【書評】あの夏の集合意識「レノンウォール」を保存する:日本語版「消えたレノンウォール」翻訳委員会編『香港 絶望のパサージュから語りの回廊へ』
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「消失了的連儂牆(消えたレノンウォール)」を香港での原題とする本書には、編著者名も、日本語への訳者名も、実名では書かれていない。明らかにできないのだ。その一点だけをとっても、香港の現状はわかる。
香港には、かつてあふれんばかりの「言葉」があった。英国統治時代から香港に民主主義はなかったかもしれないが、稼ぐことと語ることの自由は存在した。香港人は「経済動物(エコノミック・アニマル)」と呼ばれ、政治には関心がないとも言われてきたが、少なくとも政治に対して、批評、論評であれこれ言い合う自由は持っていた。
香港は東洋の真珠と呼ばれた国際貿易・金融都市として発展したが、一人の外国人としていえば、その魅力は「言葉」の多様さ、多彩さにあった。日本には憲法で守られた言論の自由があるが、実際には組織や社会からの「無言の圧力」に縛られて自由を謳歌(おうか)できている訳ではない。一方、香港という土地にいったん足を踏み入れると、「言葉は語るためにある」ということを改めて教えられる気分になった。
2019年、香港では逃亡犯条例の改正に反対した人々が撤回を求め、香港政府に対して100万規模のデモで抗議した。香港政府は法案の棚上げを表明したが、人々は「五つの要求」を掲げて運動を続け、一部群衆の破壊行為と警察の暴力的取り締まりが衝突する時期が続いた。最終的には、香港中文大学や香港理工大学での警察と学生の攻防を経て収束し、翌2020年には香港国家安全維持法が導入され、デモに関係した人々がことごとく逮捕・指名手配され、メディアやSNSの政府批判は封じられ、香港の一国二制度は事実上形骸化した。
人々が当時求めていたものは何だったのか。スローガンでは民主的選挙の実施が求められた。ただ、本質的にその要望は、香港社会に対する「自由の保障」ではなかったかと私は考えている。1997年の返還以来、次第に切り崩されていく自由への恐れ。それをさせないために、選挙制度を強化し、自由を保障すること。だが、その要求は、北京政府によって1989年の天安門事件と同様、「体制への挑戦」と受け止められ、その後の弾圧・民主システムの一掃を招いた。
2019年当時、香港で広がった「レノンウォール」。そこには当時の香港人たちの集合意識が投影されていた。本書はその集合記憶をそのまま「記録」した本である。本書巻末の解説によると、レノンウォールは「社会主義政権下であったチェコスロバキアのプラハのモルダウ川河畔に、1980年12月に銃撃され亡くなったジョン・レノンの死を悼むメッセージカードがたくさん貼られるようになったことから命名されたものである」という。
2014年の香港・雨傘運動や同年の台湾・ヒマワリ運動でも出現し、今回の抗議デモでは、香港全土で満開の花を咲かせるように広がった。カラフルな付箋紙に、香港の人たちは、民主や自由への願い、警察への抗議、香港政府への失望を書き込んだ。私たちは、香港の取材のたびに、少年少女が、壁に向かって付箋紙を貼り、言葉を書き込むところを目撃した。あるいは翌日に破り捨てられ消えてしまうかもしれない。しかし、彼らは書き続けた。言葉を紡ぎ続けることによって運動の精神をつなごうとする行為に思えた。
本書の意義は、その一時性のものであった香港人の言葉を、タイムカプセルのように保存し、未来に伝えるものである。400ページを超える分厚い本書に収められた写真の一枚一枚が、2019年のあの夏、世界を驚かせた香港人の自由自在な運動の精神を伝えていくものだ。それが香港から消されても、日本やほかの国で翻訳され、残されていく。
同時に、本書は2019年4月に始まった運動について、当事者たちの学生、社会活動家、政治家たちの言葉を通して、時系列のダイアリーのように伝えている。無数の人々の整理されていない手付かずの素材だからこそのリアリティがある。これを読む者は、奇跡的に香港が言葉を世界に伝える「回廊」となったあの夏を、再体験することができるだろう。