ジョニー・デップと過ごした撮影の日々:映画『MINAMATA―ミナマタ―』のロケに参加した日本人エキストラに聞く
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「四大公害病」の1つである水俣病は、熊本県水俣市にあるチッソ社の工場が、有毒のメチル水銀を含む廃水を無処理で海に排出したことが原因だ。食物連鎖によって毒素が濃縮された魚介類を食べた周辺住民が犠牲になった。いまなお重度の障害に苦しむ人々がいる。母胎への影響により、胎児性水俣病を患って生まれてきた子どもたちもいた。
この悲劇を広く世界に訴えたのが、米国の写真家ユージン・スミスだ。水俣市の漁村に3年余にわたり滞在し、被害の実態を写真に記録した。帰国した翌年の1975年には、これらの作品を妻のアイリーンとともにまとめ、写真集『MINAMATA』を発表する。それから45年を経て、この写真集を「原案」に、作者であるユージンの姿とともに映画化した作品が生まれた。
映画でジョニー・デップが演じるユージンは、名高いグラフ誌「LIFE」で活躍した後、ニューヨークの片隅で失意の生活を送っていた。かつて従軍カメラマンとして沖縄戦を取材した際に負ったケガの後遺症に苦しみ、アルコールに溺れ、人間関係も破綻している。しかし、アイリーンとの出会いを経て、水俣病を題材にフォトジャーナリストとしての再起を図り、日本へと渡る。
実際にあった出来事をベースに、映画ならではのドラマチックな展開を加え、ユージンが水俣で過ごした日々が描かれる。自分の弱さに向き合いながらも、住民たちと心を通わせ、葛藤を乗り越えて被写体に対峙し、作品へと結実させていくまでの姿を、ジョニー・デップが見事に演じ切った。
セルビア行きを「運命」と確信
撮影が行われたのはセルビアとモンテネグロ。セルビアのベオグラードでは郊外のロケ地と、倉庫街にあるスタジオで撮影された。漁村のロケ地にはモンテネグロの海辺の町ティバトが選ばれた。200人を超える日本人エキストラを招集するのは難題だったに違いない。チェコ、ハンガリー、イタリアなど近隣国のキャスティング・エージェントを経由して、欧州在住の日本人を中心に声が掛けられた。2018年暮れのことだった。
日本に住む小松悟さんは、知人のフェイスブック投稿で募集を知った。Jリーグクラブの仕事をしていた小松さんは、「サッカー旅」の一環でボスニア・ヘルツェゴビナを訪れたことがあり、かつて日本代表監督を務めたイビチャ・オシム氏とも知己がある。今回の募集を教えてくれたのは、オシム監督時代の通訳で旧ユーゴ圏に広い人脈を持つ千田善氏だった。
小松さんはちょうどその前後、スタジアム演出などを手掛けていたヴァンフォーレ甲府から契約終了を伝えられたタイミング。失意もあったが、心機一転、新しいことに挑戦したい気分だった。何より個人的に「セルビア」と「水俣」という2つの土地に、運命的な巡り合わせを感じてしまったという。その理由は最後に記そう。
すぐに応募して、プロフィールと指示されたポーズのポートレートを数カット送ると、5つほどの役柄のセリフが送られてきて、その演技を日本語と英語で動画に収めて送るよう指示された。そこから1カ月ほど連絡が途絶えたが、どんな形であれ参加することを確信していた小松さんは、ユージン・スミスが水俣滞在中に愛飲していたというサントリーREDを飲みながら、図書館で借りてきた彼の著作や水俣関連の本を夜な夜な読み込んで吉報を待った。
19年2月上旬にセルビアのキャスティング担当から再び映像を送るよう指示があり、出演の意思とスケジュールを再確認された後、漁民役での出演が正式に決定した。日本からの参加者はセルビアまでの渡航費は自腹だが、撮影期間中の宿泊先は用意され、もちろんギャラも出る。もともとバルカン諸国へ取材に行こう(後述)と思っていた小松さんにとって、願ったり叶ったりの展開だが、現場ではなかなかの試練が待ち受けていた。
初日の不安を吹き飛ばしてくれた大物俳優
2月28日、小松さんにとっての撮影初日。早朝4時半に大型バスがホテルに迎えに来て、2カ所に分かれて滞在している日本人エキストラを順にピックアップし、「ベースキャンプ」へと向かう。与えられた衣装に着替え、ヘアメイクの時間。キャスティング担当から伸ばしてくるよう言われていたヒゲがあっさり剃られてしまう。不安を抱えたまま現場に連れて行かれ、エキストラ用のテントで待機していると、やがて助監督から出番の呼び出しがかかる。
