デモに参加する高校生たちを描いた映画『これは君の闘争だ』:マスクもワクチンも拒否の大統領がいるブラジルで何が起こっているのか
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2022年に独立200周年を迎えるブラジル。大統領選挙も控え、国民は国が大きな転換点にあることを意識しているはずだ。ここ数年、有力政治家の汚職告発が相次ぎ、経済、社会の不安も相まって、混乱期に入っている。ブラジル初の女性大統領となったジルマ・ルセフも、2016年に汚職疑惑により罷免された。その2年後の大統領選挙では、極右ポピュリストのジャイル・ボルソナロが勝利し、長く続いた左派政権に終止符が打たれた。
ジェンダー、人種、環境といった問題で暴言を連発し、「ブラジルのトランプ」の異名をとるボルソナロ大統領。新型コロナウイルス感染症を「ただの風邪」と一蹴し、ブラジルが米国に次いで世界で2番目に多い死者を出す事態を招いたことでも知られる。
政治集会で愛し合う若者たち
映画『これは君の闘争だ』は、近年のこうしたブラジル社会の混乱の要因がどこにあるのか、2015年に湧き上がった学生運動とその前後の流れによって浮かび上がらせるドキュメンタリーだ。
語り手は、ルーカス、ナヤラ、マルセラの3人。いずれもサンパウロに暮らす若者で、学生たちの運動に三者三様に関わってきた。2013年の公共運賃値上げ反対デモに始まり、2015年の公立学校再編計画への抗議行動、それに続く高校占拠、サンパウロ州議会占拠、その後もエスカレートするデモと、警官隊との激しい衝突に至る一連の映像を、3人の掛け合いとともに振り返る。
監督はエリザ・カパイ。自らカメラを手に追いかけた運動の様子と、さまざまな人々の手によって記録された動画やニュース映像を巧みに織り交ぜ、テンポのよい編集でブラジル社会が激動する2010年代の流れを見せていく。
「学生たちに初めて会ったのは、サンパウロ州議会の議事堂占拠の時でした。若い人たちが持っているエネルギーが放出されるのを目の当たりにして、非常に心を打たれました。最初は1時間ほどの取材で出てくるつもりが、彼らの主張に耳を傾けるうち、そこに居続け、一晩過ごしてしまいました。一夜明けて外に出たとき、この映画を作ろうと心に決めたのです」
抗議の声を上げる若者たちの姿は、躍動感にあふれている。サッカーやサンバやカポエイラを通じて、私たちがブラジル人に対して抱くイメージそのものだ。政治的な集会であっても、若者たちが大勢集まれば、そこはたちまち愛に満ちた空間になる。男女に限らず、男同士、女同士のカップルが抱き合い、口づけを交わす。
「私が非常に心を動かされたのは、若者たちが政治的な主張を自らの肉体で表現していたことです。ある女生徒は肌を大きく露出させ、そこに『私の体は私が決める』とメッセージを書いて、女性蔑視に抗議していました。LGBTに関する主張も、彼ら彼女らの重要なテーマの1つでした。若者たちは、議事堂の厳粛な雰囲気でさえ、ゲイパレードに変えてしまったのです」
旧来の権威に異を唱える政治的なメッセージが、太鼓のリズムとダンスに合わせ、大合唱となって響きわたる。若いブラジル人の肉体がもつ音楽性を感じずにはいられない。
「音楽はこの映画の4人目の主人公と言っていいと思います。時には背景に鳴り響く音楽が大きすぎて、話していることが聞こえない場面もありましたが、それもそのまま使いました。これこそ、発言よりも音楽が文字通りモノを言っていたという証です。彼らはまさに音楽を通じて発言していた。軍警察の威圧に負けまいとみんなで歌う。それが彼らの闘い方なんです。歌うことによって、恐ろしいものに向かっていく勇気を奮い立たせるんですね」
「ネイマールより1人の教師を!」立ち上がる市民たち
学生運動というと、フランスの5月革命に始まり、全世界へと広がりを見せた1968年を思い出す。当時のブラジルは、64年に始まった軍事独裁政権時代のただ中にあった。当時の市民たちに対する弾圧は、今よりずっと過酷で、デモをすれば多くの逮捕者が出た。拷問も行われ、殺された人、失踪して帰ってこない人もいたという。自身も学生運動に関わったカパイ監督はこう話す。
「フランスの学生運動は、当時のブラジルの若者にも大きな影響を与えたといいます。ブラジルでもその頃からずっと学生運動は続いていて、勝利もあれば手痛い敗北もありました。2015年にサンパウロで起きた高校占拠の始まりは、香港の雨傘運動など、その頃世界各地で起きていた若者の運動と呼応していたように思います。68年にパリで起きたことが、他の国々に波及していったのを彷彿とさせますね。この映画を見て、独裁政権に対する過去の闘いを懐かしく思い出した人もいるでしょう。当時から現代へと引き継がれている問題も、もちろんあると思います」
2013年にブラジル全土で巻き起こったデモは、公共交通機関の運賃値上げに対する抗議が発端だったが、翌年に控えたサッカーW杯開催への反対運動にまで広がりを見せていく。スタジアムの建設に巨額の税収を投じる代わりに、福祉、保健、教育に予算を増やせという主張だ。市民の不満が社会の変革を求める政治行動となって顕在化していく。
