好きなことを仕事にする極意とは:映画『エポックのアトリエ 菅谷晋一がつくるレコードジャケット』
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ジャンルを問わず、何らかの作品の制作過程を記録したドキュメンタリーは数々あると思われるが、これはその中でもレコードジャケットという作品を扱った点で、おそらく数少ない映像作品の一つであろう。
まずレコードジャケットに特化したデザイナーが世の中にどれほどいるのだろうか。かつては、ロックやジャズやポップスのレコードが巷にあふれ、名の知れたデザイナーが世界で何人も活躍していたが、いまやインターネットで配信される楽曲を聴く時代だ。レコードの価値が一部の若者の間で新たに見直されつつあるとはいえ、ジャケットデザインで「食っていける」人はほぼいないに等しいに違いない。
それをやってのける希少な人物が、この映画の「主人公」である菅谷晋一だ。月刊誌「レコード・コレクターズ」の毎号の表紙をはじめとするグラフィックデザイン一般はもちろん、ミュージックビデオの監督や、アパレルブランドのアートワークまで幅広く手掛けてはいるが、あらゆる意味で仕事の比重はジャケットデザインが中心だと話す。
「ジャケットを作りたくてこの世界に入ってきているので、これをメインにやっています」
しかし菅谷がデザインを仕事に選んだのには、いくつかの偶然が作用したようだ。大学では建築を専攻したものの、元々好きだった写真をやりたいと考えていた。ところが大学4年の夏休みに、友人が運転する車で大事故に遭って長期入院し、カメラマンのアシスタントを体験できるはずだった機会を逸してしまう。普通なら、20代に入って間もない青年が、身動きのとれぬ病院のベッドで天井を見つめ、将来に不安を抱いたりするところだが…。
「あまり考えなかったかな(笑)。あーあ、写真できなかったな、くらいしか思っていなかった。1回死んだくらいの感覚だったんですよ。たまたま脳外科の名医に当たって、その人に診てもらえてなかったら、死んでたかもしれない。だから何か別の、好きなことをやろうと思って。写真のことは頭からポーンって飛んでっちゃった」
卒業後しばらくは、父が経営する町工場で働くが、そのうち趣味でデザインの作品を作るようになる。やがて、とある求人に応募して面接を受けた。「ボンジュールレコード」という、菅谷が好きで通っていた音楽とアパレルのセレクトショップだ。グラフィックデザイナーとして売り込んだが、結果は不採用。何しろ募集していたのは「バイヤー」だったからだ。ところがしばらくして、ボンジュールレコードがコンピレーションCD(既存音源を独自に集めたアルバム)を出すことになり、ジャケットデザインをやってみないかと声がかかったという。
以来ほぼ20年、「epok」の屋号でレコードやCDのジャケットを中心に、グラフィックデザインを仕事にしてきた。2008年にはエポック株式会社を立ち上げ、現在に至る。会社とはいえ社員はおらず、マネージメントから制作まで何もかも1人でやる。ジャケットに使う写真も自分で撮影し、絵を描き、オブジェを手作りする。
「アシスタントを使わないのはなぜか、最近よく聞かれるので、自分なりに考えてみたんだけど、よけいな意見が入らない方がいいからかな。誰かいたら、どうしても相談しちゃうじゃないですか。やっぱり自分でジャッジしたものを出したいから」
菅谷の下で学びたいと連絡をしてくる若者もいて、面接をしたことはあるというが、結局、いまだ採用には至っていない。
「別に1人でやることにこだわっているわけではないんです。自分がいっしょにやりたいな、とまで思う人には出会わなかっただけで。そういう人が現れたら一緒にやるかもしれない。でも僕、デザインの学校を出たわけでも、会社で働いたわけでもないから、どうやって教えたらいいか分からない。完全に独学で始めているから」
そんな菅谷の制作方法は、セオリー度外視の独創的なものだ。映画『エポックのアトリエ 菅谷晋一がつくるレコードジャケット』には、ロックバンド「ザ・クロマニヨンズ」が19年8月にリリースしたシングル『クレーンゲーム』と、同年10月のアルバム『PUNCH』のジャケット制作風景が記録されている。
音源が手元に届いたら、まず曲を1回だけ聴く。
