人形浄瑠璃で深まった日本語と日本文化への理解 クロエ・ヴィアート(フランス、順天堂大学准教授)
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少女時代に発見した不思議の国
あなたが日本と出会ったきっかけは何ですか? 外国人にこう尋ねると、返ってくる答えの多くは「漫画」「アニメ」「ビデオゲーム」などだろう。クロエの場合は少し違った。小学校のクラスメートに日本人の女の子がいたのだ。彼女と気が合い、家に何度も遊びに行くうち、幼いクロエは未知の言語と文化を発見することになる。
テレビからNHKの放送が流れる不思議な雰囲気の居間で、友達は風変わりなノートを見せてくれた。初めて見る漢字の練習帳だった。七五三に着たという着物をプレゼントしてもらったのも忘れられない思い出だ。こんな風に未知の文化に触れた幼少期の体験が、十数年後に大学で日本語を専攻することへとつながっていく。
「当時の先生の口癖は『漢字は友達』。そのせいで学生から嫌われていました(笑)。でも今では厳しくしてくれたことを感謝しています」
教師は漢字を覚えやすくするように物語を作ってくれた。おかげで、例えば「猫」という漢字からは、田んぼで遊ぶ猫の姿が自然と思い浮かぶようになったのだという。
アルバイトで学ぶ日本語・日本文化
外国語を習得するには、もちろん文字を覚えるだけでは不十分。相手の言葉に反応しながら自分の意思を伝える、つまり会話という別の難関を越えなければならない。それには、実際に会話せざるを得ない状況を作ることだ。あとはその中に飛び込むしかない!
クロエが思いついたのはアルバイトだ。「ジャポン」をキーワードに求人広告を探し、持ち前のバイタリティーで次から次へと面白い仕事を見つけていった。高級皮革ブランド「エルメス」のショールーム、パリの有名なパサージュ(19世紀にできたアーケード商店街)で開かれた日本人デザイナーのファッションショー、能楽・観世流のパリ公演などだ。
能公演の舞台裏では、日本語の細かな言い回しを知らなくても、敬語が使えなくても文句は言われない。舞台芸術の知識が最低限ありさえすればよかった。あとは現場で学んでいくだけ。幸いクロエにはバレエの世界で20年の経験があった。能楽の一座と濃密な時間を共にしたことが、のちにクロエと人形浄瑠璃の出会いを生む伏線になっていたのかもしれない。
日本海の島で人形芝居に出会う
フランス語の教授資格を得て新潟大学に勤めることになったクロエは2008年8月、新潟で「猿八座」の稽古を見学できることになった。猿八座は佐渡を拠点とする人形浄瑠璃の一座で、大阪で文楽の人形遣いの修業をした西橋八郎兵衛(にしはし・はちろべえ)が1995年に立ち上げた。佐渡に残る「文弥(ぶんや)人形」を中心に古浄瑠璃の復活上演を行っている。
「かつて金山で栄えた佐渡は、全国各地から人々が集まり、文化や芸能が発展しました。その後、よそでは失われてしまった伝統芸能も、地理的条件のおかげで守られてきました。人形浄瑠璃もそうで、文楽が隆盛する以前の形態が残っていたのです」
人形浄瑠璃についてほとんど知らなかったクロエだが、一目見てその雰囲気に魅了され、翌年には門をたたいていた。猿八座には女性も若手も多くはないが、熱意さえあれば入門者に条件はない。もちろん国籍も問わない。クロエは意を決して人形浄瑠璃の世界に飛び込んだ。すべては見よう見まね、文字通りの見習いだ。
こうして09年11月、クロエは人形遣い「八里(やさと)」としてデビューする。猿八座の団員は皆、「猿」か「八」の付いた芸名をもらうが、師匠が付けてくれたこの名は故郷パリにちなんでいる。
江戸時代の草書を解読
猿八座の一員となって以来、クロエは自身の日本語が飛躍的に上達するのを感じていた。ちなみに、一座の演目のほとんどは近松門左衛門(1653-1724)の作品だ。一言一句変えることなく、当時書かれた通りに語られる。クロエは物語を理解するために、一人で格闘しなければならなかった。
「難しいならやってやる!」そんな精神が彼女にはあった。難読至極の台本を受け取っても、決して文句は言わない。分厚い辞書を手に、額に汗して、ひたすら草書体を「解読」するのだ。彼女の努力は単なる読解にとどまらず、近松の戯曲をフランス語に翻訳するにまで及んだ。それによって初めて、全体を通してすべての場面を捉えることが可能になった。
