アフター「義援金」「李登輝」「コロナ」の日台関係を考える
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李登輝元総統の死去は、それ自体は非常に残念なことではあるが、日台関係が新しい時代に入らなければならないことを我々に気付かせてくれた。
李登輝は、日本でもなお生前の発言をまとめた出版物の刊行が相次ぐなど、その死を惜しむ声は止まない。1994年の司馬遼太郎『街道をゆく 台湾紀行』の出版以来、日本において李登輝という存在は要石であり、李登輝抜きには日台関係は語れなかった。その逝去によって一つの時代が名実ともに終了し、日台関係が「アフター李登輝」の新局面に入ったことを意味する。
日台関係は、1950年代から70年代までは、蒋介石元総統が一つの象徴だった。戦後処理にあたって対日寛容を説いたとする「以徳報怨(いとくほうえん)」が、日台関係を重視する人々のキーワードだった。一方、90年代以降に台湾民主化を主導した李登輝という人物が、日本人以上に日本人らしい日本語で、哲学や歴史を語ることに日本人は魅了され、李登輝ファンが日本では一気に広がった。
だが、これからは、蒋介石や李登輝のように、日台関係の象徴となる人物が現れることはないだろう。日本では安倍晋三前首相や岸信夫防衛相が親台派政治家として今後重鎮になっていくだろうし、台湾でも頼清徳副総統ら親日的な政治家で名前が上がる人はいる。だが、彼らと、蒋介石・李登輝を比べる必要はない。李登輝や蒋介石は、戦争や植民地領有に関わった時代背景があったからこそ生まれたカリスマであり、我々はカリスマなき日台関係をこれから迎えることになる。
「台湾はすごい」という日本人の思い
日本は、空前の台湾ブームである。「台湾に学ぼう」「台湾はすごい」。そんな思いを、普通に多くの人々の口から聞くようになった。大きく弾みがついたのは、台湾のコロナ対策である。現在でも通算の感染者を1000人以下に抑え込んでいる(2021年3月12日)。1日の感染者が1000人を超えることが常態化している日本からすれば、異次元のレベルである。
その副産物としてマスク対策などで活躍したオードリー・タン氏の人気が日本で沸騰した。日本での人気は、台湾本国をすでにしのぐレベルに達している。ジェンダー問題やIT問題などで悩んでいる日本にとって、彼女の存在自体が台湾の先進性や開放性を象徴し、現状打破の参考にしたい対象となっているのだろう。
このブームの出発点はやはり、2011年3月11日の東日本大震災による日本への義援金だった。主に民間の小額募金による200億円(現在のレートではおよそ250億円)は、その当時、メディアで大きく報道されたわけではない。大量の震災・原発事故報道に埋没したと言っていい。だが、次第に日本人から台湾への感謝表明が重ねられ、日本人の間で知らない人がいない「神話」となった。この経緯は、植えられた種が芽を出し、徐々に大輪の花を咲かせる様を思い起こさせる。
台湾を啓発できない日本
一方、日本がいま台湾を、何か新しい「価値」によって啓発できているかというと、正直、思い当たるものがない。日本の歴史や日本のサブカルチャーは相変わらず人気で、コロナの前には日本観光に台湾の人々は大挙して押し寄せていたが、現代の日本社会に対して、台湾の人々の関心はあまり高いとは言えない。日台間の相互訪問が不便な状態は2021年も当分続くだろう。台湾人の対日関心がいつまで保てるか心配である。
歴史を振り返れば、日本は常に台湾の前を行く存在であった。日本は台湾を領有し、インフラ整備や教育の普及、医療や衛生の改善などを通して台湾に「近代」を持ち込んだ。戦後も日本は台湾にとって主要な投資国であり、科学技術や社会制度などを台湾が日本から学ぶ関係であった。だが、少なくともこの10年は、日本が台湾から「与えられる」ことはあっても「与える」ことは少なかったのではないだろうか。経済面においても、日本の「日の丸」半導体は失速し、台湾のTSMC(台湾積体電路製造)は世界のトップを行く生産能力を持つに至り、米国から戦略的協力相手と大事にされ、台湾の国際的地位向上にも一役買っている。台湾のホンハイ(鴻海)にシャープが買収されたことに象徴されるように、IT・電子産業における日本の優位性は揺らいでいる。