「1回しか聴かない理由というのは、インパクトがほしいからなんですよ。レコード屋で試聴するときも1回だけですよね。そのときの、よし、このレコードを買おうっていう気持ちを形にしようと。曲を聴いてバチッときた波動というのかな」
曲を聴き終えると、アトリエに据えてあるソファに腹ばいになり、頭に浮かんだアイディアをノートにスケッチしていくのが菅谷のスタイルらしい。
「イントロがよかったとか、この言葉がよかったとか、頭の中にひらめいたことをメモしながら、ビジュアル化しようとするんです。寝ながら集中して考えていると、結構、眠くなっちゃうんですよね(笑)。いったん寝て、1時間くらいして目が覚めると、整理されてアイディアがまとまっているんですよ」
そこからは一心不乱に制作へと向かう。試行錯誤を繰り返すというよりは、最初に見据えたゴールにほぼまっすぐ向かっていくタイプだという。時には、描き直そうと思ってこすったら、そのかすれ具合が偶然によい効果を生んだので、そのまま使った、などということもあるらしい(ザ・クロマニヨンズのアルバム『ラッキー&ヘブン』)。
「最近は割り箸を使って描くこともあるんです。筆って、ある程度コントロールできる道具じゃないですか。割り箸は自分の力がうまく伝わらないから、偶然に出る面白さがあるんですよね。反対に気の済むまで塗り上げていく絵もある。モノによって違いますね」
このように自分の感覚をとことん信じて、常に自分が面白いと思える作品を生み出していく。この類いの商品が制作される際、通常なら必ず経由するであろうプレゼンテーションやディスカッションといったプロセスはない。アーティストが一発で納得するものを提示してしまうのだ。
「元々プロデューサーやディレクターが僕を選んでくれる時点で、僕のやり方を分かっているわけですから。1回ラフをバーンって1個出すと、それが通るんです。おおー、こういう感じね!って」
菅谷は「ラフ」と呼んでいるが、実はもはや修正する隙のない、ほぼ出来上がったものと言っていい。
「完成するまでは僕、全部ラフって言っちゃってるから(笑)。僕にとってはコンセプトより、見えているものがすべてなんです。広告の世界と違って、相手はミュージシャンなので、出せば分かってもらえる。そういう単純な世界なのかもしれないですね。お互い音楽ファンだから、通じ合いやすいのかな」
エポックのアトリエには、現代の社会で商品が生み出される際に、避けては通れないと信じられているマーケティングやコストパフォーマンスといった概念が入り込むことはない。現代の効率第一主義、経済至上主義とは相容れない姿勢を貫きながらも、そこに流れるのは、穏やかで、優しげな空気、そしてほがらかな笑いだ。
「自分の中で笑いが出たら、あ、できたな、というときなんです」
映画は、制作風景や菅谷自身の語りに加えて、甲本ヒロトらザ・クロマニヨンズやOKAMOTO’Sのメンバーなどのミュージシャン、グラフィックデザイナーの同業者、編集者らの証言を織り交ぜ、唯一無二の制作方法から生み出される作品の、有無を言わさぬ魅力を明らかにしていく。この記録を自ら企画した監督の南部充俊は、ナレーションやテロップなどの説明的な要素を一切排し、ミニマリズムを貫いたシンプルな映像ながら、丹念な編集で、しっかりと胸に響くメッセージを届けてくる。人が自分らしく生きるためのヒントが、見る人の角度によっていろいろと発見できる、味わい深い作品だ。
インタビュー撮影=花井 智子
取材・文=松本 卓也(ニッポンドットコム)
作品情報
- 出演:菅谷晋一、ザ・クロマニヨンズ<甲本 ヒロト、真島 昌利、小林 勝、桐田 勝治>、OKAMOTO’S<オカモト ショウ、オカモト コウキ、ハマ・オカモト、オカモト レイジ>、青柳 拓次、VLADO DZIHAN、DJツネ、佐藤 有紀、石川 明宏、森内 淳、信藤 三雄、佐々木 進
- プロデューサー・監督・編集:南部 充俊
- 撮影:千葉 真一(J.S.C)
- 音楽:青柳 拓次
- エンディング曲:青柳 拓次 featuring 真島 昌利
- 協力プロデューサー:汐田 海平、戸山 剛
- 制作プロダクション:エイゾーラボ
- 配給:SPACE SHOWER FILMS
- 製作年:2020年
- 製作国:日本
- 上映時間:96分
- 公式サイト:https://epok-film.com/
- 2021年1月8日(金)より新宿シネマカリテほかにてロードショー!