【新刊紹介】バブルを生き抜いた男が封印していた過去に向き合うとき:大沢在晶著『晩秋行』
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主人公の円堂は、バブルの頃、「地上げの神様」と呼ばれた二見興産の二見会長の手下として、法律スレスレの地上げにかかわっていたが、いまは中目黒で小さな居酒屋をやっている。62歳になるが、いまだに独身でいる。
彼は苦い過去を背負って生きてきた。バブルが崩壊するとともに、巨額の債務を抱えた二見会長は、赤い色の愛車フェラーリ250GTカリフォルニア・スパイダーを駆って失踪した。このとき、会長は君香という六本木のホステスを連れて姿をくらました。
彼女は、円堂が真剣に結婚を考えていた最愛の人だった。以来、30年の歳月が流れた。ヤクザや闇金業者ら債権者たちは二見を追ったが、その消息はいまだに知れず、いつしか二人は心中したという噂が流れていた。
カリフォルニア・スパイダーは1960年に発売されたが、104台しか生産されておらず、いまではオークションにかければ20億円以上の値が付くという。この希少価値の高いスポーツカーの行方が、この物語の鍵を握る。
発端は、那須高原でサングラス姿の女性が運転する赤のスパイダーが目撃されたことだった。はたして二見会長の所有車なのか。運転していたのは君香か。その情報を聞いた那須在住の作家中村は、円堂と連絡をとる。中村は、かつて円堂と組んで地上げにかかわっていた相棒だった。
ここから物語は動き出す。あるところからスパイダーの情報を入手した債権者のヤクザは、二見を探し出し、スパイダーを売って損失を補填しようとする。円堂は迷っていた。君香は二見との関係を隠し、自分とつき合っていた。いまさら裏切られた女性を探してどうなる。二見は生きているとすれば90歳に手が届き、君香もそれなりに歳を重ねている。いまでも二人は一緒に暮らしているのか。円堂の心の葛藤が、本作のおおきな読みどころであり、共感する読者は多いことだろう。自分を捨てた理由をいまさら聞き出してどうなる。
カリフォルニア・スパイダーがそこにいた
だが、ヤクザがからんだことから円堂は巻き込まれていく。過去の自分に決着をつけなければならない。ここから先は、読んでからのお楽しみだ。ひとつの手がかりから次々と状況が変わっていく。ミステリーの醍醐味が堪能できるが、正しく大人の恋愛小説でもある。あと少しだけ、私の気に入った場面を紹介しておきたい。
円堂は、バブル崩壊を生き延びた元銀座高級クラブのナンバー1ホステスで、いまは小さなバーを経営する委津子と男女の仲ではないが懇意にしている。円堂は過去を振り返る。
「皆が欲ボケしていたんだ。土地は永久に値上がりする。日本列島の土地の値段で、アメリカがいくつも買えるなんてことをいっていた」
委津子は円堂の未練を見抜いて言う。
「女は昔の男のことなんてこれっぽっちも思い出さない(略)男はさ、いつまでも甘い思い出にひたってる(略)」
バブル時代も円堂はヤクザとは一線を画していた。
裏の世界の人間はすぐに「筋を通す」とか「人として」という言葉を口にするが、その大半は自分にとって都合のいい場合だ。他人には筋を通せといっておいて、自分はその筋を平気で無視する。筋などという言葉は因縁をつけるための材料でしかない。
円堂が那須に調査に出掛けた帰り。著者の大沢在昌氏は、作家デビューから40有余年。熟達の筆はますます冴えるが、さすがに「新宿鮫」の先生も年齢を感じるようになったか。
移動の疲れだ。たいした距離でもないのに、新幹線と中村の車で動いたことで、体が疲れを訴えている。これが年を喰うということか。
円堂は息を呑んだ。きれいな状態のカリフォルニア・スパイダーがそこにいた。
ここは最高の場面だ(表紙写真がそのカリフォルニア・スパイダー)。その描写は、うっとりするほど美しい。そして、すべての真相が明らかになったとき、円堂はこう考える。
やはり三十年という時間は長い。思い出の甘美さと現実の重みを、分けて受け止められる年齢に、自分もなったということだ。
著者は、「66歳にして、男女の真実をやっと書けました」と語っている。奇しくも主人公と同年代の私は、過去に思いをはせながら本作をかみしめるように読んだ。ページをめくる手が止まらなかった。なるほど、晩秋にさしかかった枯れた男の生き様に味わいがあり、しみじみとした読後感が残る。さあ、冷房の効いた部屋で一気読みしよう!
双葉社
発行日:2022年6月25日
四六版:488ページ
価格:1980円(税込み)
ISBN:978-4-575-24531-8