いつまでも義援金の話題に頼ることはできない。今後、日本が台湾にとって、どんな「価値」を提供することができるのか、改めて考え直さなければならないだろう。
良好な相互感情
日台関係については、基本的には、相互に好意を抱いている人的交流に支えられてきた部分が大きい。中国が3月から禁輸を始めた台湾産パイナップルについて、日本で購買運動が起きたことはその表れである。現在の日中関係が主に国家利益や経済利益に基づいて関係改善が叫ばれていることとは対照的となっている。
その点は、世論調査からも明らかだ。2020年12月に台湾の台北駐日経済文化代表処が発表した意識調査では、「台湾、中国、韓国、タイ、シンガポールの中で最も親しみを感じるのはどこですか」という問いに対して、49.2%の人が台湾を挙げている。韓国は17.1%、シンガポールは13.1%、タイは10.5%、中国は2.9%で、台湾への強い好感度が裏付けられた。
一方、日本台湾交流協会が2019年2月に発表した台湾での対日世論調査では「あなたの最も好き国はどこですか」という質問に対して、日本と答えた人は59%に達して、中国8%、米国4%を引き離している。この数字は若い世代の方が高い傾向があり、台湾で日本教育を受けた「日本語世代」と呼ばれた高齢者の対日好感度が強いという一般的な理解を覆す内容になっている。
数字だけ見ても、同じ東アジアで、中国、韓国、北朝鮮との間に日本が抱える国民感情の問題が、台湾においてはほぼ存在しないことに疑問を挟む余地はないだろう。問題は、この良好な相互感情を十分に生かしているのかどうかだ。
外交面での進展弱く
外交関係について言えば、国民党・馬英九政権時代の2013年に結ばれた日台漁業協定以来、それほど目立つ成果が見られていないのが現実である。2016年に誕生した民進党・蔡英文政権と当時の日本の安倍政権との間では、「ボタンのかけ違い」によるギクシャクが続き、外交面の進展は大きくなかった印象だ。
台湾側は、日本に対して、日本とのFTA(自由貿易協定)や日本が主導したCPTPP(環太平洋パートナーシップ協定)への加盟を求めてきた。国際的な枠組みから排除されがちな台湾にとっては、こうした経済枠組みに入ることは悲願ともいえる。
一方、日本側は、福島第1原発事故を受けた福島など5県産農水産品の輸入規制の解除を求めてきたが、台湾では食品安全問題に敏感な世論の反発から解除を実現できない。台湾の経済協定締結・加盟は実現せず、先に中国が入るRECP(東アジア地域包括的連携協定)などが生まれ、日台関係推進の勢いは失われてしまったようにも見える。
この点には、偶然がもたらした不運もあるが、日台双方に一定の責任がある。本来ならば、日台関係は、時速60キロで走ることができるのに、40キロぐらいしかスピードが出ていないような、そんな印象である。その原因がどこにあるのか、この震災10年を機に、もう一度、関係者は冷静に議論を重ねて欲しい。
日台で将来像の共有とプランを
個人的には、日台間でどのような将来像を描き、共有するのかについて、中長期的な戦略が足りないように思える。日台間で具体的な政策目標を作るために、対話のプラットフォームをセカンドトラック(民間外交)で立ち上げるなど、いろいろできることはあるはずである。そこで必要とされるのは、経済、文化、学術、観光から軍事・外交面まで、国交がないなかでも可能な取り組みを抽出し、できるだけシステマティックに日台関係を接近させていくプランだ。
かつて日台関係は日中関係の裏面扱いで、どうしても対中配慮が優先され、台湾が脇に追いやられるケースが多かった。しかし、昨今の情勢をみれば、日中のために日台を犠牲する手法は過去のものになりつつある。日台関係をさらに密接化させる「民意」というエンジンはある。あとは火を付け、前に進むだけだ。それには具体的なプランが必要となる。それがカリスマなき時代を迎え、義援金神話を超えてアフターコロナの新しい日台関係を築いていくための道筋になるだろう。
バナー写真=東日本大震災発生から10年、当時の台湾からの支援に改めて感謝を示そうと、東北の人々から台湾に向けて「ありがとう台湾」「大好き台湾」のメッセージを伝える壁面ラッピングが台北の地下鉄中山駅に登場した(向井純さん提供)