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細野晴臣の米国公演が映画に:原点に戻り、その先へ進む音楽の旅『SAYONARA AMERICA』

Cinema 音楽

1970年代から日本の音楽シーンをけん引してきた細野晴臣。その多種多様な音楽性の根幹には、古き良きアメリカン・ミュージックの影響があった。活動50周年を迎えた2019年、アメリカの聴衆を前に、そんな自らの音楽的ルーツを披露したステージが映像でよみがえる。佐渡岳利監督の『SAYONARA AMERICA』は、コロナ禍で心をすり減らす観客にライブの疑似体験を存分に楽しんでもらいながら、この先をどう生きるか、風のように示唆する作品に仕上がった。

佐渡 岳利 SADO Taketoshi

プロデューサー・映画監督。1990年NHK入局。現在はNHKエンタープライズ・エグゼクティブプロデューサー。音楽を中心にエンターテインメント番組を手掛ける。これまでの主な担当番組は「紅白歌合戦」、「MUSIC JAPAN」、「スコラ坂本龍一 音楽の学校」、「岩井俊二のMOVIEラボ」、「Eダンスアカデミー」など。Perfume初の映画『WE ARE Perfume – WORLD TOUR 3rd DOCUMENT』(2015)を監督。細野晴臣の音楽活動50周年を記念するドキュメンタリー映画『NO SMOKING』(19)に続き、『SAYONARA AMERICA』(21)を監督。

細野晴臣がロックバンド「エイプリル・フール」でデビューしたのは1969年。その後に結成した「はっぴいえんど」は、当時の日本の音楽シーンに多大なインパクトを与えた。その余波は時を越え、国境を越え、いまなお広がり続けている。細野がそれ以降、ソロ作品やYMO、その他のユニットで生み出してきた音楽についても、同じことが言える。さらに松田聖子らアイドルと呼ばれた歌手を含むさまざまなアーティストに楽曲を提供し、数々のポップソングを手掛けたヒットメーカーとしても、長年にわたって日本の音楽界をけん引し続けてきた。

アメリカ音楽への回帰

2019年に音楽活動50周年を迎えると、それに合わせて『NO SMOKING』というドキュメンタリー作品が作られた。細野の幼少期から青年期、そしてデビューから半世紀にわたる活動の軌跡を、さまざまな時代の映像と、自身の言葉で振り返った記録だ。

© 2021“HARUOMI HOSONO SAYONARA AMERICA”FILM PARTNERS
© 2021“HARUOMI HOSONO SAYONARA AMERICA”FILM PARTNERS

この中で、最新の活動として紹介されていたのが、同年5月末から6月頭にかけて行われたアメリカ公演の模様だった。今回の『SAYONARA AMERICA』は、そのコンサート映像の方をメインにした続編ともいえる構成となる。ニューヨークとロサンゼルスでの3公演のセットリストを含め、17曲が収録されている。

監督は『NO SMOKING』に引き続き佐渡岳利。長年、細野の映像の仕事に携わってきた。付き合いのある人やファン歴の長い人の例にもれず、佐渡監督もまた「細野さん」と呼ぶとき、「星野」のように「ほ」にアクセントを付けるのではなく、「中野」のように平板なイントネーションで発音する。

「細野さんの50周年に合わせて作った『NO SMOKING』は、半生を振り返る内容だったので、ライブシーンはあまり入れられませんでした。でもアメリカ公演がすごくよかったので、これを何か映像作品にまとめたいよね、映画にできるといいね、というような話はスタッフの間でしていたんです」

アメリカ公演での演奏は、世間が真っ先にイメージするであろう「YMOの細野」とはかなり違う。『NO SMOKING』で自身が語っている通り、1947年生まれの細野は幼い頃、音楽好きの母にレコードをかけてもらってブギウギをはじめとするアメリカの古い音楽に親しんでおり、後年それが自身の音楽的ルーツだと自覚するようになった。

演奏曲は、こうした古き良きアメリカン・ミュージックのカバーが半分近くを占める。それ以外に自身がソロで手掛けた70年代から80年代のオリジナル曲も、すべてそれらと同じテイストでアレンジされている。これは細野がかれこれ10年以上、自らボーカルをとり、ライブで演奏してきた流れを引き継いでいる。

