藤竜也「“正体不明の私”にならないために」 映画『大いなる不在』に認知症の父親役で出演
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出演作は監督の名前で決めない
80歳を超えて、主役あるいは主役級で映画に出演し続ける藤竜也。最新作は短編を含めて3度目のタッグとなる近浦啓監督の長編第2作『大いなる不在』だ。主人公・卓(たかし、森山未來)の父親・陽二を演じている。
卓にとって陽二は、幼い頃に自分と母を捨てた男。その父がある日、事件を起こして捕まった。知らせを受けて面会に訪れた卓の前に現れたのは、見た目こそかくしゃくとしているが、支離滅裂なことを口走る老人だった。
父の再婚相手である義母の直美(原日出子)も行方が分からなくなっていた。彼らにいったい何があったのか。卓は、父の家に残されていた大量の手紙やメモ、父を知る人たちから聞く話を通して、知られざる父の半生をたどっていく…。
映画監督としてのキャリアをスタートさせた短編『Empty House』に始まり、長編デビュー作『コンプリシティ/優しい共犯』でも藤に出演してもらった近浦監督にとって、再び陽二役をオファーするのは自然な流れだったに違いない。ところが当の藤には「この監督の作品なら、一も二もなく出る」といった考えは一切ないのだという。
自らを「酷薄なところがある」と認める藤。たとえ何度目のタッグであろうが、予備情報はすべていったんリセットした上で脚本を読み、自分が本気で取り組みたいと思える作品かどうか、厳しい目でジャッジするところから始める。
「生きるって、美しい部分も、楽しい部分も、悲しい部分も、いろいろなものを含んでいるわけですけれども、1本の映画ですべてを語り尽くすことはできない。どうしてもある断面を切り取らざるを得ないじゃないですか。でも、近浦監督がお書きになったホン(脚本)は、どこを切り取っても“人間とは何か”というのが分かるんですよね。この映画は、決してハッピーな話じゃないですよ。“自分の正体を失う”という人間にとって残酷なフェーズのお話ですよね。だけれども、これを観て、人間を否定する気にはならないんです」
役に入り込む極意
「これはやりがいがあるぞ!」と、作品に取り組む意欲は即座に湧き上がったものの、果たして観客の目にどう映るのかについては、一抹の不安もあった。監督には、「どんな映画になるのか私には想像ができないのですが、いただいたこの老人の役はきっちりとやります」と話したという。
「父と息子の切ない関係を描き、醜くエゴイスティックに老いていく父の姿を、鳥瞰(ちょうかん)的に捉えている。人間が年老いていくというのは、きっとこういうことなんだろうなというのだけは、しかと分かるけれども、『ここで、観客にエモーショナルになってもらおう』とか『ここでちょっと笑ってもらおう』といった仕掛けが全く見えないんです。ところが、いざ出来上がった作品を観ましたらね、もう、どうしようもなく心が揺さぶられてしまった。私には、まだ脚本を読む力がないんだなとつくづく思わされました」
役をつかもうともがく過程で、その人物を「探偵のようにプロファイリングをしていくこともある」という藤だが、どういう訳かこの陽二という人物には、「ある瞬間にスポッと入れた」。
「監督の実体験に基づいているといっても、父親が大学教授で、認知症を患ったという2点だけ。でもどこまでリアルで、どこからフィクションなのか、私にとってそんなことは別にどうでもいいんです。私はすべてがトゥルーストーリーだと思い込んでいるので(笑)」
現場に入ったら、共演者と「芝居について言葉を交わすことは今まで1度もない」という。
「お互い、仕事ですからね。おしゃべりはしません。プロの俳優同士、カチンコが鳴った瞬間からいろんな会話をする。セリフがなくても、目の動きとか吐息とかでね。無音でコミュニケーションしているんです」
そう話す藤の目や身体から、“言葉を越えた何か”が、俳優ではない筆者にすら伝わってくるのが分かり、心底驚いた。これが現場で交わされる“気”というものなのか!
