説明責任と政治責任
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自民党のいわゆる派閥が政治資金の調達をめぐって「裏金」を作ってきたという慣例は、国民一般に衝撃を与えた。しかし、この事件について、政治指導者たちが、与野党を問わず、関係者の「説明責任」を強調してきたことは、いささか異常に思える。なぜならば、そもそも、こうした裏金作りは、政治資金規正法という法律に違反した、いわば犯罪行為だからである。現行法制上、法的責任がたとえ議員本人に及ばず、事務担当者の責任にとどまるとしても、法律の趣旨、精神に反することは明白である。
犯罪行為に対してなぜそれをしたか、違法に得た資金をどう使ったかを説明せよというのは、こそ泥をした者に事情を説明しろと言っているに等しい。問題は、説明責任ではなく処罰であり、本人たちの誠意ある反省、謝罪の言動であろう。ようやく関係者の処罰が実施されたが、裏金作りという行為の決定過程とその責任者が明白になったとは言い難い。
ここで、そもそもわが国において政治的決定が行われる過程に目を向けねばならない。この点については、宮沢喜一元首相とキッシンジャー元米国務長官の対談記録に興味あるやりとりがある。
キッシンジャー氏は、どうも、日本における政治的決定のやり方は米国などと違い、個人が責任をとって、一気に決めるというようなことがないといった趣旨の論評をした。
これに対して、宮沢氏は、その理由について、ほぼ次のような説明を行った。すなわち、日本では、政治的決定、とりわけ重要な事柄になればなるほど、個人が決めたという形をとらず、集団的合意の形成を経て決定するのが通常だと述べたのである。
事実、日本では根回し、相談、参画が重視される。例えば戦後最大の政治的決断ともいえる、田中角栄内閣の日中国交正常化についても、田中首相は野党の竹入義勝・公明党委員長に、事前の中国訪問という形で大きな役割を演じさせ、また、自民党内部についても、親台湾派を台湾に派遣し、他方、親中国派の議員団を中国に派遣して、それぞれ役割を演じさせた上で、田中自身の訪中を実現した。
このように、集団的合意形成を重んじる日本のやり方は、時間が掛かったり、責任の所在が明確でなくなったりという欠点がある。他方、このようなやりかたは、「個人」と「地位」を分離する効果を持つ。
物事を決定した責任が総理、総裁、大臣と言った「個人」に集中しないため、そのポスト、すなわち総理、大臣といった職名ないし地位そのものの権威が傷つく危険をある程度防止できる。他方、個人的政治責任が強く追求される国では、ややもすると政治家個人を越えて、大統領や首相という地位あるいは職名の権威自体が、崩れ落ちる危険をはらむ。
また、「日本的」合意形成過程では、「説明」が重視される。なぜなら説明の過程は、政策決定過程への間接的参画となり、間接的な責任分担の一助となり得るからである。
しかし、そうした合意形成方式は、前向きな政治的決定には適当としても、今回の裏金問題のように、いわば「悪事」の決定をめぐって行われると、その隠蔽につながりかねない。政治資金規正法の改善も結構だが、集団的政治決定方式の影に隠れて、政治家個々の倫理観が薄いままでは、法律にも抜け穴ができてしまうのではあるまいか。
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コラム「私の視点」を始めます。3人の筆者に交代で国内外の出来事や文化、歴史などを料理してもらいます。毎月2回程度を公開する予定です(ニッポンドットコム編集部)