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和田正人、ある宣告を機にアスリートから俳優へ:映画『オレンジ・ランプ』で若年性認知症になった営業マンを演じる

Cinema

自動車販売会社のトップ営業マンだった39歳の時に若年性認知症と診断された丹野智文さん。発症後10年目となる今も会社勤務を続けながら、著作や講演を通じて自らの経験を世の中に伝えている。彼の実話に基づき、夫婦の9年間の軌跡を映画化したのが『オレンジ・ランプ』。製作には介護の世界を描いた映画『ケアニン』シリーズの制作チームが集結、監督は『村の写真集』(05)の三原光尋。丹野さんをモデルにした主人公・只野晃一を演じた和田正人に、ピンチをチャンスに変え、前へと進んだ自身の過去を語ってもらった。

和田 正人 WADA Masato

1979年生まれ、高知県出身。2005年に俳優デビュー。主な出演ドラマに、「ごちそうさん」(13/NHK連続テレビ小説)、「陸王」(17)、「おんな城主 直虎」(17/NHK大河ドラマ)、「教場」シリーズ(20-21)、「純愛ディソナンス」(22)、映画『大河への道』(22)、『THE LEGEND&BUTTERFLY』(23)、『Winny』(23)など。舞台「歌うシャイロック」(23)など。今年9月2日よりパルコ・プロデュース2023「橋からの眺め」に出演。

取材冒頭、カメラマンが和田に「椅子に座って足を組んでポーズを取っていただいてもいいですか?」と声を掛けると、「偉そうに見えないですか?」という意外な答えが返ってきた。

「いやね、この前、舞台中に喉の調子が悪くて念のため病院に行ったんですよ。問診の際、つい普段の癖で足を組んで座ったら、『そんな偉そうな態度で来る人のことを、一生懸命治したいとはこっちも思わないよ!』って、医者からめちゃくちゃ怒られて……(苦笑)。『インタビュー中も足を組むのは失礼なんじゃないか』という不安が、ふと頭をよぎったんです」

このわずかなやりとりからも、自身の失敗すら笑いに変える人柄が伝わってきて、俳優・和田正人が、ドラマや映画にひっぱりだこである理由が分かるような気がした。

箱根駅伝に2度出場、実業団選手から俳優へ

中学時代に駅伝を始め、大学時代は陸上部に所属し、第76回(2000年)と第78回(02年)箱根駅伝にも出場。「厳しい監督たちに指導されてきて、根っからの体育会系」だという。

02年、NECに入社し実業団の陸上選手として活躍するも、翌年6月にまさかの廃部という事態に見舞われる。突然の宣告に周りが涙を流す中、和田は「よしっ!これから新しい人生が始まる」と心の中でガッツポーズを取り、「翌日にはオーディション雑誌を開いていた」というから、そのポジティブさに驚かされる。

「いや、さすがに自分でも異常だなって思いますよ(笑)。あれだけの大きな方向転換を今できるかって言われたら、絶対無理ですから。本当にあの時は、何か見えない大きな力に背中を押されて俳優の道へと誘(いざな)われたんです」

和田がそう感じた背景には、廃部とは別の出来事もあったが、そこには後で触れよう。

「日頃から『あらゆる出来事には意味がある』と考えるタイプなんですが、不可抗力によってやろうとしていたことができなくなった経験は、僕の人生において初めてだったんですよ。だから『もしお前が次のステージに進みたいなら、いまがその時だ。これを逃すと次はないぞ』って、誰かに言われている気がして。廃部が理由じゃなかったら、青春時代をすべて捧げてきた陸上を辞めて『俳優を目指します』なんて、絶対に言い出せなかったと思うので」

映画『オレンジ・ランプ』。和田演じる晃一は若年性認知症になり、妻・真央(貫地谷しほり)と二人三脚で困難を乗り越えていく ©2022「オレンジ・ランプ」製作委員会
映画『オレンジ・ランプ』。和田演じる晃一は若年性認知症になり、妻・真央(貫地谷しほり)と二人三脚で困難を乗り越えていく ©2022「オレンジ・ランプ」製作委員会

