ファンドマネージャーがつくった書店は「あなたがあなたであることの愛しさ」を分かち合う-東京・国分寺 胡桃堂書店
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カフェ経営者、編集者になる
布張りの青い表紙に、銀色のエンボス加工で刻まれた書名は『10年後、ともに会いに』。
27歳の女性がアメリカのインターナショナルスクール時代のクラスメートを訪ねて世界を旅した1年間の、再会と自らの心の移ろいを綴った物語だ。
無名の著者にして2500円(税別)という高額な価格設定だが、初版1000部を完売して再版となった。発行人は影山知明さん(46)。東京・国分寺でカフェを経営していた。
ある日顔なじみの女性客から、書きためた原稿があること、いくつかの出版社やウェブメディアと発表の企画話を進めてはいるものの、編集方針が腑に落ちないことを打ち明けられた。「じゃあ、いっしょにつくろうか」と思い立ったものの、影山さんに編集の仕事の経験はない。
本ができるまでの工程を調べ、印刷所や製本所に足を運び、訪ねる先々で「あなたみたいな人、初めてだよ」と呆れられながら、1年半後に美しい本が完成した。
『10年後、ともに会いに』は、取次を通さず手渡しを基本とした。発行人の経営するカフェに並べ、文学フリマで売り、著者がバッグにしのばせて日本のあちこちの書店を訪ねた。書店から書店へと本の評判が伝わり、全国40の書店やカフェに置かれるようになった。直販を徹底することで、著者印税は出版業界標準では10%のところ、30%を支払うことができた。
こうしてカフェの運営会社の業務に出版業が加わり、詩集、エッセイ、小説など、現在までに6冊の新刊を編んだ。1冊として同じような本はない。2店舗目のカフェを開業するとき、自然な流れで書店を開いた。2017年のことだ。「胡桃堂書店」と名づけた。
中央線の国分寺駅から歩いて数分の一軒家で、書店とカフェが境目なく同居している。雨降りの午後、約束の時間より早めに到着し、2階の喫茶席で一息ついた。胡桃とキャラメルのタルトにのせられたあんこと生クリームをホイップしたクリームがはっとするほど美味しかった。聞けば、あんこはスタッフが小豆を炊いて練るという。
50年続く店をと誓った
並んでいる本の数は1000冊ほど。書店というにはやや控えめだ。選書はどのようにしているのですか、と尋ねると、影山さんは、わかってないなあ、という顔をした。
「僕らは喫茶業が本業です。このお店では選書というより、僕らのこの世界に本を招くという感覚で選んでいます」
店での人間関係や日々の営業、出来事といったことが本棚に反映され、置かれた本によって、お店での時間や関係性が影響を受ける。選書を通じて「本の世界」を構築し、そこに人々を招くのではなく、「ぼくらの世界」が先にあって、そこと影響し合う形で本棚が自然と育っていくという。
カフェでは、読書会や勉強会を定期的に開催してきた。「日本の『美』」に関する連続講座を企画した際には谷崎潤一郎や岡本太郎などの著作を参加者が一緒に読んだ。「ミヒャエル・エンデを読む」という連続企画もあった。影山さん自身の著作が「植物が育つように、いのちの形をした経済・社会をつくる」ことをテーマにしていることを受けて、『植物は<知性>をもっている』(ステファノ・マンクーゾ、アレッサンドラ・ヴィオラ)など、自然のありようから学ぼうとする本が並ぶ。岩手出身の声優が、国分寺のホールで宮沢賢治の朗読会を毎年開催してきていることの反映は、今も本棚の一画に残る。
カフェと書棚が連なって、ひとつの世界をつくりだしているようだ。
コーヒーショップを経営するのが夢だったわけではない。
大学を卒業した影山さんは外資系の経営コンサルティング会社に就職した。山一證券が経営破綻した年だ。3年後、会社の先輩が起業したベンチャーキャピタルに参画し、ベンチャー企業への投資と経営支援の仕事を始めた。
ベンチャーキャピタルに勤めるかたわら、35歳でカフェ「クルミドコーヒー」を開業した。祖父母が残した実家を集合住宅に建て替えるにあたり、1階に「まちの縁側」となるような場所をつくりたいと考えた。それを現代に再現するのであればカフェだと考えたという。前年に娘が生まれ、次世代のこどもたちに向けて「大人の本気」を見せてやろうとの思いもあった。開店前夜、集まった人たちに「50年続く店を目指します」と自分でも思いがけない言葉が口を突いて出た。
売上目標を立てない経営
国分寺は影山さんが2人の兄と弟の4人兄弟で7歳までを過ごした場所だ。周辺には雑木林が広がり、家から一歩外へ出ると目の前は森だった。スポーツ社会学を研究する父の赴任に伴い、小2から高校卒業まで愛知県岡崎市に暮らした。大学進学を機に国分寺に戻った。国分寺の一部にはヒッピー文化の名残がある。肩書きにこだわらない人が多いと影山さんは感じてきた。
影山さんの出発点であるクルミドコーヒーは、胡桃堂書店がある国分寺駅から電車でひと駅、西国分寺駅のすぐそばにあった。榎やコナラの木が扉を覆い隠すようにこんもりと枝を茂らせていて、秘密基地のようだ。中にはままごと部屋が壁をくり抜くように設えてあった。小さな来客はこの空間でおしごとに夢中になるらしい。
地下、1階、中2階、小さな3階、その手前の天井桟敷席。段々構えでできた空間は、木と白壁が10数年の時間を経てしっとりとなじんでいる。