「そうそう。そんな風にいろんなことを感じながらやっているから、言葉はいらないんです」
世界で戦う気迫にほれる
「年をとっているとか、古いとかっていう言葉はね、私自身使いたくないんですよ。つまんないじゃないですか。見りゃわかるんだから(笑)」
だが、そんな藤でも「自分は古い人間だと思うことがある」らしい。役者一本でやってきた彼の目には、自身の作品を海外に届けるために、資金集めを含むあらゆる作業をこなす近浦監督の姿は、メジャーリーグに乗り込んだ大谷翔平のように映る。
「森山未來さんにしてもそうですね。彼は俳優であり、なおかつプロのダンサーでもある。プロデュース公演とか、いろんなことをやっていますよね。日本から世界に出ていって、そこで対等に戦っている。それこそ、いま取材を受けているニッポンドットコムにしても、ひょっとしたら何カ国語かに翻訳されるかもしれないという話を聞くとね、『こんな時代に俺は仕事ができているのか!』って、うれしくなるんですよ」
そう言う藤竜也こそ、大島渚監督の『愛のコリーダ』で早くから世界にその名をとどろかせた“時代の先駆者”ではないか。
「当時はそうですよね。半世紀近く前に私も初めてカンヌ映画祭にお供して。美術監督の戸田重昌さんがデザインした衣装を大島さんがまとい、大きな扇子を手にしてカンヌの町を歩く。その姿を見て僕はすごいなと思った。昔の日本の剣豪たちが『天下無双』と旗を立てて、プロモーションして歩くじゃないですか。まさにあの感じで、大島さんが道を切りひらいていかれた。その気迫は本当に素晴らしかった」
「演ずることで生かしてもらっている」
機動隊が家に突入しようとするスリリングな瞬間で幕を開け、時系列を入れ替え、過去と現在を行きつ戻りつしながら、じわじわ真相に迫っていくミステリー仕立ての本作。主人公の父のカバンから出てきた義母の日記帳や、そこに大切に貼り付けられた若き日の父が綴った手紙など、本人は“不在”ながらも、“記録されたもの” を手掛かりに物語は進んでいく。
実際の藤は、「薄情だから、過去には一切執着しないタイプ」。撮影が終わるたびに台本は破り捨て、若い頃の写真も手元には一切残っていないという。
「海外の映画で、年老いた大スターが家に試写室を作って、昔自分が出た映画を観ている場面があったりしますよね。とてもじゃないけど私は嫌ですね(笑)」
それどころか、鏡を見ることさえしないという藤。長らくイメージモデルを務めていたタバコ(JT「キャスター」)のポスターについて、こんなエピソードを披露してくれた。
「仕事で大阪行の新幹線に乗ったら、席が車両の先頭で。目の前に自分のポスターが貼ってあったんですよ。もうねえ、あの2時間半だか3時間が僕には本当に嫌で嫌でたまらなくてね。これはエラい席に座っちゃったって」
ちなみに当時吸っていたたばこが米国産「パーラメント」だったというのは「内緒の話」…。
『大いなる不在』の陽二を見て、かつて藤がエッセイに綴ったエピソードを思い出した。反抗期で妻に口答えしていた息子にこう一喝したというのだ。『おい! そのひとはお前の母親である前に俺のオンナだ!』
このことを本人に伝えると、若い時に固めた決意をこう明かす。
「結婚した当時、家内(芦川いづみ)は日活の看板スターでした。一方、私といえば、本当にどうしようもないくらいの青二才で。その二人が一緒になったわけでね、こっちとしては、最後まで俳優としてきちんとしておかないと。『それ見たことか! あんな青二才と一緒になるから』なんて言われたら腹が立つからね」
ここまで長く仕事を続けてこられた秘訣は「縁と、運と、健康」。過去にはしがみつかずとも、原点を忘れることなく、常にアップデートしているからこそ、いつまでもフレッシュで居続けられるのだ。
「そもそも私の場合は、演ずることで生かしてもらっているわけじゃないですか。何もしてないとね、それこそ“正体不明の私”になっちゃうんですよ!」
インタビュー撮影:花井智子
取材・文:渡邊玲子
作品情報
- 監督・脚本・編集:近浦 啓
- 出演:森山 未來、真木 よう子、原 日出子/藤 竜也
- 配給:ギャガ
- 製作国:日本
- 製作年:2024年
- 上映時間:133分
- 公式サイト:gaga.ne.jp/greatabsence/
- テアトル新宿、TOHOシネマズシャンテ他にて公開中