【書評】日本人キリスト教作家の“遺言”を解き明かす:山根道公著『遠藤周作『深い河』を読む マザー・テレサ、宮沢賢治と響きあう世界』
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『深い河』は文学と人生の集大成
著者、山根道公(やまね・みちひろ)博士は1960年生まれ。本人とも面識があった遠藤周作研究の第一人者として知られる。本書は2010年に朝文社から出版したものを加筆修正し、生誕百年を記念した「遠藤周作探究」シリーズ全3巻のⅡ(第2巻)として改訂復刊された。
最後の書下ろし長編小説『深い河』は1993年6月に刊行された。山根氏はこの小説を「遠藤の文学と人生の総決算」と評する。「作中人物一人一人に込められたテーマをできるかぎり丁寧に読み解かなければと思い」、同年9月から季刊誌に「『深い河』を読む」と題して2年間、連載した。小説に埋め込まれた遠藤のメッセージを膨大な資料とともに解読したもので、これが本書の主要部分となっている。
主人公のモデルは“戦友”の井上神父
遠藤文学の集大成『深い河』には、過去の作品の主人公たち、遠藤自身、母、兄、親友らを彷彿(ほうふつ)させる人物が登場する。「遠藤のこれまでの人生を織りなした真実が作中人物たち一人一人に投影されるといった凝った構成からなる」と山根氏は解説する。
この小説では夫婦の愛、動物との絆、命の恩人の戦友など様々なストーリーが描かれる。苦悩や人に言えない秘密を背負った人生模様、さらに人間関係が複雑に絡み合っていく展開だ。
主な作中人物たちが勢ぞろいするのが、日本からのインド・ツアーという設定である。ツアーには各人がそれぞれの思いを秘めて参加する。その一行がインド北部にあるガンジス河ほとりのヒンズー教最大の聖地、ヴァーラーナスィ(ベナレス)に集う物語である。
登場人物のうち、主人公の「大津」は熱心なクリスチャンで、東京のカトリック系大学の哲学科を卒業、フランスの修道院で神父を目指したが、西欧キリスト教に違和感を持つ。修道会からは異端視され、「日本人の心にあう基督教を考えたい」と思い悩んだ。やがてヴァーラーナスィに辿り着き、ツアー一行と遭遇する。
もう一人、重要な役回りを演じるのが「成瀬美津子」で、無宗教だ。同じ大学の仏文科時代、大津をからかい半分で誘惑し、神を棄てるよう迫った。いったんは彼を振ってしまうが、その後、フランスのリヨンで神学生になっていた大津と再会したり、見合い結婚した夫と離婚してからも手紙を交換したりした。「本当の愛」を求めていた美津子がツアーに参加したのは、大津がインドにいると知ったからだ。
大津には実在のモデルがいたことが本書で明かされている。井上洋治神父(1927~2014年)である。遠藤と井上は1950年6月、客船マルセイエーズ号の四等船客として横浜港を発ち、フランスに留学した。しかし、二人ともヨーロッパの神学に馴染めなかったという。井上にとってのライフワークは「日本文化とキリスト教」で、日本人の視点でキリスト教に向き合った遠藤は、井上をあえて「戦友」と呼んだ。
宗教は互いに「寛容さ」をもつべき
ヒンズー教では、聖なるガンジス河で沐浴(もくよく)すると、すべての罪が洗い流されると信じられている。火葬した遺灰を流すことで、輪廻(りんね)から解脱できるともいわれている。本書では、ヒンズー教の聖地を舞台にした大津の「キリスト教の枠組みを大胆に超えた愛の活動」をこう描写する。
大津は、行き倒れのヒンズー教徒のなかにもキリストが生きていると信じ、キリストにその人をどうぞ受けとり抱いてくださいと祈りながら、そのヒンズー教徒の心を大切にして、その人の信仰の願いに従って河のほとりで火葬して、その灰を母なるガンジス河に流す。
遠藤は生前、カルカッタ(現コルカタ)の聖女と呼ばれたマザー・テレサ(1910~97年)と直接会ったことはなかったものの、文通していた。『深い河』には大津が好きだという「インド独立の父」マハートマ・ガンジー(1869~1948年)の宗教に関する語録が引用され、マザー・テレサ会の修道女たちもこの小説に登場する。
山根氏は本書で、ヒンズー教徒のガンジーとカトリック教徒のマザー・テレサの二人の生き方には共通点があると諭す。
諸々の宗教が互いに敬意を払いながら寛容さをもち、並び立ちながら、それぞれが自らの信仰をいちずに生きる具体的な姿を私たちに示したといえよう。
多様な宗教は互いに「寛容さ」をもつべきだということだろう。それこそ、遠藤が発したかったメッセージのひとつではないか。
『深い河』について山根氏は本書で、宮沢賢治(1896~1933年)の「『銀河鉄道の夜』のもつ宗教性と響きあう」とも指摘する。法華経の信者だった賢治は聖書研究もしていた。遠藤も晩年、仏教への関心を深めた。両作家とも「諸々の宗教を平和的に共存せしめる開かれた根源的宗教性」を物語のテーマにしたと山根氏は分析しているのだ。
なぜ幅広い読者を獲得できたか
「二十一世紀に入り、世界では宗教を背景とした文明の衝突とも関係したテロと報復の暴力の連鎖がより深刻化している」。山根氏は本書でこう前置きし、「遠藤氏が現代人への遺言のように最後の力をふりしぼって書き上げた『深い河』に込められたテーマ」は宗教の対立を乗り越えるために、何が必要なのかだったと結論づけている。
『深い河』が上梓されたのは30年前。だが、宗教をめぐる確執や紛争は国際社会で続いている。遠藤の「遺言」は、今なお生きている。
日本のキリスト教人口はカトリック、プロテスタントを合わせても総人口の1%前後といわれている。しかるに、キリスト教作家・遠藤の代表作『沈黙』は累計200万部を超え、ハリウッドで映画化もされた。遠藤文学は海外でも高い評価を得ている。純文学以外でもユーモアあふれる作品で一世を風靡(ふうび)した。
日常の「生活」と「人生」は根本的に違うというのが遠藤の持論だった。彼の作品が内外の幅広い読者に支持され、ノーベル文学賞候補にも擬せられた世界的な作家になったのはなぜか。それは「人生」の意味を問い続け、宗教観、死生観にも強く訴えるものがあったからにほかならない。
【遠藤周作の略年譜】
1923年 | 3月27日、東京市巣鴨(現豊島区)で誕生 |
1929年 | 父の転勤で大連に移る。大連市大広場小学校に入学 |
1933年 | 両親が離婚、母に連れられ神戸に帰国。その後、夙川(しゅくがわ)カトリック教会で受洗 |
1943年 | 旧制灘中学校卒業後、3年浪人して慶応義塾大学文学部予科に入学。1949年に同大仏文科を卒業 |
1950年 | 戦後最初の留学生として客船で渡仏、リヨン大学に入学 |
1955年 | 「白い人」で芥川賞を受賞、大学後輩の順子さんと結婚 |
1966年 | 書下ろし長編小説『沈黙』を刊行、谷崎潤一郎賞を受賞 |
1975年 | 『遠藤周作文学全集』(全11巻)が新潮社より刊行 |
1993年 | 最後の書下ろし長編小説『深い河』を刊行 |
1995年 | 文化勲章を受章 |
1996年 | 9月29日、73歳で死去 |