高感度化したスーパーカミオカンデ:超新星爆発の謎に挑む
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「賢者の石」から宇宙の探究へ
マクロ経済学の生みの親であるケインズには、次のような書き出しの変わった論文がある。
「彼のありのままの姿を論ずるにあたり、私はいささか躊躇(ちゅうちょ)せざるをえない――」
内容は近代科学の創始者として知られる科学者、アイザック・ニュートンの秘密を暴露するものだった。
これより少しさかのぼる1936年、ニュートンの遺稿の入った箱が遺族の子孫によってサザビーズの競売にかけられた。約半分を落札したケインズが見たのは、「緑のライオン」「愚かな売春婦」などの暗号が踊る、錬金術の手稿だった。ケインズはニュートンのことを「片足は中世に置き、片足は近代科学への途(みち)を踏んでいた」と評した。
17世紀のニュートンが探したのは、鉛などの卑金属を金に変え、人間を不老不死にすることができる「賢者の石」だった。晩年には多くの時間を錬金術に費やし、水銀中毒により発狂したと伝えられる。
科学の巨人・ニュートンがオカルト研究に耽溺(たんでき)したのはなぜなのか。科学史家たちが困惑の末に達した推測の一つは、次のようなものだ。ニュートンは重力について宇宙の法則(万有引力の法則)を発見後、物質理論を構築しようとした。「物質の構成要素は何か」という基本的な問いに、錬金術を介して根本に迫れると考えたのではないか――。
ニュートンは300年早かった。答えの手がかりは20世紀に入って発展した原子核物理学、素粒子物理学、ビッグバン宇宙論からもたらされたからだ。その知識を集積し、ようやくいま人類はこの謎に挑むにふさわしい時代に入った。それがニュートリノ天文学である。
トップを走ってきた日本のニュートリノ 研究
日本から小柴昌俊と梶田隆章という、2人の偉大なノーベル物理学賞受賞者を生んだニュートリノ研究について、名前だけでも聞いたことのある人は多いだろう。
1987年、超新星爆発からのニュートリノを「カミオカンデ」が観測に成功し、研究代表の小柴教授が2002年にノーベル物理学賞に輝いた。このインパクトは大きく、カミオカンデよりも25倍大きな「スーパーカミオカンデ(Super-K)」が建設され、1996年に観測をスタート。その後、ニュートリノ に質量があることを示す「ニュートリノ振動」を検証し、梶田教授が2015年のノーベル物理学賞を受賞。日本のニュートリノ研究は目覚ましい成果を挙げてきた。
ニュートリノ は宇宙を構成する基本的な粒子、素粒子の一つである。
最大の特徴は「宇宙一、捉えにくい粒子」ということだ。
たとえば、地球では太陽で生まれたニュートリノが一番多く、人体には1秒間に数百兆個も降り注いでいる計算になる。しかし、そのうち99.999999999999999999999%(9が23個並ぶ)は素知らぬ顔をして通り抜け、人体を構成する原子核や電子と衝突するニュートリノは50〜100年に1個程度。反応すること自体が奇跡である。
「ですが、約5万トンの純水を満たしたスーパーカミオカンデなら、1日当たり太陽からのニュートリノを約20個、大気中でできたニュートリノを約10個も捕まえることができます」とスーパーカミオカンデの実験代表者を務め、東大宇宙線研究所神岡宇宙素粒子研究施設長でもある中畑雅行教授は語る。
「宇宙の高炉」を直接見られる唯一の目、ニュートリノ
ニュートリノを捕まえることで、宇宙の何が分かるのか。
「それには少し、宇宙の歴史を知っていただく必要があります。宇宙は138億年前にビックバンによって生まれました。ビッグバンで生成された元素は、主に水素とヘリウムで、それよりも重い元素は、星の中での核融合反応や超新星爆発などでつくられました。特に、鉄よりも重い元素、例えば金や銀は、太陽より8倍以上重い星が寿命を迎える時に起こす超新星爆発や中性子星合体の高温高圧環境で、一気に合成されたと考えられています」