その後、大手芸能事務所のオーディションで特別賞を受賞し、2005年に「ミュージカル テニスの王子様」で俳優デビューして以来、ドラマや映画、舞台で幅広く活躍している和田。25歳まで演技経験がまったくなかったことを考えると、一般的に“自然な演技”の妨げになる“自意識の壁”を、どう取り除けたのか気になった。

「こういう仕事をしていると、どうしても“飾る”じゃないですか。でも、それは“うそ”だと思うんです。僕としては、いいところも、ダメなところも、すべてさらけ出せる人間でいたい。『アイツってさ、ああいうところはいいよね。でも、ここはダメじゃん』っていう、そのどっちもある人の方が、僕は人間らしくていいなと思っていて。無理に背伸びしないように心がけていることが、ひょっとしたら役を演じるときに生きているのかもしれません」

言われてみれば、テレビの中継で目にする駅伝選手たちは、苦しさも、悔しさも、喜びも、すべてさらけ出している。「取り繕ってなんていられないから」というのが実情だろうが、競技を通じてそれが自然と身についていたことを考えれば、人前で何か表現する際も構えずにいられるのかもしれない。

「俳優である自分が、人前に立たせてもらって、少しずついろんな人に知っていただけるようになっているというだけの話で、普段僕らが映画やドラマで演じている役は、いわゆる市井の人の方が多いわけですよ。ごくたまに、秀吉になったりすることもありますけど(笑)」

若年性認知症ご本人や周囲の人たちの希望になれば

なるほど、これまで数々の作品で和田が演じてきた役を振り返ってみると、いわゆる“普通の人”が多いイメージがある。その点ではデビューが早い俳優よりも、社会人経験があり、思わぬ挫折も味わった和田の方が、アドバンテージがあるとも言えそうだ。では今回の『オレンジ・ランプ』で、只野晃一役を演じる上で大切にしたことは?

晃一は、愛妻と2人の娘に囲まれ、平穏な日々を送っていた ©2022「オレンジ・ランプ」製作委員会
晃一は、愛妻と2人の娘に囲まれ、平穏な日々を送っていた ©2022「オレンジ・ランプ」製作委員会

「晃一のモデルとなった丹野智文さんご本人に直接お話を伺うことができたのも大きいですが、一番意識したのは、『アルツハイマー型認知症を発症している人を演じようとしないこと』でした。過去にも認知症をテーマにした作品はありますが、どれも深刻で悲劇的な話が多くて、それがそっくりそのまま認知症に対するイメージになっている。でも、僕が丹野さんと実際に会って話した印象は、これまで僕が思っていたものとは全然違っていた。認知症ご本人には見えないし、むしろ誰よりも明るく楽しく生きている人だな、と」

トップセールスマンとして職場を明るく引っ張る晃一 ©2022「オレンジ・ランプ」製作委員会
トップセールスマンとして職場を明るく引っ張る晃一 ©2022「オレンジ・ランプ」製作委員会

和田が演じる晃一は、カーディーラーのトップ営業マンとして充実した日々を送り、妻・真央や二人の娘と仲むつまじく暮らしていたが、ある日、「顧客の名前が覚えられない」などの異変に襲われ、若年性アルツハイマー型認知症であると診断される。とまどい、不安に押しつぶされ、一時は退社も決意した晃一と、振り回される真央。しかしある出会いがきっかけとなり、「人生を諦めなくていいんだ」と気づいた夫婦を取り巻く世界が変わっていく……。

晃一のことを誰より心配しながら、葛藤を乗り越え、おおらかに見守るようになった真央の変化を繊細に演じた貫地谷しほりについて、和田はこう語る。

「エネルギッシュで明るい空気をまとった貫地谷さんに、僕自身も随分と救われました。彼女を見ていると、自分も頑張ろうと思える。まさに真央にピッタリの女優さんでした」

互いを思いやる夫婦の情愛が細やかに描かれる ©2022「オレンジ・ランプ」製作委員会
互いを思いやる夫婦の情愛が細やかに描かれる ©2022「オレンジ・ランプ」製作委員会

丹野さんから聞いた夫婦のやりとりの中で、和田が「最も印象に残っている」と明かしてくれたのが、こんなエピソードだ。丹野さんは朝起きるとこう思う。「隣にいるこの人は誰だろう?」。不思議そうに見ていると、パッと目を覚ました奥さんが『妻よ』と答え、『あ、そうだよね』と返して笑い合う。これが二人の日常なのだという。

