ラグビーW杯主催の日本人はどうやって世界の心をわしづかみしたのかー元BBC支局長

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ラグビーのワールドカップ(W杯)日本大会では、日本が準々決勝で南アフリカに敗れて4強入りを逃したものの、世界の強豪を連破しての予選1位通過は、海外メディアの賞賛の的となった。元BBC(英国放送協会)東京支局長の国際ジャーナリスト、ウィリアム・ホーズレー氏は「ホスト国ニッポン」を称え、ニッポンドットコムに寄稿した。

サッカーファンは、サッカーを「ビューティフルなゲーム」と呼ぶのを好むが、ラグビーはまさに「ハートのゲーム」である。なぜなら選手たちの肉体に宿る勇気、すなわち真のガッツがむき出しになるからだ。彼らはラックの中で泥に足を滑らせ、体をねじるようにして折り重ね、数インチでも前進しようと真っ向からぶつかり合う。そして、ウイングやスクラムハーフが敵の防御ラインを突破してゴールラインめがけて飛び込むとき、ファンの心臓は興奮で張り裂けそうになる。

そして日本人たちも、心のこもったもてなしやスポーツマンシップで、世界中のスポーツファンのハートをわしづかみにした。こうした見方は、テレビの国際放送やジャーナリストたちの記事の中で何度も紹介され、賞賛はさらに強まった。

日本社会は久しく、異民族との融合に及び腰だった。ところが、多国籍・多民族的な「桜の戦士たち」(日本代表の愛称)は、チーム全員が国民的英雄として取り上げられることで、「これまでとは異なる日本」の象徴として浮かび上がった。私が感銘したのは、ごく普通の日本人の意識の中に多くの外国人ファンが潜り込み、影響を与えたことだ。例えば、英国のテレビ局から街頭インタビューを受けた、ある日本人女性のように。

「日本には長い間、差別に苦しんできたマイノリティ社会があります」と彼女は口を開くと、こう続けた。文化の違いなどから日本で苦労したリーチマイケル選手のように、「日本のためにラグビーをしている外国出身者がいることは、そうした人々に正々堂々と意見を述べる勇気を与えてくれます」

この秋、日本と隔絶された外界との間で、あたかも恋の花が咲いたかのようだ。5000万の日本人がテレビでこれらのビッグマッチを観たという統計がそれを証明している。そして遠くからやって来た数万人もの外国人観光客が、ゴミが落ちていない日本の道路、時計のように正確な交通機関のダイヤ、そして日本人の飾り気のないもてなしに驚いた。

台風19号が日本の景観を破壊し、多くの人命が失われたのを知って、全世界が日本人と悲しみを分かち合った。そして世界中のテレビ観戦者は、日本のファンが準々決勝を前に対戦相手の南アフリカ国歌を歌い、試合終了後もピッチから退場する勝者に拍手を送るのを見て感動した。日本人の夢が突然終わりを告げ、心痛や失望感、涙にくれていたのにだ。

一生懸命

最大の驚きは、日本代表がピッチ上で発揮した独創性、バイタリティーや技術、さらにアイルランド戦やスコットランド戦での危機的局面で見せた闘志だ。彼らの魔法のようなショートパスのつなぎは、世界最強のサッカーチーム、バルセロナのプレーを彷彿とさせた。

興奮した英国の新聞の大見出しは、日本の快進撃を「おとぎ話のような」とか「信じがたい旅」などと伝えた。難敵・アイルランドのディフェンスを突破する姿や、予選を首位で通過しようと心臓が止まるかと思うようなラスト数分間、スコットランドの猛攻撃をしのいでリードを守り切った並外れた意志の堅固さに感動したのである。

そうした勇敢なディフェンスを見ることは、「一生懸命」という日本語の意味を肌で知る格好の機会となった。

生まれた絆

日本国内のいくつかのホストタウンで、20の代表チームが数週間にわたって合宿をし、さまざまなバックグラウンドを持つ人々の間で数えきれないほどの良い出会いが生まれた。おそらくそれらの多くは、生涯続く絆になるだろう。ラグビーは、互いに遠く離れたコミュニティ間に、たくさんの絆を築くための共通語なのだ。

釜石鵜住居復興スタジアムを埋めた釜石の人々は、ウェールズ・バレーズ(ウェールズの谷)のかつての炭鉱労働者たちとラグビーへの情熱を共有している。そのたくましさとピッチ上での恐れを知らぬ勇気こそが、ウェールズを世界トップクラスのラグビー強国とし、首都カーディフを世界的スポーツの本場に押し上げた。2011年の東日本大震災による津波で釜石では多くの人命が失われたが、その痛ましさは「ウェールズの谷」出身のラグビー選手らが何世代にもわたって炭坑内で遭遇した苦難と生命の危険に匹敵する。

1987年に始まったラグビーW杯では、すでにスーパースターたちの殿堂が設けられている。そこには03年のオーストラリアとの決勝戦、終了間際のドロップゴールで一躍レジェンドとなったイングランドのジョニー・ウィルキンソンや、1990年代のニュージーランド代表ウイング、ジョナ・ロムーが表彰されている。今やリーチマイケル、松島幸太朗、福岡堅樹、そして彼らのチームメイトたちも、世界のラグビー史を飾る功労者として重要な地位を占めている。

横浜の縁

つい最近、英国人歴史家のマイク・ガルブレイス氏が、日本では早くも1860年代に、横浜駐屯の英国兵たちがラグビーを行っていたことを示す証拠を発見した。彼らは、英貿易商が薩摩藩士に斬殺された「生麦事件」を受けて、横浜の英領事館を守るために派遣されたのだった。記録によれば、横浜フットボールクラブは1866年に創設されたが、それは世界最古のラグビークラブの一つである。

というわけでW杯決勝が、江戸時代末期、明治維新直前に日本で初めて行われたラグビーの試合会場からとても近い、横浜国際総合競技場で開催されるというのはふさわしい。

「桜の戦士たち」の偉業は自国にレガシーをもたらす。「ティア1」と呼ばれるラグビー強豪国は、トップレベルの国際大会に日本をレギュラー国として迎え入れざるを得なくなるだろう。それは、才能豊かな日本選手たちに、この先のW杯でさらなる活躍の場を与えることを意味する。

2019年W杯は、近隣国との緊張関係に苦慮する日本に対し、自信を高める結果となった。そして多民族チームが成し遂げた夢のような成功は、日本がこれまでとは違った発展に向かうための意義ある一歩と言える。

日本はこの秋、世界に何を与えたのか。災害で人命を失った悲しみが残るものの、まずは喜びに満ちた体験である。そして、数々の素晴らしい試合ばかりでなく、日本代表と日本人が見せてくれた並外れたチームスピリットが記憶に残る大会となるだろう。

(翻訳・天野 久樹)

バナー写真:準々決勝の日本対南ア戦、リーチマイケルが突進(時事通信)

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