羅大佑、メイデイ、クラウド・ルー:台湾ポップスの限りない魅力
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羅大佑のアルバムから受けた衝撃
中華圏の音楽を日本に紹介する仕事をして30年近くになるが、最初に誘われて行ったのは台湾だった。80年代、私はワールド・ミュージックという世界に起きたムーブメントに狂喜し、個人的にはサルサという音楽が大好きで、生まれた街ニューヨークによく行き、ライブに通った。レコード会社の人に行きませんかと誘われ、台北に行ったのはそんな時。ここはプエルトリコみたいだな(サルサはニューヨークにいるプエルトリコ人が作ったもの)、なんて感じに思っていた。が、そこは一応音楽を紹介する仕事をしている身。レコード店に行き、お薦めのレコードを何枚か買って帰った。
その中に、羅大佑(ルオ・ダーヨウ)というアーティストの「原郷」というアルバムがあった。1991年リリース。これを聴いて衝撃を受けた。インタビューをしたいと思った。
しかし手段がない。はてどうしたものかと思っていたところ、当時ロック・レコードにいた張培仁(ランディ・チャン)氏と、彼がアーティストを連れてきていた東京の音楽祭の打ち上げで知り合うことができたのだ。その時は名刺を見て、「あ、羅さんと同じレコード会社の人だ。ラッキー!」くらいに思っていたが、その後会社を起こし、Simple Lifeというコンセプチュアルな音楽祭を大成功させ(今では中国3カ所でも行っている)、誰でもが作品をアップロードし発表できるstreetvoice.comというサイトを立ち上げた(ここから有名になったアーティストは多い)。さらに、日本のアーティストも多く出演している台北の中心・華山にあるライブハウスLegacyを運営するなど、台湾音楽シーンへ多大な貢献をしている人なのである。
そのランディ氏に、羅大佑氏のインタビューをセッティングしてくれないかと頼んだ。その時、羅大佑氏は香港にレコーディングスタジオを持っており、香港に行けるかと聞かれた。若いときには行動力がある。「もちろん」と言い、すぐに香港に向かった。
90年代の中華圏音楽をけん引した台湾ポップス
スタジオで会ってくれた羅大佑氏は、いきなり、僕は客家人だと言った。えっと、それってどういう意味なんだろう? 音楽の話をじっくりしようと質問をたくさん考えていったのに、出鼻をくじかれた。羅大佑氏は続ける。中国、香港、台湾と中華圏に大きな三つの文化圏がある……この地域の政治はこうだ…台湾には中国の福建省から移住した漢人の他に同じ漢人の客家や先住民族がいる……台湾には外省人と本省人がいる・・・。そんなことを、ホワイトボードを使いながら、まさに先生の講義のように丁寧に教えてくれた。
羅大佑氏はこうも言った。「『原郷』に収録されている曲『火車』のミュージックビデオは列車の中で撮影しているけど、その列車は日本統治時代に作られた線路を走っている。日本は台湾を植民地にしたけれど、インフラも造ったんだ」。講義は3時間にも及び、香港の強い冷房で唇が青くなったが、面白かった。感動した。
それから台湾ががぜん面白くなり、通うようになった。ある時、ランディ氏が今度レコード会社を始めると言った。名前は魔岩(マジックストーン)レコード。「北京には本物のロックがある。それと台湾の本物のロックを出す」。実際、北京の素晴らしいロックミュージシャン(唐朝、黑豹、竇唯などなど)のアルバムをリリースした。政治的理由によるさまざまな制約がある中でロックをし続ける、強くて個性あふれる北京のアーティストたちも知ることができた。
そして、台湾。1987年に戒厳令が解除され、ミュージシャンたちが自分のアイデンティティーを音楽にぶつけて表現し始めた。それは多種多彩で本当に面白かった。そのアーティストの多くが魔岩から世に出た。
台湾語ポップスの大ヒット曲「向前走」を歌い、後には映画に深く関わっていく林強(リン・チャン)。泥臭いロックがかっこ良くて、小さなライブハウスから3万人規模を成功させるようになったキング・オブ・ロックの伍佰(ウーバイ)。あくまで面白おかしく社会を風刺する豬頭皮(ツートーピ)。アトランタオリンピックの宣伝曲にサンプリングされた先住民の郭英男(ディファン)。おしゃれなスタイルでデジタルサウンドの面白さを見せたBABOO。台湾ヒップホップのキングMC HOTDOG。特徴ある声でとがった作品を出した楊乃文(フェイス・ヤン)。可憐(かれん)ながら芯が通っていて、その生き方も愛される陳綺貞(チア・チェン)など、台湾のポップスを堪能した。
台湾の90年代前半は香港のスターが圧倒的な人気だったのは事実だが、この時代の台湾の音楽には太い骨があった。つまり、どれもこれも圧倒的に台湾的だったのだ。
そして96年12月に先住民族のポップシンガー張惠妹(チャン・ホイメイ)が登場。スーパーバンド五月天(MAYDAY)が99年にデビューし、2000年には中華圏のトップアーティスト周杰倫(ジェイ・チョウ)が現れる。彼らの大成功で台湾ポップスが中華圏全体を席巻するようになっていく。
