たたかう「ニッポンの書店」を探して

声の小さな人の側に立つ本だけを並べる書店-熊本市・橙書店

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よいと思った本だけを並べる書店主に表現者たちが信頼を寄せ、文芸誌が始まった。ここは熊本の内外の表現者がつながる地下水脈だ。

 硝子の扉を押し開けると、いつものようにカウンターの内側から店主が振り向いた。「おかえり」と、その人、田尻久子さんがニコッと笑い、店を訪ねることのできなかった時間を思った。

 熊本城のふもとに広がる城下町、電車通りから一歩路地に入った古いビルの2階。入り口の左手にはカウンター席。背後のゆったりとした喫茶席は一面の窓から陽の光が差し込む。扉の右手に4000冊ほどの本が並ぶ橙(だいだい)書店は、田尻さんが編集人を務める文芸誌「アルテリ」の編集室でもある。

熊本城

 さまざまな材質の木板を使って天井のかなり高いところまで書棚が組みあげられ、小説、エッセイ、詩集、写真集や画集などが静かに客を待っている。丸い木の椅子も小さな机も、空間にある家具はすべて時間を経ていて、質素だが美しい。

 熊本に実家があり、私は帰省するたびごとに橙書店に立ち寄ってきた。コロナ禍で長く間が空いて、この夏ほとんど2年ぶりに訪ねることができた。

書棚

「やりたくないことはやりたくない」

 田尻さんはカフェと書店の経営に加え、文芸誌「アルテリ」の編集人であり、詩人・谷川俊太郎の絵本を出版する版元でもある。自身も新聞や雑誌で連載を持つ優れたエッセイストだ。膨大な実務を淡々とさばく仕事ぶりは周囲の誰もが認めるところだ。

 常連客で現代アーティストの田尻幸子さんは「5人分働いてる。もう死ぬんじゃないかというくらい」と体調を気遣った。だが地元紙の記者によれば「久子さんは儲けるのが下手な人」らしい。

 図星だったのだろう、田尻さんは「たまには得しないとつぶれちゃう」と苦笑した。そしてこんなことを言った。

「結局、こんな儲からない仕事をしているいちばんの理由は、やりたくないことはやりたくないからなんですよ」

店内

 もしも田尻さんが経営者ではなく雇われている人だったら、置きたくない自己啓発本を並べなくてはならないこともあり得るし、気の進まないイベントを引き受けなくてはならないかもしれない。だが、橙書店では自分で選んだ本を並べ、大切だと思うイベントだけを行う。そのため、会計処理とか作った本を売るための請求書とか、瑣末で面倒な一切のことを自分で引き受けることになる。

「でも、それは意に沿わないことではないんです。意に沿うことをやるための手段だから。そこは大きく違うし、心の底からやりたくないことはやらなくて済むんです」

 会社勤めの20代、若い女性という理由で事務職なのに営業の接待要員として駆り出されそうになり、社長との会食に秘書業務と称して引っ張り出された。そういう場所で田尻さんは折り合えない。いずれ会社員を辞めて自分で商売をしたい、そのときに役立つだろうと、20代の終わりに未経験ながら別の会社の経理職の求人に応募した。入社時期が期末決算にぶつかり、産休に入った前任者からはほとんど引き継ぎのない中、独力で帳簿作業をして経理を覚えた。

外観

打ち上げの席の一言で始まった本屋

 32歳でその会社を辞めて、繁華街の路地でカフェ・Orangeを始めた。
 店では雑貨を取り扱い、高校時代から愛読する雑誌「SWITCH」など書籍や雑誌も少し並べていた。くまもと文学・歴史館が「SWITCH」発行人の新井敏記さんと詩人の伊藤比呂美さんの対談を企画した際、職員が二人をOrangeに案内し、田尻さんに引き合わせた。その縁で伊藤比呂美さんの主宰する「熊本文学隊」に巻き込まれ、事務局を引き受けた。