「人形は太夫(語り手)が語るテキストに合わせて動きます。つまり人形遣いは、テキストを耳で完全に覚え、それに基づいて正しい動きを作り出さなければなりません。公演の準備に入ると、作品の背景を理解し、その内容を消化し、語りを暗記して、自分のものにしなければならないのです」
語りを理解する上で難しいのは「主語」を見つけることだ。誰が話しているのか、相手に答えているのか、それともナレーションなのか? 浄瑠璃の台本にト書きはない。クロエの翻訳作業は、当初は読み違いも散見された。ただ幸いなことに、その間違いは稽古で修正することができる。同時に、稽古では即興の技術を学ぶこともできた。クロエは人形浄瑠璃をジャズに例える。
「これを聞いたらこう動くといった、定まった振り付けがあるわけではありません。稽古中には、特定のタイミングで合わせるポイントを決めるだけです。人形浄瑠璃の芝居はこれらのポイントを基本に成り立っており、その間に関しては、即興かつ自由なのです」
複雑な芸が訴えかける人間の普遍性
装飾のほとんどない空間。静寂を切り裂く三味線の響き。黒衣に身を隠した人形遣いの手で、木製の人形たちが躍動する。この簡素な舞台の裏には、日本文化の奥深さへといざなう精緻な芸が隠れている。それに触れられたことに、クロエは大きな喜びを感じている。
「人形浄瑠璃と出会ったのをきっかけに、日本の舞台芸能について、たくさんのことを学ぶようになりました。日本語だけでなく、歴史、文学、仏教から男女の関係まで。泣き方にもいろいろあるし、刀や槍(やり)をどう持つか、機織りをどう使うか、どうやって着物を縫うか、帯やひもをどう結ぶか……、学ぶことは無限にあります。終わりがないからこそ、夢中になれるんです」
08年、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録された「人形浄瑠璃文楽」。とはいえ、永続が保証されたわけではない。上演されれば多くの観客が足を運ぶが、若い世代にまで浸透しているとは言いがたい。クロエは人形浄瑠璃が若者に訴える魅力についてこう語る。
「物語のほとんどが現代の私たちの関心事とかけ離れているのは確かです。ただ興味深いのは、愛や思いやり、一方で欲やおごりなど、時代を超えた普遍的な心情が描かれていることです。そこが観客の心に訴えかけられる。子どもたちも大喜びします」
日本語の習得は富士登山のようなもの
舞台の外では大学の教師というもう1つの顔を持つクロエ。東京の順天堂大学でフランス語を教えている。それ以前には、新潟のテレビ番組にコメンテーターとして出演したほか、NHKテレビ・ラジオのフランス語講座で長年レギュラーを務めるなど、多才ぶりを発揮してきた。
テレビカメラの前で外国語を話すのは、とてつもない緊張を強いられるはずだ。そうした困難に自分の意志で臨み、打ち勝つことこそがクロエを成長させてきた。
「生放送の番組を即興で乗り切る時間は、自分がそれまでに学んできたことを大いに刺激してくれます。日本語で書かれた台本を暗記することで、知らず知らずに付いてしまった癖がうまく直せるんですね。私たちにとって、例えば、主語に続く『~が』と『~は』とか、場所や時間を表す『~に』と『~で』といった助詞の区別は難しいですが、それが自然と身に付くのです」
外国語を習得するには練習あるのみ、というのは誰もが知ることだが、それが簡単ではないからこそ挫折も多い。クロエの場合は、自分が情熱を注げるものとの出会いが大きかった。最後に、続けるための心構えを聞いてみよう。
「困難から逃げずに、自分の前に立ちはだかる山に立ち向かうこと。富士山を登る途中には、いくつかの休憩所がありますよね。そこまでたどり着いたら少し息を整え、さらに上を目指して新たな挑戦をする。上達するにはそれしかありません。でも何より大切なのは、自分が楽しめる挑戦をすること。語学の勉強も人生も、楽しむことが成功のカギだと思います」
(文中敬称略)
取材・文:ヴァンソン・フィンダクリ(ニッポンドットコム)
原文フランス語、編集部/海外発信部が翻訳・編集
インタビュー撮影:ニッポンドットコム編集部(その他の画像は本人提供)
バナー写真:人形遣いとして活躍するクロエ・ヴィアート(本人提供画像をもとに作成)