日本で大成功を収めたF4
台湾エンタメといえば、アイドルグループF4の存在を忘れてはいけない。日本のコミック『花より男子』をドラマ化した「流星花園」がアジア中で大ヒット。主役のF4を演じた4人の男性は一夜にしてスーパースターとなった。
2002年12月、F4の香港コロシアム(中華圏の日本武道館的存在)でのコンサートに行ったことがある。F4のライブと同じ月の香港コロシアムでは、周杰倫や張惠妹もコンサートを行っている。台湾ポップスが中華圏で成功している。そういう印象を受けた。
ライブの前日、多くの人が集まった記者会見で地域別の囲み会見が最後にあった。「香港」「シンガポール」などと呼ばれるとその地域の記者が皆部屋に入って行く。そしてほぼ人がいなくなったと思ったら、「ジャパン」と呼ばれた。友人と一緒に部屋に入ったら我々だけ。彼らのすぐ前に座り、「F4の4人より少なくてすみません」などと言いながらインタビューをした。
その後ドラマ「流星花園」は03年に日本での放送が始まり、08年には横浜アリーナで2日間、日本武道館で2日間、大阪城ホールで3日間のコンサートを行い、大成功させた。この規模のライブを日本で行えた台湾のアーティストは、今のところ彼らだけだ。
日本人の関心も高まる台湾ポップス
現状はどうだろう。まず台湾に対する日本人の親近感がここ数年高まっているという背景がある。東京を歩けば、こんなにあるの?と思うほど台湾発祥のドリンク店があり、若い女性が列を作っている。ネット上では「東京おすすめ台湾ドリンク店」といった記事も多く見る。書店に行けば多くの台湾紹介本がある。台北・台南だけでなく、東部台湾に特化したガイドブックもある。そんな「台湾好き」が増えたことで台湾のポップスがより日本に入って来やすくなったのではと思う。
また、日本のミュージシャンにとっては、ツアーの一部として台湾でライブをすることがもはや特別ではなくなった。台湾人に言わせると、毎週のように日本人が台湾で活動している感じだそうだ。
もちろん、台湾ポップスが日本で続々チャートインするといった成功はまだ見せてはいない。しかし台湾のアーティストの魅力を感じた日本の会社が、台湾のマネジメント会社と関係を持ち活動を始めるところが増えるのを見るにつけ、希望的観測だが近い将来何かが起こるのではと思うのである。
盧廣仲(クラウド・ルー)という台南出身のシンガー・ソングライターがいる。私は、このアーティストがディープ台湾的な部分と洋楽的テイストの両方を持っているところに感心し、日本でも受け入れられるのではと思っている。周囲の音楽業界の人に盧廣仲の音を聴いてもらうと大抵評判が良い。そんな思いが通じたのか、2017年から日本のワイズ・コネクションという会社がエージェントになった。
盧廣仲は2008年のアルバムデビュー時から才能を高く評価されてきたが、17年に大ヒットしたドラマ「花甲男孩轉大人(邦題:お花畑から来た少年)」に主演し、その演技が評判となり台湾のエミー賞と呼ばれる金鐘奨で主演男優賞を獲得した。ドラマの主題歌も彼によるもので、「魚仔」は今や台湾で最も愛される曲の一つになっている。
忙しくなった盧廣仲は日本になかなか来られない。しかし日本に窓口があることで宣伝が行われ、17年は400人収容のライブ会場で、18年には1000人規模の会場で、いずれもソールドアウト(完売)にした。18年にはビルボード東京で追加公演も行った。
日本で観光とライブをセットで楽しむ
東京と台北両方にあるライブハウス「月見ル君思フ」。東京では台湾のアーティストが頻繁に、台北では日本のアーティストがライブを行っている。主催者は2地域のアーティストを一緒に中国も含めてツアーを行い、台湾アーティストのCDリリースにも積極的だ。
面白い現象がある。2018年、台湾で最も若者の支持を得た草東没有派對(No Party For Cao Dong)というバンドが東京でライブを行った。彼らは日本では全くと言っていいほど活動していないにも関わらず、あっという間にチケットはソールドアウト。当日は多くの若者が台湾から来ていた。日本で観光をしながら大好きなバンドを見る、そんな動きもあるのだ。
五月天もそうだ。18年に日本武道館での2日間のコンサートチケットを売り切り、19年は4月に大阪城ホールで2日間行なう。ビートルズがライブをした日本武道館でコンサートを行うことは彼らにとっても特別なことで、中華圏から観客が来ることで商業的にも可能になった。
台湾は今も良質の音楽を生み出す中華圏のメッカだが、中国からも才能のある若いミュージシャンが続々出てきており、台湾の音楽業界の人は「5年後の状況が今と同じかどうかは分からない」と言う。また台湾には、中華圏全体で活躍するアーティストもいるが、台湾独立を主張することで中国では活動できないアーティストもいる。
小さいながらも豊かな音楽を生み出す台湾と、われわれ日本人はどう関わっていくのか。それは台湾の向こうにある巨大市場の中国大陸など中華圏全体を見ることでもあるのだ。
バナー写真=盧廣仲(クラウド・ルー)