起業家はまだ少数派なのだ。
大企業が組織のダイナミズムを取り戻すこと。一方で起業のハードルを下げること。そのような求心力と遠心力のせめぎ合いがあって初めて日本は元気になれる。カルテックの躍進はそれを示唆しているのではないだろうか。
バナー写真:新型コロナウイルス不活化実験を行った実験チャンバー(中央)を囲む、染井潤一カルテック代表取締役社長(右)と間陽子日本大学医学部上席研究員(左)(カルテック提供)