2025年政治展望:石破政権を待つ7つの壁、しくじれば崖の下へ

政治・外交

2025年の日本政治は、まちがいなく波乱の展開となる。この先を考えると石破茂首相の政権運営がすんなりいくとはとても思えない。少なくとも時系列で4つ、内部で2つ、外向きに1つの計7つの壁が立ちはだかっているからだ。ひとつしくじれば、石破政権は崖下へ真っ逆さまだ。

最大の壁は参院選、『破れかぶれ同日選』も

第1の壁は1月末からはじまる25年度の政府予算案をめぐる衆院予算委員会での審議だ。立憲民主党の国会対策委員長や財務相の経験者でもある安住淳が委員長をつとめ、委員会の運営が野党ペースになるのは確実だ。答弁をめぐっても危うさが懸念される閣僚がいるほか、スキャンダルの追及で厳しい立場に立たされる閣僚が出てくるおそれもある。自民党が難色を示す参考人招致なども安住主導で決まる可能性がある。

予算委員会の50人の構成をみると、与党24で野党26と与野党逆転だ。国民民主3が自公24と同一歩調をとっている限りは予算案の委員会可決は可能だが、もし審議の過程でハプニングがあり反対に回れば否決される。そうなれば石破内閣は総辞職だ。

ほかの常任委員会も予算を含め17のうち7つの委員長が野党だ。委員会の構成は予算委員会と同じように与党が少数で、野党の協力なしには法案を可決できない。与党として野党からの修正要求をのまざるを得ない場面が想定される。従来の政策決定や立法の過程が大きく変わる事態も予想される。そうなれば自民党支配のもとでつづいてきた政治の進め方の変革につながる。

予算成立にこぎつけたとしても、内閣支持率が低迷、夏の参院選を「石破では戦えない」という声が参院の改選議員を中心に噴き出してくれば、お役御免で退陣もありうる。01年の参院選を前に森喜朗から小泉純一郎へと交代した例がある。春先の世論の動向が第2の壁だ。

内閣支持率もそこそこの水準を維持し、党内では不満がくすぶりつつも「石破おろし」が大きなうねりとならなければ、なんとか国会の会期末までは行きつく。

その先に第3の壁がある。野党が提出するとみられる内閣不信任決議案の扱いだ。予算と同じように、国民民主を引きつけておけば可決されることはない。ただ7月28日に任期満了を迎える半数改選の参院、それに先立ち同22日に任期満了を迎える東京都議会の選挙をにらみ、国民民主が対決姿勢を強め、賛成に回るような事態になれば内閣総辞職か衆院解散のいずれかを選ぶしかない。

内閣総辞職の場合、自民党は下野し、野党に政権を渡すことになろう。解散なら衆院同日選だ。内閣不信任案が提出された時点で、採決を待たずに衆院解散に打って出る「破れかぶれ同日選」という選択肢もありうる。

内閣不信任案を否決して国会を乗り切ったとして、第4の、それも最大の壁が待ち構えている。選挙だ。東京都議選の投票日のあとに参院選が公示されるという日程になるとみられるが、政権のゆくえを決めるのは参院選だ。昨年10月の衆院選を経ても、政治とカネの問題をはじめ、今なお有権者の党への風当たりは強いというのが自民党議員の一致した見方だ。

現在、自公両党で140議席と過半数の125議席を上回っており、与党が多数を占めている。過半数を維持すれば政権は継続するとしても、参院選単独なら衆院の勢力分野には変化はなく、国民民主を閣外協力か連立かで取り込まない限り、現在のような不安定な状況がつづく。

もし15議席を超えて減らせば参院も与野党逆転になる。その場合、首相は引責辞任するしかない。新総裁を選出して自公プラス国民民主の3党連立政権を樹立するのか、それとも野党に政権を渡すのかといった選択肢が考えられ、政権のかたちが変わってくる政界激動もありうる。