「喫茶店の仕事って、コーヒーを淹れて、洗い物をして、掃除をしてと、ものすごく忙しいんですが、勤勉でないと勤まらない。僕はクルミドコーヒーで心から信頼する仲間たちと出会いました」
競争の激しい社会ではうまく力を発揮できないタイプのスタッフもいる。ひとりひとりのスタッフと話し、関わりを持ちながら、クルミドコーヒーの向かう方向を手探りしていくうちに、経営手法を変える決心をした。事業計画など、お店としてやることや目指す成果を事前に定義することをやめたのだ。「お店としてやるべきこと」が先に決まっていると、そちらにスタッフの意識が向いてしまい、日々の営業や来店客との会話から生まれる驚きやアイデアなど、計画に掲げられていない出来事を分かち合うことが難しくなっていく。そのねじれに違和感を持ったためだった。
1杯のコーヒーを丁寧に淹れ、来店客と心を通わせ、店を居心地のいい場所であるように整える。そうした1日1日を積み重ねた先にある予定しない出来事や出会いを大切にする。あらかじめ目的地を定めるのではなく、目の前のことに力を尽くした結果を開く。
このように方針転換を行った半年後、冒頭の世界一周の旅を書きためた女性との対話から出版業に足を踏み入れることになった。出版事業「クルミド出版」の始まりである。
コーヒーを飲みに立ち寄る人たちからの提案を受け止め、音楽会が始まり、美しい詩集が誕生した。今では「大学」と名づけた学びの場づくりや米づくりにも取り組んでいる。
地面に落ちた種が芽を出し、風に吹かれ、雨を吸い、幹が伸び、枝を茂らせていく。鳥や小動物は木から実を授かり、周囲には木々や草木が芽吹いていく。自然の循環に大切なことを教えられていると気づいた、そう影山さんは言う。
「植物が育つように、お店や人が集まる場が自然と育って樹形をなしていき、一人一人のいのちが大切にされる経済や社会をつくっていけたら」
あなたはあなたであるだけで、素晴らしい
だが、その考えは、影山さんが2013年まで勤めていたベンチャーキャピタルの常識とは対極にある。
「ベンチャーキャピタルの仕事は充実していましたが、資本主義の最前線で働く醍醐味がある一方で、このシステムを突き詰めた先に人が幸せになる感じがしないというのはやればやるほど感じていました。一言で言うと、人間が手段化していく感じがしていました」
目標を達成することが最上位となり、数値に現れる成果を出せる人には価値があり、そうではない人にとっては生きづらい社会が近づいていることへの違和感があった。現代の資本主義が向かってしまっている力学とは反対側にある何かをやりたいと漠然と思っていた。
影山さんの中にはいつも弟の俊也さんがいる。俊也さんは大学卒業後、社会のシステムに適応できず家にこもり気味になり、2005年に28歳で早逝した。弟を支えきれなかった後悔と痛みが影山さんの背中を押し続けている。
クルミドコーヒーの2年目のある日のブログに影山さんはこんな文章を記していた。
(前部略)
あなたはあなたであるだけで、大切な人だ。
なのに、普通に生活していると
組織から、システムから
ときには、家庭から、友人から
満員電車から、接客から
あなたはだめな人だ、と言われる。
あなたはとるに足りない人だ、と言われる。
自分がどんどんちっぽけになる。
本当ならがんばれる人が
そのがんばろうとする力をも奪われてしまう。
あなたは大切な人だ。
まずは今日
縁あってお会いしたあなたに。
まずは今日
たまたま連絡をくださった、あなたに。
そしてその先、システムを。
政治を、社会を、経済を。
グッドウィルが再現性を以って連なる
連鎖を作り出すために。
虫の目と鳥の目で。
今日の向こうに見えるものは
とてもぼんやりしていて
その途方もない巨大さに
一歩踏み出す勇気すら、なくしてしまいそうになるけれど。
でもぼくも、ひとりじゃないから。
一人一人が大切にされる社会へ。
強さと優しさとが共存する社会へ。(以下略)
手探りの書店運営に2018年からプロの書店員が加わった。紀伊国屋書店に長く勤めた吉田奈都子さんだ。吉田さんは書店の店長として取り仕切る。1000冊のうち、本棚に並ぶのは新刊と古書が半々。仕入れは複数の中堅取次会社経由だ。
「もちよりブックス」という試みも行っている。大切にしていたけれど自分は読み終え次の人に読み継いでもらいたいと思う本を持ち寄り、交換し合う仕組みだ。月に1~2回、定例のイベントを開催するほか、日常的にも本を預かっている。
これまでに約90人の人々から1500冊ほどの本を預かった。季節や出来事に合わせて棚で紹介する。すでに1000冊ほどが次の読み手へと旅立っていった。胡桃堂書店の本棚は、地域の本棚の要素も含んでいることになる。
胡桃堂書店の店づくりは、大らかな「なるようになる」姿勢に貫かれている。1つ1つの出会いや偶然性を大事にすることにより、そこがどんな書店になり、どんな出来事を生んでいくのかは、影山さんや吉田さんにさえわからない。
人が考えることの手助けが本のひとつの役割だとすると、胡桃堂書店には自分を主語に生きようとする人を支える本たちが招かれている。少ない冊数には、自分たちの場所や関係性から自然とつながる本を選りすぐってお招きしているんですよ、という影山さんたちの自負が込められているように思えた。
バナー写真:胡桃堂書店の影山知明さん(写真は全て仙波理撮影)
胡桃堂書店
東京都国分寺市本町2-17-3
http://kurumido2017.jp/books/
営業時間 11〜19時
定休日 木曜
ジャンル 新刊、古書
蔵書数 約1000冊