古典俳諧への招待 : 今週の一句

ながながと川一筋や雪の原 ― 凡兆

文化 環境・自然・生物 暮らし

俳句は、複数の作者が集まって作る連歌・俳諧から派生したものだ。参加者へのあいさつの気持ちを込めて、季節の話題を詠み込んだ「発句(ほっく)」が独立して、17文字の定型詩となった。世界一短い詩・俳句の魅力に迫るべく、1年間にわたってそのオリジンである古典俳諧から、日本の季節感、日本人の原風景を読み解いていく。第7回の季題は「雪の原」。

ながながと川一筋や雪の原 凡兆
(1690年作か、『猿蓑(さるみの)』所収)

冬、ふだん雪が降らない地域が雪景色になると、風景は一変します。雪の少ない京都を中心に展開した日本の古典文学では、日常に新鮮な感覚をもたらしてくれる雪を待ち望む思いがよく詠まれました。この句の作者の凡兆は京都の住人で、芭蕉の弟子の一人です。

この句が描き出している風景はとても単純で、一面の真っ白い雪の原に何かが黒く長々とのびていると思ったら、川が一筋流れていたのだった、というものです。京都の郊外でしょうか、雪が降るまでは野原や田畑の広がっていた地上が雪によってまったく違う白い世界に変わり、それまで目立たなかった川が黒々と視覚に強く働きかけてきた印象を捉えています。

実は、この句の4年ほど前に、やはり芭蕉の弟子の乙州(おとくに)が、「川筋のただしくなりし雪野哉」(川の流れる筋がはっきりとしたよ、雪の野になって)という、よく似た句を詠んでいました。凡兆と乙州の違いは「ただしくなりし」という理屈っぽい判断を入れるかどうかでした。乙州は景色の見方を限定しましたが、凡兆は見たままの描写に徹することでかえって、読者がそれぞれに持っている雪の日の特別な感覚を呼び覚ますことに成功しています。

バナー画像 : PIXTA

俳句