「不安しかなかったですね。エキストラって、ただの通行人だと思うじゃないですか。ところがガッツリ演技させられるんですよ。その割には説明が少なくて…。台本なんて、もちろん僕らには渡されません。本番の直前、監督がシーンについて説明するのを通訳が訳す。リハーサルはなく、一発本番です」
初日の午前中は、チッソ社の前で抗議の座り込みをするシーンだった。真田広之扮する「訴訟派」のリーダーが、漁民たちをたきつける。
「監督の後に真田さんがご自分の言葉で、こういうシーンを撮りますというのを説明してくださった。『僕のセリフを聞いて、素直に反応してくれればいい。それが一番自然な演技になるから』と。その瞬間に、僕の中でやるべきことが見えた気がしました」
真田の言葉で漠然とした不安が解消したのはよいが、いよいよ責任重大だぞ、という思いもひしひしと高まってくる。頭のどこかにあった楽天的な期待は消し飛んだ。
「いまも水俣病で苦しんでいる方々、そのご家族、あるいは亡くなった方のご遺族がこの映画を観たときに、どこに感情移入するかといったら、僕たちの役なんですよね。もちろんリーダー役である真田さんがメインなんですけど、その迫真の演技に対して、彼に率いられた僕たち漁民があまりにも拙い芝居だと、観客が興ざめしてしまうんじゃないかと。ユージンさんとアイリーンさんが、なぜ3年間も水俣に滞在して作品を撮ったかの説得力が薄れてしまう。僕たちの怒りや苦しみが観ている人の印象に残らなければ、作品として成立しないと思ったんです」
控えのテントでは、たくさんの日本人エキストラとの間に仲間意識が芽生えた。小松さんのように日本から来た人は少なく、ほとんどが欧州在住。時間が自由になり、作品づくりに参加したいという思いがあるためか、写真家をはじめ、パフォーマー、バーレスクダンサー、彫刻家、タトゥー職人など、表現活動に携わる人が多かったという。中国人やセルビア人も日本人役で駆り出されていた。
2日目は「全然カットがかからなかった」と振り返るデモのシーン。チッソ側から発煙筒が投げ込まれ、怒りを爆発させた漁民らのデモ隊が魚を投げつける。小松さんの記憶に残っている感覚では、10分くらいぶっ続けで「責任を果たせ!」と叫んでいた。フェンスの向こう側にいるチッソ社員役の人たちに対して、知らず知らず敵意が湧いてきたという。
「真田さんが、みんなが本気でやらないといいものは撮れないから、フィルムに情念を焼き付けるようにやってくれとアドバイスをくださった。現場に立ったとき、漁師としての自分に自然と浮かんできたのは、怒り、悲しみ、そして自分の獲った魚で被害を招いてしまったんじゃないかという自責の念でした。感情としては号泣寸前なんですよね。でも昭和の男だから涙を見せちゃいけない、と必死にこらえて。カットがかかった瞬間、ツーっと頬を一筋、涙がこぼれました」
あの「おじさん」がジョニー・デップとは!
小松さんが撮影に臨んだシーンでは、ほとんどジョニー・デップが一緒だった。間近に見る世界的な大スターの印象はどうだったのだろうか。
「あまりにユージン・スミスになり切っていたので、目の前にいるのがベレー帽をかぶったヒゲ面のおじさんにしか見えないんですよ。ただ、目ヂカラはすごいし、いい匂いもするし、色気はハンパなかったですけど…。現場では、水俣にやってきたフォトジャーナリストと地元の漁師という関係で相対することができていたんですが、撮影が終わってホテルに帰り、1人で一杯飲みながら1日を振り返ったときに、あのおじさんがジョニー・デップだったのかと思うと、なんかソワソワして、なかなか寝付けませんでした(笑)」
ジョニー・デップについては、こんなエピソードもあった。ベオグラードのスタジオで居酒屋のシーンを撮影したときのことだ。
「真田さんがメインのシーンだったんですけど、本番直前にジョニーさんが登場して、“Hi, I’m Johnny. Alcoholic.”なんて自己紹介をするんです。通訳の人もそのまんま、『やあ僕はジョニー、アル中だよ』と訳すので、吹き出しそうになったのを必死でこらえたんですけど、真田さんが笑っていたので、いいのかと思って一緒に笑いました(笑)。とにかく人当たりが柔らかくて、お茶目な人でしたね」
小松さんが直接目撃したわけではないが、あるシーンが終わると、デップが首に何台もかけたカメラを1台ずつ外していき、その勢いで服まで1枚1枚脱ぎ出してストリップを演じてみせ、現場を大ウケさせたこともあったという。少しピリピリした空気を察したデップが、場を和ませようと気遣ったらしい。