「細野さんがブギウギなどをやり始めた当時、『なんか今、こういうのがいいんだよね』というのは聞いていました。ただ、これをライブでやるのか、って思いましたね。お客さんはどう思うんだろうなと。でもコンサートに行くと、みんな喜んで聴いている。普通コンサートって、そのアーティストのヒット曲が聴きたいし、知らない曲をやられると、ちょっと微妙な雰囲気になったりするじゃないですか。なのに、あえてそういう古い曲を演奏する。だけどパフォーマンスが素晴らしいからすんなりと聴けちゃう。で、聴衆がちゃんと満足して帰る。この実力はさすがですよね」

若いアメリカの聴衆を魅了した古いアメリカの音楽

それは、本場アメリカの聴衆を前にしても同じだった。映画には、コンサートに集まった観客たちの反応も収録されている。中には「人生で一番アメリカを感じた」と興奮気味に話す若者もいたほどだ。

© 2021“HARUOMI HOSONO SAYONARA AMERICA”FILM PARTNERS
© 2021“HARUOMI HOSONO SAYONARA AMERICA”FILM PARTNERS

「終わった後、ものすごく盛り上がっていましたねと細野さんに声を掛けたら、『いやあ、僕もびっくりしたなあ』という感じのリアクションをされていました。今回のオーディエンスには、細野さんのいろんなスタイルをずっとフォローしてきた年配の方々もたくさんいましたけど、それ以上に多かったのが若い人たちでした。彼らはインターネットでいろんな音楽を探して、色眼鏡なく純粋に音楽を楽しんでいますよね。細野さんのパフォーマンスが、古いアメリカ音楽の魅力の根幹を的確に抽出していて、若い人たちにも響いたんじゃないかなと思います」

もちろん、YMO時代の知名度が高いのは日本と変わらない。当時のアルバムを持ってきて、サインをねだるファンもいたという。

「話を聞いてみると、大体YMOかはっぴいえんどで細野さんの音楽に触れて、そこを入り口にどんどんハマっていったパターンが多かったですね。ちょっと前だと、映画の『ロスト・イン・トランスレーション』(2003年、ソフィア・コッポラ監督)のサントラで、はっぴいえんどの『風をあつめて』を聴いて、世界の高感度な人たちが「何これ?」ってチェックしたことがあったと思いますけど、最近はみなさん、YouTubeがきっかけだと言いますね。今海外で人気のシティポップも、流れを掘っていくと細野さんに行き着いたりしますし」

佐渡監督は仕事で海外にいろいろな取材に行き、音楽関係者の話も聞くことも多いが、日本のミュージシャンの話題になると、たいてい細野の名前が出てきたという。

「音楽関係者の間で有名だという実感は前からあったんですが、今回のように一般の方々にリアルにお話を聞くことはなかったので、ここまで浸透しているのはすごいなと思いましたね。本当にちゃんと聴いているのが伝わってきました。それも、我々なんかよりもよっぽど深く、本質をとらえて聴いている感じでした」

細野さんは何にサヨナラを告げたのか

アメリカ公演、それに続く記念展「細野観光1969–2019」の開催、『NO SMOKING』の劇場公開と、にぎやかな50周年の余韻も消えないうち、年が明けて間もなくやってきたのがコロナ禍だ。

「2020年も海外公演がいくつか決まっていたんですよ。引き続き撮影に行くことにもなっていたんですが、そういうのが全部なくなっちゃって」

本作の企画が急ピッチで実現に向かったのは、おそらくこの世から観客を入れたコンサートというものがほとんどなくなってしまった時期と重なっていたであろう。佐渡監督が最初にラフの編集を終えたとき、編集室を訪れた細野本人から提案されたのが『SAYONARA AMERICA』というタイトルだった。

「タイトルどうしましょうか、って相談したときに、ちょっと考えているのがあるんだよねとおっしゃって。僕もすごくいいタイトルだと思ったので、一瞬でそれに決まった感じですね」

はっぴいえんど解散後の1973年に発売されたアルバム『HAPPY END』に、『さよならアメリカ さよならニッポン』という曲がある。ハリウッドの伝説的なスタジオ「サンセット・サウンド・レコーダーズ」でのレコーディング中に、ふらりと訪ねてきたアメリカの有名ミュージシャン、ヴァン・ダイク・パークスと一緒に作った曲だ。

前作『NO SMOKING』と本作の映像にも、細野がサンセット・サウンド・レコーダーズをほぼ半世紀ぶりに訪れたり、ヴァン・ダイク・パークスと旧交を温め合ったりする姿が収められている。そんな風に50年の活動が走馬灯のように一巡りして、その総決算という意味合いを込めた「サヨナラ」なのだろうか?

