デジタル経済化における日本と香港の役割——米中のデジタル経済覇権競争のはざまで
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フェイスブックが2020年にデジタル通貨「リブラ」を発行すると発表し、中国も「デジタル人民元」(DCEP)を準備していることを公表した。両者とも発行のめどが立ったわけではないが、2020年はデジタル通貨元年として記憶される年になるかもしれない。
米中がデジタル経済覇権を競う中、日本と香港では、依然として現金も幅を利かせている。「GAFA」(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル)や「BAT」(バイドゥ、アリババ、テンセント)のような巨大なプラットフォーム企業があるわけでもなく、出遅れ感があるのは否めない。
ただ、逆に日本や香港だからこそできることもあるのではないか。
デジタル経済化が進む世界における、日本と香港の役割について考えてみたい。まずは身近なところで、日本と香港のキャッシュレス化の状況を見てみたい。
日本と香港のキャッシュレス化
日本はキャッシュレス化が遅れていると言われるが、カードの保有枚数では他国に引けを取らない。クレジットカード、デビットカード、電子マネーカード等をそれぞれ複数枚ずつ保有しているのが一般的だ。高額の買い物にはクレジットカード、日常的な買い物をするスーパーではポイントカード付きの電子マネー、駅の売店では交通系電子マネー …… というように、TPOに合わせて何枚ものカードを使い分けている。
日本政府はキャッシュレス決済を推進するため、10月の消費増税に合わせて、キャッシュレスでの支払いに対しポイントを還元する政策を打ち出した。QRコードによるスマホ決済は、LinePay、PayPay、楽天Pay等が乱立状態にあり、各社が還元率を上積みするなど盛んにキャンペーンを行っているが、果たしてキャンペーン終了後もスマホ決済が定着するかどうかは定かではない。
香港も、クレジットカードや交通系電子マネー「オクトパス」の利用頻度が高く、日本と同様に現金&カード社会だ。日本よりもクレジットカードやキャッシュカードの非接触式決済が使えるところが多く便利だが、タクシーや市場などでは現金も相変わらず必要だ。スマホ決済は、「Alipay」「WechatPay」「SumsonPay」等、「外来」勢力がキャンペーン合戦を繰り広げており、乱立気味なのも日本と似ている。
「リブラ」vs「デジタル人民元」
2019年6月、フェイスブックが、デジタル通貨「リブラ」の発行を目指すと発表した。米国議会からストップがかかり、当初予定していた2020年からの発行が実現するかは不透明だが、世界中に20億人以上のユーザーを持つフェイスブックが通貨を発行すればその影響は各国に及ぶ。
「リブラ」の発表から3カ月後の9月、今度は中国の人民銀行がいわゆる「デジタル人民元」の発行を目指していることを明らかにした。
「デジタル人民元」は中央銀行が発行するものであり、「リブラ」もドルやユーロなどの法定通貨と一定比率で交換できる「ステーブルコイン」だ。ビットコインのようないわゆる仮想通貨とは異なり、普及も現実味を帯びてきた。米中が次世代通貨の覇権をめぐり譲れない戦いを始めたということであり、米中経済覇権争いもいよいよ天王山だ。
監視国家に対する香港の反抗
デジタル通貨が普及すれば、デジタル経済化は最終ステージを迎える。その結果、あらゆる経済活動がビッグデータとして蓄積され、デジタル監視の土壌が形成される。
「監視」といえば、長らくオーウェルが『1984』で描いたような権力者による一方的な監視国家がイメージされてきた。しかし、現状では、SNSのような双方向のデジタルテクノロジーにより、情報を取られる一方ではなく、むしろユーザー自らが利便性や安全性のために情報を提供している。社会学者のデイヴィッド・ライアンはこれを「監視文化」と呼ぶべきだと指摘している(デイヴィッド・ライアン『監視文化の誕生』)。よりソフトで流動的でグローバルな監視が展開され、リスクが見えにくくなっているというのだ。
2112年の日本を舞台としたアニメ「Psycho-Pass」は、監視社会の問題点を鋭い視点で描いている。「シビュラ」という中央集権的システムによって人々の心の濁りが測定され、「犯罪係数」の高い者は罪を犯していなくても処罰される。人々は安全な社会を手に入れるのと引き換えに、心が濁らないよう清廉潔白な生活を強いられる。はたしてユートピアなのか、ディストピアなのか。