「僕がジョニーさんの一番近くにいたのは、ネタバレになるのでくわしくは言えませんが、後半のヤマ場の1つとなるシーン。モンテネグロのティバトで、クランクアップの前日に撮りました。ちょっと危険もあるシーンだったのですが、ジョニーさんが僕らの前にやってきて、『君たちの安全が何よりも大事だから、決して無理をしないでほしい。その中でできる限りのいい画(え)をみんなで撮っていこう』と言って、最後に自分の胸を拳で叩き、両手を合わせてお辞儀する、あのお得意のポーズを決めたんです。そんな風に言われたら、逆に必死で張り切っちゃいますよね」
ジョニー・デップの強烈な魅力もさることながら、小松さんが強く感銘を受けたのは、やはり真田広之の姿勢だった。出番のない日も目立たない格好で現場に来てスタッフを手伝い、エキストラにアドバイスを送っていたという。
「エキストラの僕らが控えている間近で、翌日のセリフを繰り返し練習していることもありました。ハリウッド映画に出ている大スターが、そんな姿を隠そうともしないんですよ。現場で闘っている人なんだなと、信頼感を抱かずにはいられなかったです」
『MINAMATA―ミナマタ―』 の撮影現場で得られたもの
小松さんは約3週間にわたってセルビアとモンテネグロに滞在し、計8日間の撮影に参加した。声がつぶれるほどの熱演をしたが、完成した作品を観ると、ほとんど映っていなかったと笑う。それでも、「フレームの外で起きていることも画面からにじみ出る」という信念で、映っていようがいまいが、全力でやることを心がけた。
今回の映画の現場は、CM業界で映像制作の仕事をしていた小松さんにとって、作品づくりに対する考えを根本から覆される体験でもあった。
「CMの撮影現場は、演出もタイムテーブルも事前に細かく決めておいて、いかにその通りに進められるかが勝負でした。でも今回の現場では、与えられたその瞬間を生きて、自分の全力と最善を尽くすしかないという、作品づくりの一番シンプルなところに行き着いた気がしました。こういう場に身を置いて得られた自信というのは大きい。人生の後半戦に向けて糧となる経験でした」
エキストラに応募する1カ月半前、小松さんは小さな出版社から、自身の「サッカー旅」で生まれた出会いをテーマに1冊の本を出していた。発行日は2018年11月11日、当初の予定から2カ月遅れだった。出版社から先に出たのは、『みな、やっとの思いで坂をのぼる 水俣病患者相談のいま』。送られてきたこの本を読みながら、自分の本が出る日を待っていたのだという。
「水俣病センター相思社の永野三智さんが書かれた本です。こんな素晴らしい本が出るなら、僕の本が後回しになるのも仕方ないなと思って。11月11日は、“11対11”でサッカーの日と言われているんですが、第一次世界大戦が終結した記念日でもある。しかも2018年はちょうど100周年でした。第一次大戦といえば、きっかけはサラエボ事件…。そんな連想から、“サッカーと平和”というテーマで取材をしにバルカン諸国をまた訪れたいなと考えていた矢先でした。エキストラ募集を見て、水俣病、セルビア…と全部つながっていて、運命の導きじゃないかと居ても立ってもいられなくなったんです(笑)」
セルビア行きが実現し、念願だった映画の現場に参加できた小松さんは、撮影が終わった後、3週間以上にわたって周辺国を巡り、「サッカー旅」を再開した。その取材先の中には、大量虐殺のあったボスニア・ヘルツェゴビナのスレブレニツァに、セルビアとボスニアが共同で設立したサッカークラブもあった。
「ボール1つでいろんな国の人たちが仲良くなれれば、その延長に戦争のない世の中があるんじゃないか、というのが僕のテーマ。これからもサッカーの旅を続けていきたい。今回の撮影は、そう強く思わせてくれるきっかけになりました。映画では、ジョニーさんの姿を通してですけど、ユージンさんの生き方や弱者へのまなざしを感じることができた。被写体に対して誠実であろう、公平であろうとしたユージンさんの姿勢を、僕も行動の指針にしたいです」
取材・文=松本 卓也(ニッポンドットコム)
作品情報
- 出演:ジョニー・デップ、真田 広之、國村 隼、美波、加瀬 亮、浅野 忠信、岩瀬 晶子、キャサリン・ジェンキンス、青木 紬、ビル・ナイ
- 監督:アンドリュー・レヴィタス
- 原案:写真集「MINAMATA」W.ユージン・スミス、アイリーンM.スミス(著)
- 音楽:坂本 龍一
- 配給:ロングライド、アルバトロス・フィルム
- 製作国:アメリカ
- 製作年:2020年
- 上映時間:115分
- 公式サイト:longride.jp/minamata/
- 9月23日(木・祝)TOHOシネマズ 日比谷他にて全国公開