 そんな本に関わる人たちが、Orangeで開かれたある打ち上げの席で「隣りが本屋になればいいのにね」と飲みながら言い合った。田尻さんは祖父母のもとで育った子どもの頃から近所の本屋に通い、本屋と本が好きだった。酒呑みたちの冗談ともつかない言葉から、本屋を始めようと田尻さんはふと思ってしまったという。

 どんな本を置くかを決めると、田尻さんは1社ずつ出版社に直接電話をかけ、取引の交渉をした。取次を通して委託販売をする書店業界特有の流通手段を田尻さんは選ばなかった。

 借金を増やして購入した約1000冊の本とともに、2008年にOrangeの隣りで橙書店は始まった。
「売れなかったら返せばいいや、では選び方がどうしても甘くなるんじゃないかと思って」と田尻さんは振り返った。

 現在の場所に移転した今も、在庫の9割は買い取っている。そのため経理上は「資産」となり、課税の対象になる。
「うちみたいなやり方はおすすめはできないかなあ。やっぱり、経営は大変だから。最近は出版社との直取引が珍しくなくなってきましたけど、最初は出版社の人から『どうして取次を通さないんですか』ってよく聞かれました」

作家を支える場所

 書棚を見るとその人がわかるという。
 田尻さんが1冊ずつ揃えた橙書店の棚を信頼し、頼った作家がいた。坂口恭平さんだ。坂口さんは早稲田大学建築学科を卒業すると路上生活者の住居を集めた写真集でデビューし、文筆活動を始めた。2011年の東日本大震災をきっかけに地元熊本に活動の場所を移し、2015年に二人は出会った。その頃、坂口さんは双極性障害に苦しみながら表現に試行錯誤していた。やがて、Orangeへ来て原稿を書き、書き上げた原稿を田尻さんに向かって音読するのが習慣となった。不調で家から出られない時はケータイで読み上げた。

「久子さんはちゃんと原稿を読んで、面白いと思ったときに面白いという人だった。しかも、俺が面白くないと思ったときに久子さんが面白いって言う方が多かった。俺が面白いと思って送ると、うーん、これ、ちょっとうまく書けすぎじゃない?って言われる。それより、俺が鬱でうーっと苦しんでいるときの、とりあえず自分の中のものをいちばん描き殴っているような、ほとんど自分でもわかんないけど文字が頭の中に見えるんでそれを打ってみたというようなのを送ったときのリアクションがよかった。そのままでやりなさい、って言ってくれた」

坂口さん

 いいとか悪いとかではない、体の中にあるものを出しなさいと田尻さんに言われ、坂口さんは毎日、文字を吐き出し、恥ずかしくても、送り続けた。

「こんな経験は初めてだった。そのうちにコツがわかるようになったんだと思う。自分の頭の中にあることを文字にする単純労働なんですよ。わかんないものをわかんないままに書くのがおもしろいわけで」

 重たい鬱が続いた時期に坂口さんが書き上げたのが小説「現実宿り」だ。人間がいなくなった砂漠で砂が書き、語るという物語は、両極性障害に苦しむ坂口さんの頭の中を覗き見るような静かな透明感で読む側に迫ってくる。
 その後、自宅で朝4時から10枚書く執筆リズムを確立し、田尻さんから独り立ちできたが、今も原稿は田尻さんに最初に読んでもらうという。

熊本に根ざす表現者たちの連帯

 2016年2月には文芸誌「アルテリ」1号が刊行した。発起人で熊本在住の思想家・渡辺京二さんが名付け親だ。アルテリとはロシア語で「職人の自主的な共同組織」という意味だ。もともと田尻さんと坂口さんを引き合わせたのも渡辺さんだった。「行きがかり上、発行人にさせられた」と田尻さんは苦笑するが、その手から研ぎ澄まされた美しい文芸誌が生まれた。

