【書評】‘李香蘭’が川島芳子に仕掛けたインテリジェンス工作:川崎賢子『もう一人の彼女』

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戦前、中国のシネマ界で李香蘭として大人気を博し、戦後はメディアや政界で活躍した山口淑子には、インテリジェンス関係者の影がいたるところにつきまとっている。「歴史の犠牲者」としての李香蘭のイメージ定着の裏に、「情報」をたくみに使いこなして生き抜くしたたかな一面があった。

川崎 賢子 KAWASAKI Kenko

文芸評論家、立教大学特任教授。主な著書に、『少女日和』(青弓社)『蘭の季節―日本文学の二〇世紀』(深夜叢書社)『彼等の昭和』(白水社)『宝塚―消費社会のスペクタクル』(講談社選書メチエ)『読む女書く女』(白水社)『宝塚というユートピア』(岩波新書)『尾崎翠 砂丘の彼方へ』(岩波書店)など

諜報の世界とのコネクション

日本と中国が良くも悪くも、あまりにも深く関わった戦前。今では想像つかないほど、日中両国間を文字通りまたにかけて大活躍した人物が数多く現れた。そのなかには、妖しい輝きを放った「国籍不明」のスターたちがいた。

その一人が、2014年に94年の生涯を閉じた山口淑子だ。戦後、参議院議員を3期務めた「山口淑子」よりも、戦前に満州映画や中国映画のスターとして中国で圧倒的知名度を誇った「李香蘭」の名前が、むしろ響き渡っている。

戦後は米ハリウッドのエンターテイメント界にも一時、「シャーリー・ヤマグチ」として進出していた。その数奇でドラマに満ちた華麗なる生涯を、これまでスポットが当たっていなかった「諜報」という視点で掘り下げたのが、文芸評論家・川崎賢子の新刊「もう一人の彼女 李香蘭/山口淑子/シャーリー・ヤマグチ」(岩波書店)である。

川崎は、生前の山口淑子とも面識があったが、この作品では、綿密な史料検証の手法によって一つひとつの事実を丹念に洗い出し、山口淑子と日本、中国、米国のインテリジェンス組織とのコネクションを浮かび上がらせている。

激動の時代を生き抜くなかで、無視できない権力や資力を有していた「諜報」の人々とつながること抜きには、国際スターの座は掴めなかったのかもしれない。諜報サイドも「人心収攬」で大きな効果を発揮するスターの利用価値を「李香蘭」に見出したのも当然だ。

川崎は、自らの執筆動機について、山口淑子の人生語りに対して、納得のいかないところがあったことを示唆しながら、こう記している。

「研究批評の視点から精読すると、何かが語り落とされているような、あるいは重大なことがらがありがちな些細なことがらであるようにさらりと語られすぎているような、いぶかしいおもいにとらわれることが、ままある」

山口淑子の著述に対するチャレンジと受け止められかねないだけに、川崎も慎重に言葉を選んではいるが、神話化された山口淑子の「仮面」を剥がしていく研究者としてのこだわりが、本書の執筆動機と見ることができるだろう。

「2人のヨシコ」と漢奸裁判

満州貴族の血統を引き、日本人の養女として育てられ、女将軍として大陸で暴れまわった男装の麗人・川島芳子と山口淑子のいわゆる「2人のヨシコ」の関係について、川崎が一つの重要な指摘をしていることに目が止まった。それは漢奸裁判の問題である。

日本の敗戦後、中国では国民政府のもと、中国人の対日協力者、いわゆる漢奸(裏切り者)たちを追及する裁判が始まった。漢奸の罪は重く、死刑や長期懲役を課されるケースがほとんどで、疑いをかけられることに日本と関係を有した中国人は戦々恐々とした。

そのなかには「文化漢奸」という分類があり、芸能人や作家も例外とはされず、むしろ中国民衆の対日報復感情の矛先になった。川島芳子も山口淑子も、同様に漢奸容疑をかけられたが、日本人の両親のもとに生まれた山口淑子は日本の戸籍謄本を入手することで中国人ではないことが証明されて日本に帰国でき、川島芳子は、中国籍のまま養女となったため日本に戸籍謄本がなく、中国人と認定され、若くして刑場の露と消えた。

この2人の対比があまりに劇的で、繰り返しミュージカルやドラマになった「李香蘭」のクライマックスにも選ばれる場面である。

しかし、川崎は、山口淑子が自伝などで語っている漢奸裁判が、本人が無罪判決を受けて日本に帰国したとされる1946年3月にはまだ始まっていないことを本書で指摘している。山口淑子の自伝の経歴には確かに「1946年2月中旬 軍事裁判法廷で無罪宣告 国外退去宣告」と記されている。

川崎は「それはどういう法廷だったのか。李香蘭こと山口淑子は、はたして『漢奸』として逮捕されたのか、裁判にかけられたのか、その経緯を伝えるのは彼女自身の証言だけであり、傍聴者の言葉も、裁判記録も残されてはいない。いまのところ中国側からの裁判史料も出てきてはいない」と書く。

私はこの下りを読んで驚いた。というのも、李香蘭と川島芳子の漢奸裁判については、歴史資料的に立証済みの事実かと思い込んでいたからだ。

裁判時期と帰国の矛盾点

疑いの目をもって、山口淑子の自伝的著書を読み直してみると、川島芳子について、山口淑子は李香蘭時代、私生活でもかなり複雑な関わりを持っていたことが、山口淑子自身の言葉で明らかにされていることに気づかされた。

