コラム:亜州・中国(7)日米関係の核心は中国問題である
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安倍首相退任前に二つの布石
「地球儀を俯瞰(ふかん)する外交」を掲げた安倍晋三首相は退任直前の9月11日、アジア・中国外交の行方をにらみ二つの“布石”を打った。次期中国大使の人事と安全保障政策に関する「内閣総理大臣の談話」発表である。
政府は同日の閣議で、外務省の垂秀夫(たるみ・ひでお)前官房長(59)を中国大使に充てる人事を決めた。大阪府出身で京都大学法学部卒業後、1985年に入省、南京大学に留学、赴任地は北京、香港、そして台湾と中華圏を踏破した。中国語研修組「チャイナスクール」のエースだが、いわゆる親中派ではない。「対中強硬派」とさえ見られている。
外交官としての情報収集力、分析力には定評がある。中国大陸だけでなく、香港、台湾にも幅広い人脈を持つ。茂木敏充外相は閣議後の記者会見で、大使として近く着任する垂氏を次のように持ち上げた。
「さまざまな政策にもこれまで関わってきた。日本と中国の間、東シナ海、南シナ海、そして香港問題、さまざまな課題がある。日本の外交努力を進める上で、大きな力になってくれることを期待したい」
垂氏は、第一次安倍内閣の2006年10月8日の安倍首相の電撃的な訪中でキーワードとなった「戦略的互恵関係」の考案者とされる。民主党政権下の12年の尖閣諸島の国有化に当たっては、北京の日本大使館の公使だった垂氏が事前の根回しに動いたという。ちなみに国有化は同年9月11日だった。
台湾との関係が深い岸防衛相
今年9月11日の談話は、安倍氏のいわば置き土産だ。「我が国を取り巻く安全保障環境は厳しさを増しています。特に北朝鮮は我が国を射程に収める弾道ミサイルを数百発保有しています」との認識を示したうえで、「ミサイル阻止に関する安全保障政策の新たな方針」を年末までに策定するよう求めている。
ミサイル防衛の新指針は、他国から攻撃を受ける前に攻撃拠点を叩く「敵基地攻撃能力」保有の是非をめぐる議論とも密接に絡む。この微妙な課題を新内閣で担当するのが防衛相である。
9月16日に発足した菅内閣で、防衛相に抜てきされたのは安倍前首相の実弟、岸信夫衆院議員(61)だ。1981年に慶応大学経済学部卒業後、住友商事に入社、米国、ベトナム、豪州で海外勤務を経験した。同社退社後、2004年に国政に転じた。防衛政務官、外務副大臣、衆院の外交委員長と安全保障委員長などを歴任した外交・安保の政策通でもある。
安倍首相(当時)は16年11月、米大統領選に当選した直後のトランプ氏をニューヨークに訪ね、手土産に本間ゴルフの最高級ドライバーを贈った。大統領就任後はゴルフ外交を繰り返して親密な関係を築いた。弟の岸氏は11年12月から嵐山カントリークラブ(埼玉県)の第4代理事長を務めている。1962年開場の同クラブ初代名誉会長は、祖父の岸信介元首相だった。
その信介氏は首相時代の1957年6月の訪米の際、アイゼンハワー大統領(当時)に誘われ、ワシントン郊外でゴルフを楽しんだ後、一緒にシャワーも浴びたという。こうした個人的関係の積み重ねが60年の日米安全保障条約改定につながったともいわれる。
岸防衛相は祖父と同様、台湾との関係が深い。超党派の議員連盟「日華議員懇談会」幹事長を務めるなど“親台派”として知られる。台湾の蔡英文総統とは旧知で、2015年10月には野党・民進党主席時代の蔡氏を地元の山口県に自ら案内している。岸氏は李登輝・元総統(7月30日死去)の弔問のため、8月9日に日帰りで森喜朗元首相らと台湾を訪問、蔡総統とも会見したばかりだ。
台湾をめぐる日米中の駆け引き
台湾問題は中国にとって最大の「核心的利益」であり、米中間のトゲともいえる最もデリケートな問題である。トランプ政権はここにきて台湾に急接近している。8月9日、新型コロナ対策を理由に閣僚のアザー厚生長官が台湾を訪問、翌10日に蔡総統と会談、12日には李元総統の追悼場を訪れ、弔意を示した。1979年の米台断交以来、訪台した現職の米高官としては最高位となった。
9月19日、台湾北部・新北市の真理大学で営まれた李元総統の“国葬”に当たる告別式には、クラック米国務次官が参列した。断交後、米国務省からは最高位の訪台である。
中国は大陸と台湾が一つの国に属する「一つの中国」を主張しており、米政府高官の相次ぐ訪台に「断固反対する」などと強く反発している。李元総統の告別式の時間帯には中国軍の戦闘機「殲16」などが台湾海峡の中間線を越え、台湾側に侵入する飛行を繰り返したほどだ。
