「中立国」という外交資産
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「ハマス」という名を初めて耳にしたのは、ガザ地区南端の街ラファのモスクだった。ガザの若者たちが、イスラエルに対する抵抗闘争(第1次インティファーダ)を開始してしばらくたった1988年春のことである。
イスラエルの軍事占領下にあったラファのパレスチナ人の友人宅に、1週間ほど泊めてもらいながら取材を続けていた。その家の子供からモスクで鉛筆やノートを配り、病人を診てくれる団体があると教えられたのだ。
ハマスはまず教育や医療を無償で提供する福祉団体として住民たちの心をつかみ、パレスチナ人を代表していたPLO(パレスチナ解放機構)主流派ファタハに対抗して確固たる政治的基盤を築いていった。カッサム旅団など軍事部門に応募する若者も増え、昨年10月のイスラエルへの越境攻撃につながっていく。
石礫(いしつぶて)しかなかったガザの若者たちの武器は、この30年余りでミサイルや迫撃砲に替わり、対するイスラエル軍はゴム弾と催涙弾から空爆や戦車へと、戦場の風景は様変わりした。でもイスラエルの圧倒的軍事力に対し、住民が自らを犠牲にすることで国際世論を喚起するガザの基本構図は変わらない。
その中にあって、決定的に変わってしまったものがある。抵抗闘争はその後、北欧ノルウェーを舞台にしたイスラエルとPLOの秘密交渉を経て、1993年の「オスロ合意」(暫定自治合意)として結実した。エゲランド外務次官ら官僚、ラーセン夫妻ら学者たち…。ノルウェー側の忍耐強く献身的なホスト抜きには、合意には到達しなかった。対立する両者をテーブルにつかせ、合意を生み出す国際環境がこの時、間違いなく存在した。
2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻を受け、世界は米欧日など「民主主義陣営」と、中ロなど「権威主義陣営」との分断が深刻化している。永世中立を宣言するスイス、オーストリア以外にも、第2次大戦後に米国主導のNATO(北大西洋条約機構)、旧ソ連主導のワルシャワ条約機構のいずれの軍事同盟にも属さず、「中立」を選択した国がいくつか存在した。しかし現実化したロシアの脅威を前に、北欧のフィンランド、スウェーデンが雪崩を打つようにNATOに加盟し、「中立でいること」が極めて困難な世界が生まれている。
1990年代前半にスイス・ジュネーブで行われた米国と北朝鮮の枠組み交渉や旧ユーゴスラビア和平交渉を取材して、当事者が国を離れ、中立的な環境に身を置いて自らを客観的に見つめ直し、冷静に協議する環境の貴重さを痛感した。
ノルウェーという中立的な「場」と、国際メディアを含め監視の目が緩く秘密が守られる静謐(せいひつ)な「環境」抜きに、オスロ合意は成り得なかった。ガザでの停戦が成立したとしても、和平交渉をどこで開催するのか? 現在交渉の場を提供しているエジプトやカタールはノルウェーにはなり得ない。世界の2極分断が進む中、「中立国」という貴重な外交資産を失うツケは結局、パレスチナに回ってくる。