 石牟礼道子、渡辺京二、伊藤比呂美、坂口恭平、吉本由美。熊本に根ざす同時代の表現者たちの緩やかなつながりは、「アルテリ」を通して目に見える形となった。

 原稿依頼、編集、デザイン発注、印刷といった作業を経て完成した雑誌を、注文のあった各地の書店に送る。その合間に田尻さんは自分の原稿を書く。1号は初版1500部が完売し、追加注文に応えて3刷まで伸ばした。

 12号までに登場した執筆者の顔ぶれからは、この場所を中心に日本のあちこちにつながっている表現者たちの地下水脈が浮き上がる。たとえば、最新号の12号に寄稿している東北仙台の出版社・荒蝦夷の土方正志さんと作家・池澤夏樹さん。そのうしろには5年前の熊本地震が引き寄せた出会いがある。
 熊本地震が発生した翌月の2016年5月、被災した石牟礼道子さんを見舞いに池澤さんが来熊した。田尻さんとは橙書店で詩の朗読会をするなどの関係だった池澤さんは、そのとき、熊本地震の直前に出版された土方さんの著書「震災編集者」を版元の河出書房新社から直接購入して橙書店に届けた。土方さんの被災経験を記した本が、地震直後で傷ついている熊本の本読みたちに役立てばと、池澤さんが田尻さんのもとに運んだ。その翌月には土方さんが橙書店を訪れた。池澤さんが本を届けていたと知って土方さんは喜んだ。地震の記憶をつなぐべく、その縁が今号になった。

 石牟礼道子さんの追悼特集、渡辺さんの2万字インタビュー。「アルテリ」は熊本のこの土地で作品を生み出した作家の足取りを同じ熊本の地で記録する。石牟礼さんの日記の連載に続き、今号から渡辺さんの日記の連載も始まった。

 東京のTitle、鳥取の汽水空港、福岡のブックスキューブリック、うきは市のMINOU BOOKSなど、全国のあちこちの書店に「アルテリ」は並んでいる。遠くに暮らす人たちも「アルテリ」を通して熊本の橙書店を感じることができる。

20年の道のりの末に

 橙書店が出版物を刊行することを、坂口さんはこう喜んだ。
「歴史をさかのぼれば、もともと書店と出版社は一つだったでしょう。それが今、熊本でも起きているんだよね。そこに自分も存在することがうれしい。久子さんもアルテリに書く人たちも、それぞれに自分の仕事を一生続けていくことを心に決めている人たち。いいときもあれば悪いときもある。悪いときには助けあうことができればうれしいし、そういう関係はすばらしいと思う」

店内

 声の小さな人の側に立った本だけを並べ、胸につかえたものを吐き出す客の言葉に耳を傾け、窓際で泣きにくる客を黙って見守る。愛想のいい人ではないのに、心の傷んだとき、なぜか慰められる。
 20年の道のりは決して平坦ではなかったはずだ。
 肥後猛婦という言葉がある。明治期、保守の色濃い風土で、虐げられる環境の中から現れ、社会事業やフェミニズムを切り開いた熊本出身の女性たちを、評論家・大宅壮一はこのような言葉で表した。
 田尻さんはこの字面から連想される勇ましさからは程遠い物静かな人だ。けれど、立場や肩書きに関係なく1対1の関係を大切にし、強い立場におもねらず、自分の手で他にはない場所をつくった田尻さんの矛盾のない生き方には、大宅が肥後猛婦と呼んだ人たちと共通する気風をかいま見る思いが私はする。

バナー写真:橙書店店主の田尻久子さん(写真は全てRICA撮影)

橙書店

熊本市中央区練兵町54

https://zakkacafe-orange.com/

営業時間 11時30分〜19時(平日)、11時30分〜17時(日祝)

*喫茶営業は12時〜

定休日 火曜日・第3月曜日

ジャンル 新刊

蔵書数 約4000冊

熊本 熊本地震 本・書籍 書店 石牟礼道子 池澤夏樹