「まずはブギウギとか、アメリカの古い音楽をやるタームが終わった、という感じだと思うんですよね。はっぴいえんどの時から、いろんなスタイルの音楽をなさっていますが、細野さんは飽きっぽいので(笑)、3年くらいやるともう別のところにビュンと行っちゃったりするんですよ。でも今のタームは、ご自身の音楽的ルーツということもあってか、結構長かった。それが今回、アメリカの音楽を初めて現地で、アメリカ人に対して披露できたということで、一区切りついたという感じなんじゃないでしょうか」

© 2021“HARUOMI HOSONO SAYONARA AMERICA”FILM PARTNERS
© 2021“HARUOMI HOSONO SAYONARA AMERICA”FILM PARTNERS

そしておそらく、コロナ禍で一変した世の中からアメリカ公演の日々を振り返ったとき、遠い別世界を眺め、手を振るような感慨が訪れたのかもしれない。映画の冒頭、コロナ禍に入って髪も伸ばしたままの細野が、2年ぶりにギターを持ってスタジオの屋上に現れ、独白する場面がある。

「細野さんから何かコメントを入れたい、その部分をちょっと撮影したいというお話があって。細野さんご自身に撮っていただいた。コロナ禍があったことによってタイトルも生まれたし、映画全体の作りにも影響したと思います」

ステージの終盤、『BODY SNATCHERS』(ボディー・スナッチャーズ)という曲が演奏される場面では、ドン・シーゲル監督の同名映画(1956年、邦題は『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』)の映像が使われているのが印象的だ。

「細野さんと話しているときに出たアイディアです。アメリカのカルチャーとのリンクが本作のテーマですし、あの映画にインスパイアされて細野さんが作った曲ですからね。宇宙から来た未知の生命体に町が侵略されて、人々が身体を乗っ取られる話で、コロナにつながるものがあるよねと」

冒頭で細野がつぶやいた「自由が制限されて、全体主義に進んでいるのが怖い。ウイルスも怖いけど、人間も怖いね」という言葉がよみがえってくる。コロナの時代に『SAYONARA AMERICA』を世に送り出すことにどんな意味を持たせようとしたのか、細野は考えたに違いない。そして佐渡監督はその思いが伝わるような作品に仕上げた。

「音楽などエンターテインメントの楽しみ方が大きく制限されたし、変わりましたよね。みなさん、ライブの尊さも身に沁みて感じていらっしゃるでしょう。エンターテインメントというのは心の豊かさにとって不可欠ですけど、これからの時代は、どういう楽しみ方をしていくのか、人それぞれ考えも違ってきますよね。今回、細野さんがアメリカで公演をして、こうやって盛り上がって、一区切りがついた。さあ、これからどうする?という感じなんじゃないでしょうか。細野さんが『僕はどうするのかな? みなさんはどうするの?』と問いかけている、そんな映画になったと思います」

© 2021“HARUOMI HOSONO SAYONARA AMERICA”FILM PARTNERS
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取材・文:松本 卓也(ニッポンドットコム)
バナー写真:米国公演のステージに立つ細野晴臣 © 2021“HARUOMI HOSONO SAYONARA AMERICA”FILM PARTNERS

©2021“HARUOMI HOSONO SAYONARA AMERICA”FILM PARTNERSARTWORK TOWA TEI & TOMOO GOKITA
©2021“HARUOMI HOSONO SAYONARA AMERICA”FILM PARTNERS

ARTWORK TOWA TEI & TOMOO GOKITA

作品情報

  • 出演・音楽:細野 晴臣 
  • 監督:佐渡 岳利『NO SMOKING』(19)
  • プロデューサー:飯田 雅裕『NO SMOKING』(19)
  • 制作プロダクション:NHKエンタープライズ 
  • 企画:朝日新聞 
  • 配給:ギャガ
  • 製作年:2021年
  • 製作国:日本
  • 上映時間:83分
  • 公式サイト:gaga.ne.jp/sayonara-america
  • シネスイッチ銀座、シネクイント、大阪ステーションシティシネマ他、全国順次公開中

予告編

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