9月19日の告別式に日本からは森元首相が出席した。報道によると、森元首相は同18日に台北市内の総統府で蔡総統と会談し、菅首相の言葉として「機会があれば電話などで話したい」と伝えたという。
これに対し、中国外務省は19日夜、「日本側は『報道されたようなことは決して起きない』と明確に述べた」との談話を発表した。蔡総統自身は20日、記者団に「現時点で(菅首相と)電話で話す予定はない」と述べた。
中国側が敏感になっているのは先例があるからだ。2016年12月、トランプ氏は大統領就任前に台湾の蔡総統と電話で会談し、「President(総統の英語表記)」と呼び掛けた。さらにFOXテレビの番組で「一つの中国」政策を見直すかのような発言をして、中国側が強く反発した経緯がある。
中国外務省が週末の夜にもかかわらず、談話で「日台首脳の電話会談」の可能性を強く打ち消してみせたのは、発足したばかりの菅政権が台湾に接近することに神経をとがらせているからにほかならない。
米国が断交後も台湾に武器を供与し続けているのは、国内法「台湾関係法」を根拠にしているからだ。岸防衛相はかつて日本版・台湾関係法の制定を提起したことがあり、靖国神社を参拝したこともある。中国側が強く警戒しているのは間違いない。
日米同盟と対中関係が外交の基軸
「外交及び安全保障の分野については、わが国を取り巻く環境が一層厳しくなる中、機能する日米同盟を基軸とした政策を展開していく考えです。国益を守り抜く、そのために自由で開かれたインド太平洋を戦略的に推進するとともに、中国、ロシアを含む近隣諸国との安定的な関係を築いていきたい」
菅首相は9月16日の就任記者会見で、日米同盟を外交の基軸とすることを明確にした。20日にはトランプ大統領と初めて電話会談したが、11月の大統領選を控え、対米外交は必ずしも容易ではない。
同時に最大の貿易相手国、中国との良好な関係も極めて重要だ。「新冷戦」と呼ばれる米中の対立が激化する半面、日中関係は改善の基調にあった。中国の習近平国家主席は9月16日、菅新首相に祝電を送り、「長期的に安定し、友好的で協力的な中日関係の発展」を呼び掛けた。日中両首脳は同25日の電話会談で、新型コロナ対策で連携していくことも確認した。
しかし、日中関係の先行きは予断を許さない。特に岸防衛相と垂大使という二つの人事は、中国をけん制するカードにもなり得るからだ。
安倍前首相は9月19日午前、予告なしに靖国神社を参拝した。自身のツイッターで「16日に内閣総理大臣を退任したことをご英霊にご報告いたしました」と投稿したが、トランプ政権と歩調を合わせ対中強硬姿勢に軸足を移すメッセージなのかもしれない。
その一方で、習国家主席と太いパイプを持ち、今回の自民党役員人事で留任した二階俊博幹事長は中国に秋波を送る。9月17日、都内で開いた石破派の政治資金パーティーで講演し、コロナ禍で延期されている習国家主席の国賓訪日について「中国とは長い冬の時代もあったが、今や誰が考えても春。穏やかな雰囲気で実現できるよう心から願っている」と述べた。
米国の歴史学者で、コロンビア大学教授、米国政治学会会長などを歴任、日本に滞在したこともあるチャールズ・ビーアド博士(1874-1948年)は1920年代に「日米関係の核心は中国問題である」と看破した。
日米、日中、米中の三角関係は常に連動してきた歴史がある。1910年代、日本が中国大陸の支配を画策したとき、中国は米国に支援を求めた。1930年代の日本の対中侵略が日米戦争へとつながっていった。日米戦争の一因は、中国市場の取り合いでもあった。
中国にとって外交・安保戦略上、最も重要な相手は米国であって、日本ではないことも冷厳な事実だ。米国防総省は9月1日、中国の軍事動向を分析した2020年度議会向け報告書を公表した。中国軍は建国百周年の2049年までに米軍と肩を並べることを目指していると指摘、「中国軍は艦船数など一部の部門で既に米軍を超えている」と危機感を示した。
米中両超大国はまさに21世紀の覇権を争っている。日米中3カ国が名目の国内総生産(GDP)で世界1~3位を占め、日本は米中に次ぐ経済大国だが、ビーアド博士の1世紀前の格言は菅政権の外交政策にとっても示唆に富む。
バナー写真:米ニューヨークで開催中の国連総会でビデオ演説する菅義偉首相=2020年9月26日(日本時間)[国連の中継サイトより](時事)