「ブラジルはアメリカ大陸で最後まで奴隷制が残っていた国です。また他の南米諸国とは違って、独裁政権下でさまざまな罪を犯した人々の訴追を怠った。ブラジルは歴史を反省してこなかったのです。これは今でも深く社会に影響を及ぼしている。社会の平等が実現しておらず、都市圏では、飢えている人々がいて、殺人を含む暴力事件が頻発しています。問題の根っこには、やはり貧富の差があるということです」
ポピュリズムが台頭する分断の時代に
市民の抗議デモが大規模になり、激化していくにつれ、軍警察がますます抑圧的になっていく様子が、この映画に克明に記録されている。まだあどけない顔をした高校生たちが催涙ガスを浴びせられ、警棒で叩かれ、次々と連行されていく。
治安維持を名目とした軍警察の横暴ぶりを後押しするのが、これまでさまざまな特権を享受してきたエリート層だ。治安の悪化への懸念に加えて、先祖代々の特権を失うことを恐れたのだ。独裁政権時代にノスタルジーを抱く人すら現れたという。
そんな分断の状況下で、ジルマ・ルセフが失脚し、ジャイル・ボルソナロという人物が登場した。
「ブラジルは世界最大のカトリック国ですが、プロテスタントの福音派(エバンジェリスト)が急増しています。彼らは家族のあり方や男女の役割について、極めて保守的な考えを持っています。その背景には、ジェンダーが議論になり、LGBTの人々が声を上げ始めたことがあります。こうした動きに真っ向から反対する福音派の人々が台頭してきたのです。彼らがボルソナロの支持層になっています」
この映画が完成したのは、2018年12月。1カ月以上前に大統領選挙の結果が出て、年が明ければボルソナロ新大統領が就任するというタイミングだった。この時すでに、自由と平等を求める多くの人々が落胆していたが、その1年数カ月後、ブラジルにさらなる災厄が襲いかかる。
「2020年3月、ブラジルで新型コロナウイルスの感染が広がり始めた当初、各州でロックダウンが行われました。しかし大統領は、各州知事に対し、ブラジルは止まってはいけない、これはただの風邪だ、と主張してロックダウンに異を唱えた。政治の二極化がパンデミックの二極化へと姿を変えたのです」
その結果、新型コロナによるブラジルの死者は、21年10月の時点で米国に続き60万人を超えた。ボルソナロ大統領はそれでも反ワクチンの主張を止めず、自身もまだ接種を受けていない。10月末にローマで開催されたG20サミットでは、未接種のまま出席した唯一の首脳となった。
「もう一つ、ボルソナロ政権下で起きた最悪の事態は、文化の破壊です。大統領は就任後すぐに文化省を廃止しました。国立映画庁(Ancine)という機関があるのですが、これは存続しているものの、実質的に機能していない状態にあります。つい最近の7月末には、サンパウロ市にあった国立のシネマテークで火災が起き、多くの貴重なフィルムが焼失してしまいました。これは以前から指摘されていた危険性を放置したためで、起こるべくして起こった惨事です。このように現政権は、ブラジル市民の文化や記憶を計画的に破壊している。それは市民が記憶する過去とは異なる歴史を押し付けるためなんです」
この映画に登場する当時の高校生たちは、ブラジルの軍事独裁政権が終わって15年ほど経った2000年頃に生まれ、本格的な民主化の時代に育った最初の世代。運動に参加した体験から得たものは人それぞれだった。ある者は楽しげに思い出を語り、またある者はつらい恐怖の記憶として振り返る。いずれにしても、それが将来のよりよい社会の実現に役立つことを願わずにはいられない。
「高校生たちの運動を追い始めたとき、それがハッピーエンドになることを想像して撮っていました。でも完成した映画がベルリン国際映画祭で初めて上映されたのは、ボルソナロ大統領就任の1カ月半後でした。今からもう3年近く前のことですが、その当時の気持ちを今回の取材を機にまた思い出しています。あらためて思うのは、歴史の中で何事もタダで与えられてきたものはないということ。どんな社会にしていきたいのか、そのためにどんな映画を撮っていくべきか、私たちは常に考え、それに力を尽くさなければならないと思っています」
取材・文:松本卓也(ニッポンドットコム)
バナー画像:映画『これは君の闘争だ』に語り手の1人として出演する当時の高校生、マルセラ・ジェズス
作品情報
- 監督・脚本:エリザ・カパイ
- 製作:アリアナ・ジェネスカ
- 撮影:エリザ・カパイ、ブルーノ・ミランダ
- 編集:エリザ・カパイ、ユリ・アマラウ
- 音楽:Decio 7
- ナレーション:ルーカス・“コカ”・ペンチアド、マルセラ・ジェズス、ナヤラ・スーザ
- 配給:太秦
- 製作年:2019年
- 製作国:ブラジル
- 上映時間:93分
- 公式サイト:https://toso-brazil.jp/
- 11月6日(土)シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開