つまり、金を生み出す「賢者の石」は地上にはなく、超新星爆発などの「宇宙の高炉」にあったのだ。
爆発によって宇宙空間にばらまかれた元素は、やがてまた重力によって集まり、新たな星が生まれ、また寿命を迎えて爆発する……。つまり、軽い元素を高音楽器、重い元素を低音楽器に例えれば、星が死んで輪廻転生(りんねてんしょう)を繰り返すたびに重い元素がつけ加わり、宇宙の響きはより豊かになっていった。
太陽系や地球、そして必須の微量元素も含めると多様な元素からなる、私たち自身の体も、このドラマの恩恵を受けている。
では、宇宙のどの時代にこれが起きて、どのように元素が生まれたのだろうか。
「とりわけ、超新星爆発の詳しい描像を理解する唯一直接の手がかりが、ニュートリノなのです。というのも、超新星爆発では、莫大なエネルギーが放出されますが、その99%はニュートリノとして宇宙空間に放たれます。ニュートリノ は爆発が始まる直前に、星の中心核から発生し、周りの物質と反応せずにすり抜けてきます。超新星爆発の内部の様子を直接見ることのできる、唯一の“目”なのです」と中畑教授は説明する。
ではどうやって、何でもすり抜けてしまうニュートリノを捕まえるのだろうか。その検出装置は岐阜県飛騨市神岡町の地下にある。
鉱山の地下で宇宙に目を凝らすスーパーカミオカンデ
10月下旬、山は橙(だいだい)や赤に色づき、古い民家が立ち並ぶ集落には昔ながらの趣があった。こんもりした「池ノ山」はかつて亜鉛や鉛が採掘された鉱山である。入り口から一直線に真っ暗な坑道を1.7キロほど進むと、山の中心に達した。冷んやりとした空気に包まれた薄暗いトンネルの一角に、超精密科学の世界への扉が待ち受けていた。
さらにその先に進むと、ドーム天井の部屋があった。足の下に直径39.3メートル、高さ41.4メートルの円筒形のタンクが岩盤をくりぬいて埋め込まれている。鎌倉の大仏なら縦に3体、自由の女神像ならほぼ1体が入る。これほど巨大な空洞でも崩れる心配がないのは、片麻岩(へんまがん)でできた固い地質であるためだ。
タンクの内壁は直径50センチの巨大な電球型の光電子増倍管(光センサー)1万1129本で覆いつくされている。一つ一つの光電子増倍管は、月面から照らした懐中電灯の光ですら検知できる感度をもつ。ガラスはガラス吹き職人によって丁寧に造形されたもので、表面は金属膜でコーティングされ、いぶし金に輝く(メンテナンス時以外は暗闇に包まれているので、1万個以上の金色の球が並ぶ様を見ることはできない)。
タンクには約5万トンの純水(水分子以外の物質を含まない水)が満たされ、タンクに入ってきたニュートリノがごくまれに水と反応すると、青白い光(チェレンコフ光)を円すい状に放出する。そのかすかな光を壁にぐるりと設置された光電子増倍管が検出する仕組みである。
2020年8月、スーパーカミオカンデは純水にガドリニウム(原子番号64の元素)という物質を0.01%溶かし、ニュートリノ の検出能力を上げる改造を施した。それぞれのニュートリノ反応の種類が判別できるようになったという。
「これにより、超新星爆発を起こした星の方向を知ることができます。1987年の超新星爆発で、ニュートリノが発生することは証明できましたが、検出数はカミオカンデで11個、アメリカとロシアを合わせても24個だけでした。ガドリニウムを加えたことはニュートリノの検出数増加には寄与しませんが、もし、天の川銀河で超新星爆発が起きた場合、ニュートリノ検出数を左右する水の量がカミオカンデに比べて25倍あることと、大マゼラン雲よりも距離が近いために、スーパーカミオカンデでは1万個ぐらいの事象が検出でき、そのうち数百個は方向性を保持しているため、超新星の方向が分かるようになるのです」(中畑教授)
また、高感度化により、上記の天の川銀河内で起きる超新星爆発とは別のターゲットとして、もっと昔の超新星爆発で放たれた「超新星背景ニュートリノ」を年に数個の頻度で検出できる可能性がある。