少数与党だから延命する「孤独な宰相」

以上4つすべての壁を巧みに乗り越えて崖下に落ちることなく、石破政権が夏以降もつづくという道筋を描くのはそう簡単ではない。というのは内なる2つの壁がそれを阻む要因になるとみられるからだ。

内なる第1の壁は「首相官邸の孤独」から来るものだ。官邸主導で政策を進めるためには、首相のもとに強力なチームをつくってリーダーシップを発揮していく必要がある。第2次安倍政権が7年8カ月の長期に及んだのは菅義偉官房長官(当時)らによるチーム力によるところが大きかった。岸田文雄内閣の場合も木原誠二官房副長官(同)らが首相の意向を踏まえて動いた。

石破政権では、石破と同じ鳥取県選出で経済再生相の赤沢亮正が側近として、官邸内に部屋まで設け、補佐役を任じているが、経済財政から防災庁設置準備、賃金向上など閣僚として多くを担当。岸田のときの木原のような役回りは無理だ。解散した石破派のメンバーが政権を取ってから再結集することもなく、周辺には人的な厚みがない。

内なる第2の壁はいうまでもないが「自民党内の孤独」から来るものだ。石破を積極的に支える勢力はどこにもない。総裁選の決選投票で石破が選出された経緯を思いおこすとわかる。直面する野田佳彦の立民との選挙戦や外交関係を考えたとき、高市早苗ではまずい、と判断した旧岸田派や菅グループなどの面々が石破を押し上げた結果で、石破総裁は消極的選択でしかなかった。

党運営の責任者である幹事長の森山裕は派閥の領袖ではあったが、メンバーが一桁の小グループで、その手腕についても疑問視する向きが出はじめている。しかも旧安倍派を中心とする高市支持グループはもちろん、派閥を率いる麻生太郎、茂木敏充も石破に明確に距離を置く。

しかし石破を代えたところで少数与党政権の現実は変わらない。枠組みに変化がない限り、だれが担当しても政権はうまく回らない。政治権力の妙味でもあるが、奇妙なパワーバランスの上で石破政権が持ちこたえているわけだ。

25年度予算の成立までは石破で走り、その先は折をみて揺さぶるか、かりに参院選も自民党の旗色が悪いようであれば現体制で選挙に臨み、すべてを石破にかぶせて引責辞任させるか。そんな「石破使い捨て」を策し、虎視眈々(たんたん)と機会をうかがっている党内の壁の厚さは相当なものだ。

新しい政治秩序ができるか

外の壁もある。外交である。昨年11月の南米訪問のあとに接触を模索したものの実現しなかったトランプ次期米大統領との関係にはじまり、外交舞台での石破の振る舞いも首脳外交に不安を残した。中国の対日姿勢は経済の悪化を背景に態度がやや軟化しているとはいえ、韓国情勢は流動化し、ロシアと北朝鮮が連携を強めるなど、日本を取り巻く安全保障環境は厳しさを増している。

安倍―トランプ、岸田―バイデン、尹錫悦(ユン・ソンニョル)といった首脳の信頼関係による外交を見せられてきただけに、外交手腕が未知数の石破には懸念がつきまとっている。

少数与党政権になって自民党一強だった政治の秩序が崩れた。1955年の結党以来、自民党は93年の細川護熙連立内閣、2009年の民主党内閣と二度にわたって政権の座から離れたものの、しぶとく復帰し維持してきた。その自民党政治のあり方の一大転機が訪れている。

25年は昭和100年、戦後80年、自民党70年と節目の年である。24年10月の衆院選の結果がもたらした変化は、石破政権の命運にとどまらず、日本政治のゆくえをも大きく左右するものとなっている。政権のあり方をはじめとして25年にどこまで新しい政治秩序ができるのかどうか。混乱と模索がつづくことになるのだろう。(敬称略)

バナー写真:伊勢神宮内宮の参拝に向かう石破茂首相(手前)=2025年1月6日午後、三重県伊勢市(共同)

自民党 石破茂