「すごく素敵だなと感じました。もしかするとそれは認知症になる前からの、お二人の関係性によるところも大きいのかもしれない。患者さんごとにご家族や職場の方との関係性があると思うし、僕自身、身近な人から『そんなに簡単じゃない』という生の声も耳にしたりしているので、決してきれいごとを言うつもりはないですが、この作品を通じて少しでも希望を感じてもらえたり、周りの人が認知症の方とどう接していくかを模索する一つのきっかけになったりしたらいいなと思っているんです」

認知症と共に生きるには家族や周囲の人々の理解が不可欠 ©2022「オレンジ・ランプ」製作委員会
認知症と共に生きるには家族や周囲の人々の理解が不可欠 ©2022「オレンジ・ランプ」製作委員会

その一方で和田は、「ドキュメンタリーではなく、あくまでもフィクションという形式を取っている以上、エンターテインメントとしての要素も絶対に欠かせない」とも考えている。

「とはいえ、エンタメにどう落とし込むかという点は、非常にセンシティブだと思うんです。劇場に足を運んでくださる方たちに、ほっこり笑ったり、泣いたりしてもらった上で、作品に込めたメッセージをどう受け止めてもらえるか。晃一がフットサル仲間に病を告白した後、“わちゃわちゃ”やっているところは、自分から提案させていただきました。いい年したオッサンたちが学生時代のノリではしゃぐことで、何か表現できることがあるんじゃないかと思ったんです。ある意味、僕に染み付いた体育会系のノリが活かせたところもありますね」

人生、うまくいかないくらいがちょうどいい

25歳でアスリートから俳優へと転身を遂げ、俳優生活も19年目に入った和田正人。意外にも「俳優が自分に合っているかどうかわからないし、すごく順調にやれている実感もそこまでない」と話す。もちろん「不可抗力がない限り、自分からやめるつもりはない」。

ちなみに20年前、所属していた陸上部が「廃部になる」と聞かされたあの日、和田が「よし!」と腹をくくれたのには、もう一つ大きな理由があった。前日、和田のもとには、すでにある運命が訪れていたのだ――!

「いろいろあって、遠距離恋愛していた彼女とちょうど別れたところだったんですよ。実業団時代はそこそこお金もあったから、月一で遠方まで会いに行っていて。だからもし彼女と別れていなかったら、アルバイトをしながら俳優を目指そうだなんて発想はきっと出てこなかったはず。あの時、俳優になるためのすべてのピースがそろったんです」

そんな経験をくぐってきたからこそ、一つひとつの出会いを大切に、誠実に仕事に向き合ってきた。長距離ランナーのように、急にペースを上げることなく、一歩一歩着実に。

「世の中のオジサンたちが、なぜあれだけゴルフにハマっているのか知ってます? あれはね、うまくいかないからなんですよ。野球選手は150キロのボールが打てるのに、なぜ俺はこんな止まっているボールが打てないんだ!って。できないからこそ、みんな夢中になるんです。で、たま~にうまくいくから、やめられない(笑)。人生、うまくいかないくらいがちょうどいいんじゃないかって僕は思うんですよ」

インタビュー撮影=花井 智子
スタイリスト=田村 和之 ヘアメイク=小林 純子
取材・文=渡邊 玲子

©2022「オレンジ・ランプ」製作委員会
©2022「オレンジ・ランプ」製作委員会

作品情報

  • 監督:三原 光尋
  • 企画・脚本・プロデュース:山国 秀幸
  • 脚本:金杉 弘子
  • 原作:山国 秀幸「オレンジ・ランプ」(幻冬舎文庫)
  • 主演:貫地谷 しほり 和田 正人
  • 出演:伊嵜 充則 山田 雅人 赤間 麻里子 赤井 英和 / 中尾 ミエ
  • 配給:ギャガ
  • 製作国:日本
  • 製作年:2023年
  • 上映時間:100分
  • 公式サイト:http://www.orange-lamp.com/
  • 6月30日(金)新宿ピカデリー、シネスイッチ銀座、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国ロードショー

予告編

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