「宇宙には超新星爆発を起こす重い星が数十京個(10の17乗個)あり、宇宙史上、繰り返し爆発を起こしてきました。過去に放出されたニュートリノは、宇宙の膨張に伴い、波長が引き延ばされ、微弱ながらいまも宇宙を漂っています。超新星背景ニュートリノです。これを捕えることによって、どの時代にどれくらいの超新星爆発が起きたかが分かります」
だまされたのかと思ったら、すごく面白い人生だった
中畑教授になぜこの分野を選んだのかを聞いてみた。すると、
「人生一回きりなら、ああいう人に懸けてみるのも面白いと思ったんです」という返事が即座に返ってきた。
大学院進学で研究室を選ぶ際に、「小柴」という野心的で親分肌の人がいることを知った。「カミオカンデという装置を使えば、陽子崩壊ですぐにでもノーベル賞が取れる」という触れ込みで、面白そうだと思って入ったが、待てど暮らせど、陽子崩壊は起きない。「だまされたのかな」と思った。
ところが、小柴教授のすごさは、新しいアイデアを次々と生むところだった。「それならニュートリノ を捕まえてみようか」と言い出し、装置を改良した。すると、わずか1年後に、私たちのいる天の川銀河の隣の星雲(大マゼラン雲)で超新星爆発が発生し、世界で初めて宇宙から届くニュートリノを検出してしまった。
これには、研究チームの強運を感じないわけにはいかない。超新星爆発はそう頻繁に起きるものではない。我々のいる天の川銀河の中での頻度は30〜50年に一度、目に見える光で確認できるのは400年に一度ぐらいである。
強運はもう一つあった。超新星爆発のニュートリノの生データを世界で初めて手にしたのは、当時、博士課程3年生でデータ解析を担当していた中畑教授自身だった。
「データの中に、突き抜けてエネルギーの高い10秒間の信号が2月23日16時35分35秒(日本時間)に存在するのを見つけた時には、心臓がバクバクしました」
というのも、そのわずか3分前にはデータのない空白の2分間があったからだ。2時間ごとに1回、装置の調整のためにデータが取れない時間である。
もしも、あと3分早く爆発が起きていたらデータを取り損ねていた……。
それを見た時には「良かった」と胸をなで下ろしたという。
「ところが、小柴先生になかなか連絡がつかない。なんと箱根の温泉にいたのです。超新星爆発のデータ解析をしているのを知っているにもかかわらずです(笑)。これがノーベル賞につながるとは、誰も思っていなかったのかもしれませんね」
週明けになって小柴先生にデータ解析の結果を報告すると、ニコリともせずに「おまえ、これは2日分のデータでしかないじゃないか。今までとったカミオカンデのデータをすべて解析して、これしかないというのを示せ」と宿題が出た。中畑教授はそれから1週間、磁気テープ数百本分のデータをドライブにかける作業に徹夜で取り組み、その間に報告論文も書き上げた。
これが、世界で初めて超新星爆発からのニュートリノ を検出した証拠を示す論文となった。
中畑教授はカミオカンデ、スーパーカミオカンデとともに歩んできた自身の半生を振り返り、「その後も予期せぬところで成果が上がり、すごく面白い人生を歩ませていただいたと思います」とほほ笑んだ。
2027年、ニュートリノ研究は次のステージへと飛躍する。スーパーカミオカンデの後継となる26万トンの「ハイパーカミオカンデ」が完成し、素粒子の統一理論や宇宙の進化史の解明に挑む。
「我々の挑戦はまだまだ続きます。ぜひ皆さんに夢やロマンを感じていただきたいですし、若い人たちにはこの世界に飛び込んできて欲しいですね」
中畑教授の柔和なまなざしの奥には、力強い光が宿っていた。
2020年11月12日、ニュートリノ天文学を切り開き、世界のニュートリノ研究を牽引してきた東京大学特別栄誉教授の小柴昌俊氏が亡くなられました。生前のご功績を偲び、謹んで哀悼の意を表します。
瀧澤美奈子
バナー=水を抜いた内水槽での改修作業 写真提供:東京大学宇宙線研究所 神岡宇宙素粒子研究施設 提供写真以外は土師野幸徳(ニッポンドットコム編集部)撮影