中国では「信用スコア」で人々の道徳心を誘導しマナーや治安を向上させようとする動きが広まっている。「Psycho-Pass」の世界ほど極端ではないが、安全と引き換えに自制や萎縮といった形で人々の自由が狭められていく、真綿で締め付けられるようなプロセスはすでに始まっているのではないか。梶谷・高口が「幸福な監視国家」と表現したように、権力による一方的な監視ではないからこそ、歯止めをかけるのは難しい(梶谷・高口『幸福な監視国家・中国』)。
犯罪人の中国本土への引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改正に端を発した香港での民衆の抗議活動は、監視国家への反抗の側面がある。街頭や駅などに設置された多数の監視カメラが破壊された。デモの参加者らは「HKmap」というアプリ・サイトを使って、警察の動向を「逆監視」している。同アプリは、app storeが「違法な活動を推奨している」として取り扱いをやめたことでも話題になったが、リアルタイムで警官やパトカーの位置や数を把握することができ、ゲリラ的な抗議活動の必須アイテムとなっている。
とはいえ、それで抗議者側が取り締まりを逃れられるわけではなく、多数の若者が逮捕された。香港警察の背後には「テクノ権威主義」に向かう中国という大きな壁がそびえる。抗議者の必死の抵抗には悲壮感が漂う。
デジタル化に慎重な日本
日本では、人材最大手のリクルートが、学生の「内定辞退率」予測を断りなく販売していたことが発覚し、ビッグデータ利用に対する不信感を助長した。また、スマホ決済の「セブン・ペイ」は、セキュリティの杜撰(ずさん)さから不正利用が相次ぎ、わずか3カ月で廃止されたことも記憶に新しい。
野村総研の調査(2018年)によれば、日本人は「利便性が高まる等のメリットがあれば個人情報を登録してもよい」という人よりも、「メリットがあっても個人情報を登録したくない」という人のほうが多い。国際比較でも、日本人は、プライバシーの漏洩に不安を感じる人の割合が高いようだ。だが、その慎重さは悪いことではない。
米中の後追いではなくユーザー視点の議論を
米国では、「GAFA」に代表されるプラットフォーム企業が主導し、市場の論理でデジタル経済化が進められている。ユーザーの承認されたい願望や利便性向上の欲求を利用し、購買履歴、好きな音楽、お気に入りの動画、家族や友人の写真など、ありとあらゆる個人情報を吸い上げ、AIによりプロファイリングする。トランプ大統領がビッグデータを有効活用して選挙戦を勝ち抜いたことは知られている。もちろんそれ以前から選挙はデータ分析が重要な要素であったが、現在はビッグデータを用いたマイクロマーケティングの優劣が結果を左右するのだ。
プラットフォーム企業が収集した情報が、政府が蓄積してきた個人情報と融合すれば、強力な監視体制の構築が可能となる。プラットフォーム企業による情報独占に問題はないのか?プロファイリングをどこまで許すべきなのか?情報化のスピードに議論が追い付いていない。
テクノロジーと社会の仕組みは共に進化してきたのであり、人類はテクノロジーの発展に社会の仕組みを適応させる努力を続ける必要がある。例えば、現在各国が開発を競っている「量子コンピュータ」が実用化されれば、デジタル経済のあり方もまた変わってくるだろう。デジタル経済の行方はまだ誰にもわからない。だからこそ、日本や香港はリスクや副作用を慎重に吟味しながら、最適な仕組みを導入するくらいの余裕が欲しい。
米中は、政府とプラットフォーム企業のそれぞれの利害がからみ合う中で、デジタル経済覇権を競い合っている。統治の論理やマーケティングの論理が優先され、自己の情報をコントロールする権利、「自由」や「平等」の実現といったユーザーの視点が希薄なまま、デジタル経済化を推し進めているように見える。
ユーザーフレンドリーなデジタル経済はどうあるべきか? 日本や香港は、やみくもに米中を追いかけるのではなく、デジタル経済の課題解決に向けたアジアでの取り組みをリードする存在を目指してはどうか。
EUはすでに動き出している。個人データ保護を強化する「GDPR(一般データ保護規則)」の動きは、大いに参考すべきだ。
※内容は全て筆者自身の観点に基づく私見であり、何ら外務省及び総領事館の意見を代表するものではない。
バナー写真=sasaki106 / PIXTA