【新刊紹介】日本の行く末を憂いた渾身の回顧録:岡本行夫『危機の外交 岡本行夫自伝』
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私が知る岡本行夫氏は、眼光鋭く、外交を熱く語る人だった。最後にお目にかかったのはコロナ前、偶然、寿司店のカウンターで隣り合わせたときに、「自伝を書いている。かなりできあがっている」と伺った。それが遺作となった本書であった。
岡本アソシエイツ・ゼネラルマネージャー藤澤美子氏の「あとがきにかえて」によれば、本書は岡本氏の「ライフワーク」であったという。1990年、外務省北米一課長だった岡本氏は、湾岸戦争での日本の貢献策として援助物資の調達に奔走したが、人員を派遣しない日本に対する米国の反応は「屈辱的なもの」だった。
そのときの経験から、同氏は「アメリカの学生たちが日本研究をする際に副読本になるような本を英語で書きたい。正しい日米同盟、日米関係を理解してもらいたい」との強い思いが、本書の執筆動機であったという。同時に、日本の読者にも新しい情報を伝えるために、この日本語版が刊行されることになった。
本書は、岡本氏の生い立ちに始まり、外務官僚としてかかわった日米経済摩擦、湾岸戦争、さらには首相補佐官として情熱を傾けた普天間基地移設問題、イラクの復興支援について、その外交の舞台裏が克明に記述されている。総じていえば、国家の安全保障よりも省益を優先する官僚主義との孤軍奮闘の戦いであった。そこには初めて明かされる秘話が盛りだくさんで興味深い。
さらには「日本外交の最大課題」として日中、日韓関係の問題点と展望について詳述し、北朝鮮の脅威や台湾有事についても自身の見解を披瀝する。一貫しているのは、安全保障の上で、日本は日米同盟以外に選ぶべき道はないという立場だ。
日本の核武装は非現実的
外交の第一線に立った岡本氏は、実現したこと、実現できなかったこと、無念の思い、悔恨の情も含めて思いの丈を綴っている。その語り口には相当の熱量がある。生い立ちのくだりを読むと、同氏の人柄になるほどと思うのである。
以下、印象に残った記述を少しだけ紹介しておこう。
僕は外務省と首相官邸で合わせて30年近くの仕事を通じて、1970年以降の全ての日本の首相を知る機会があった。さすがは指導者と思える人もいれば、そうでない人もいた。結局国家を率いて何をしたいのか、その情熱と哲学が指導者に必要な絶対条件である。これが下から総理大臣を仰ぎ見ていた僕の結論だ。
先進国首脳会議では、各国首脳は「自分の実力だけで議論する」と書いている。
僕はG7サミットというまたとない場面で強く感じた。議論の基礎となる学問的な素養というものは、首脳になってから身に着けようとしても所詮は上手くいかない(略)結果として議論を主導するのは常に欧州の首脳たちであった(略)日本の首相が発言を始めるとジスカール・デスタン大統領は、これ見よがしに新聞を取り出して読み始める(略)。
日本の安全保障体制は、岸信介首相の遺産だけで食いつないできたが(略)日本の安全保障政策は歪んでいった。それらを本来あるべき姿に戻そうとした首相は、多くない。名前を挙げれば中曽根康弘、橋本龍太郎、小泉純一郎、そして安倍晋三といった人々だろうか。
岡本氏は、核ミサイルを格納する、日本の四国の面積に匹敵する広大な米軍基地を見学し、「日本の核武装などは非現実的な話だと思い知らされた」という。
要するに核を安全に所有するためには、考える以上に膨大なインフラと人的資源が必要であり、こうした体制の取れない国は核兵器など持つべきではないのだ。(略)「日本も核武装すべきだ」という意見に対して、僕は「平和国家の日本は核を持つべきでない」と言う前に、「カネも、人も、場所も無理だからおやめなさい」と言うことにしている。
岡本氏はなぜ外務省を去ったか。
外務省に不満があったのではないし、外交という仕事に飽きたわけでもない。上司と衝突したわけでもない。しかし組織が持つ限界は身に沁みていた。湾岸戦争の際に経験した官僚組織の限界が僕の辞める気持を後押しした。
1996年5月、橋本龍太郎内閣で官房長官を務める梶山静六に請われて首相補佐官となり、以来、沖縄の米軍基地問題に取り組むようになった。しかし、
「安全保障政策は国が決めて地元に申し渡せばいい」という外務省の姿勢では成功しない。血のにじむような地べた工作のみが基地問題を解決する。(略)沖縄問題は、軍事上の合理性や技術論だけでは対応できない。死にもの狂いで沖縄の窮状を救おうとする政治家が現れなければ、前進しない。このような情念をもって沖縄に接する政治家はいるのだろうか。
普天間基地から辺野古移転での滑走路の設計をめぐり、民間の知恵を絞った岡本案は潰された。
役人は、何であれ、自分たちが権限を持ってやっている仕事に、政治家以外の関与は許さない。民間の自由な発想で国の政策が決められたことは、これまでもない。各種の審議会で民間委員の答申に基づいて政策が決められることは多いが、答申の原案は、政府の役人によって書かれる。
岡本氏は、日本外交への思いのすべてをこの一冊にこめて世を去った。本書から学ぶべきことはあまりに多い。
新潮社
発行日:2020年4月15日
四六版:479ページ
価格:2420円(税込み)
ISBN:978-4-10-354561-3