一時期の上海で飲み友達となって連夜遊び歩いたこともあり、そのなかで川島芳子と深い関係にあった日本軍人と山口淑子が恋仲になったと、川島芳子は憲兵隊に告発していた。結果的には、川島芳子の勘違いであり、疑いは晴らされたのだが、山口淑子の評判は一時かなりの危機にさらされている。また、日本に一時帰国した山口淑子のもとを失脚した川島芳子が突然訪れ、奇怪な行動をとったあと、「人に利用されてゴミのように捨てられた」と告白する痛々しい手紙を残して姿を消したという。

だが、これらのエピソードは、処刑された川島芳子の言葉からクロスチェックすることはでず、第三者の証言もないものだ。全体として、川島芳子と自らを「明と暗」に位置付ける構図に大きな効果を挙げている。

肝心の漢奸裁判については、山口淑子の代表的自伝『李香蘭 私の半生』(新潮社)が最も詳しい。山口淑子は「1946年2月中旬」に開かれたとする自らの漢奸裁判について、このように記している。

「前日、裁判長の葉徳貴さんから川喜多さん(評者注:元中華電影社長の川喜多長政氏)に連絡があって『明日ですべてが終わりますよ』というニュアンスの”内示”があったからである。裁判の形式をとるのは正式手続きを踏んだ法廷記録を残すためで、いずれにせよ私の日本国籍が証明され漢奸容疑が完全に晴れた旨、判決を下すセレモニーが必要だったのである」

さらに「葉裁判長の軍服姿には威厳があった」と振り返りながら、葉氏の口から「これで漢奸の容疑は晴れた。無罪と宣言して、小さな小槌をトンと打った」と描く。葉氏からは「一般の日本人引揚者にまじって、だれにも『知られないよう平凡な日本の一女性として帰るように』という優しい声までかけられた」と裁判の様子を記している。

だが、考えてみれば、軍事裁判といえども、裁判を開く以上は、その前に起訴手続きがなければならず、また裁判では容疑事実の説明があるはずだが、そうした情報は一切記述されていない。裁判長の葉氏から前日に無罪を示唆するような電話があることも、なかなか現実には想像しにくい。

もしかすると軍事裁判ではなく、単なる処分の通知として呼び出されたのかもしれないとも考えたが、山口淑子の認識ではそうではないようだ。

『「李香蘭」を生きて 私の履歴書』(日本経済新聞社)という日本経済新聞の「私の履歴書」を書籍化した本では、漢奸裁判の下りはより具体的になっており、「軍政部の一室に入ると、そこには10人ほどの裁判官や書記官が一列に並んで座っている。中央にいるのが葉裁判長」と書かれている。

勝者として歴史を作った?

考えられる可能性は二つある。一つは、山口淑子は真実を語っており、当時の裁判資料が何らかの理由で散逸してしまったことだ。

だが、中国人は基本的に記録魔であり、過去を見つめながら生きている人々である。本当に裁判が行われたなら何らかの記録があるはずだし、簡単には紛失したりしない。すでに公開されている漢奸裁判をめぐる台湾や中国の歴史档案資料(中国の公式歴史文書)から何らかの記述が発見されているだろう。

もう一つは、山口淑子があえて事実と異なる記述をしていた可能性だ。確かに彼女は漢奸認定の瀬戸際まで追い込まれており、新聞の見出しには日付つきで彼女の処刑日まで報じられている状況だった。家族がすでに処刑されたものと思い込んでいたほどで、帰国できずに上海の収容所に留め置かれながら、戸籍藤本による日本人の証明によって一命をとりとめたのは事実に違いない。

しかし、漢奸裁判まで開かれたかどうかの証明がないのである。
インテリジェンスは、語られていることより、語られていないことを読み取ることが大切だと言われる。川崎は、この山口淑子が生前語らなかった漢奸裁判のこうした不自然な記述の理由について、
1、いつ断罪されてもおかしくない恐怖をいいたかったのか
2、漢奸裁判という汚名とともに過去の李香蘭という名前を捨てたかったのか
3、李香蘭の過去は漢奸裁判という公的な審判を受け、しかもそこで中国人によって無罪とされ、新たな生を生きる許しを受けたのか
という3つの推論を挙げている。

私には、3つのどれもが正解であり、どれもが完全には山口淑子の思いを伝えていないのではないかと感じる。

『「李香蘭』を生きて 私の履歴書』には、巻末に、川島芳子が死刑に処された裁判記録の16ページにも及ぶ詳細な翻訳が残されている。山口淑子が自ら入手した一時資料のようであるが、山口淑子の自伝に川島芳子の裁判記録をここまで載せる必要があったのか、過剰さは否めない。

私はそこに、川島芳子の悲劇性を強調したい山口淑子の「意図」を感じる。つまり、成功し、生存した者としての自分と、失敗し、処刑された者としての川島芳子の違いが、見事なほど、くっきり浮かび上がるのだ。

その意図に悪意があったとまではいわないが、漢奸裁判のこともある種の脚色や創作を含んでいたとすれば、「歴史は勝者が作る」という中国史のセオリーを改めて思い起こさせる。山口淑子は「漢奸裁判」を切り抜けて、李香蘭を捨て、日本人の生を生きることを選んだ、とされている。だが、その歴史観はもしかすると中国人・李香蘭のそれを捨てていなかったのかもしれない。

山口淑子というよりも、李香蘭は、生前に様々な恩讐を抱えた川島芳子に対して巧みなインテリジェンス工作を仕掛け、「二人のヨシコ」の勝者となったことを青史に刻もうとし、それに成功したのではないだろうか。

もう一人の彼女 李香蘭/山口淑子/シャーリー・ヤマグチ

川崎 賢子(著)
発行:岩波書店
四六版:272ページ
初版発行日:2019年3月26日
ISBN:978-4-00-025324-6

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