論考:東京五輪の課題

開会式の楽曲担当者が過去の障害者差別で辞任。「多様性と調和」の理念は虚飾の看板か:東京五輪の課題(14)

東京2020 社会 スポーツ

東京五輪の開幕を目前に控え、大会はまたも大きなトラブルに見舞われた。開会式の楽曲制作を担当するミュージシャン、小山田圭吾氏が学生時代、障害者を差別していた事実が表面化し、辞任に追い込まれたのだ。開会式の演出をめぐっては、差別的アイデアを提案した統括責任者がすでに辞任している。「多様性と調和」を掲げる大会組織委員会の人権感覚は、いったいどうなっているのか。人選も含め、主催者の危機意識にも疑問を抱かざるを得ない。

「後悔と責任を感じている」と言われても

組織委から新たな開会式の演出者らが発表されたのは、7月14日のことだ。その中の「開会式クリエイター」として小山田圭吾氏の名前があった。役割は「Composer=作曲家」とある。ところが、この人選が公表されるや否や、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)では、小山田氏の過去が明かされることになった。

1994年1月号の音楽雑誌「ロッキング・オン・ジャパン」や95年8月号の「クイック・ジャパン」で、学生時代に障害のある同級生らに悪質ないじめを繰り返していたことを武勇伝のように語っていた。そうした内容が、インターネット上で暴露されたのだ。

いじめの詳細はあまりに悪質で犯罪まがいであり、すべてを説明するのは憚(はばか)られるほどの内容だ。四半世紀以上前に掲載された記事とはいえ、それらの事実は一部の音楽ファンにはよく知られた話だったという。

小山田氏は現在52歳。かつて小沢健二さんらと共に「フリッパーズ・ギター」のメンバーとして活躍。93年からは「コーネリアス」の名前でソロ活動を開始し、若者らの間では「渋谷系」と呼ばれた人物だ。

小山田氏は事実をあっさり認め、ツイッターで謝罪文を発表した。「東京2020オリンピック・パラリンピック大会における楽曲制作への参加につきまして」と題する謝罪文で、小山田氏はこう説明した。

「ご指摘頂いております通り、過去の雑誌インタビューにおきまして、学生時代のクラスメイトおよび近隣学校の障がいを持つ方々に対する心ない発言や行為を、当時、反省することなく語っていたことは事実であり、非難されることは当然であると真摯に受け止めております。私の発言や行為によって傷付けてしまったクラスメイトやその親御さんには心から申し訳なく、本来は楽しい思い出を作るはずである学校生活において、良い友人にならず、それどころか傷付ける立場になってしまったことに、深い後悔と責任を感じております」

それにしても、なぜこのような差別行為を公表している人物を開会式の担当に選んだのかという疑問が残る。開会式の演出を考える上では、最も神経質になるべき問題だったからだ。さらにはパラリンピックの音楽も担当する予定だったというのだから、組織委がたいした調査もせずに人選したことは明らかだ。

演出責任者が3月に引責辞任したばかり

今年3月には、開閉会式の演出責任者にあたる元電通のクリエーティブディレクター、佐々木宏氏が人気タレントの渡辺直美さんの容姿を侮辱するようなアイデアを提案していたことが週刊誌報道で明らかになり、佐々木氏は「総合統括」のポストを辞任した。

渡辺さんを動物にたとえる演出は、容姿をからかう「ルッキズム」と呼ばれる差別行為だった。

開閉会式は通常、サプライズ演出を重視するため、内容は当日まで明らかにされないものだが、演出チーム内でのアイデアを無料通信アプリ「LINE」でやりとりした内容が表に出た。各メディアでニュースが流れると世論の批判は佐々木氏に集中し、開幕まで4カ月という段階で辞任が決まった。

女性への差別をめぐっては、森喜朗・組織委会長が「女性がたくさんいる会議は時間がかかる」と日本オリンピック委員会(JOC)の会議で発言して一斉に批判を浴び、大会運営の最高責任者が2月に辞任する羽目になった。

こうして、組織委に関係した相次ぐ差別行為をみると、本当に五輪を運営する自覚はあるのかと言わざるを得ない。さまざまな立場の人を尊重し、相互理解を深める五輪憲章の精神を理解していれば、こんな事態にはなっていないはずだ。

組織委の武藤敏郎事務総長は、記者会見で小山田氏のことを聞かれ、「小山田さんが謝罪をしたというのを私も十分理解した。彼は今、現時点で十分に謝罪をして反省して倫理観を持って行動したいと言っている。当初はそういうこと(過去のいじめ)を知らなかったのは事実だが、現時点においては弁明を聞いて引き続き、このタイミングなので彼には貢献し、支えてもらいたいと考えている」と説明し、辞任させる意思がないことをいったんは表明した。

だが、問題への対処の仕方に政府内からも批判が高まり、ついには加藤勝信・内閣官房長官が「主催者である組織委員会で適切に対応していただきたいし、対応を取っていくことが必要だ」と記者会見で指摘。最後は、小山田氏が自身のツイッターで辞任する考えを発表し、それを組織委が受け入れた。

組織委によれば、小山田氏の楽曲を開会式では使用しないという。だが、開会式まであと数日と迫っている。ドタバタで演出の変更を余儀なくされた開会式を視聴者はどんな思いで見るだろうか。

無観客で行われる今回の五輪で重要なカギを握るのは、テレビやオンラインを通じていかに大会を見せるかだ。しかし、今回のトラブルを通じて、またも東京五輪の運営には疑念が生じた。開会式では、「多様性と調和」の大会ビジョンがうわべだけのように聞こえ、大会の意義も揺らぐだろう。

危機意識と当事者意識の欠如

何よりも懸念は、新型コロナの感染拡大であることは間違いない。海外からの観客受け入れは断念し、一部の競技会場を除き、原則無観客で開催される。選手や関係者はワクチン接種を受け、海外からの選手団は陰性証明書を日本の当局に提出して、来日後も毎日検査を受ける。選手村は外部と遮断された状態の「バブル方式」で、行動範囲は競技会場との往復だけに限られる。

だが、それでも感染拡大の不安は拭えない。選手村では、選手や関係者からは既に陽性者が出ている。事前キャンプで大阪府泉佐野市に入ったウガンダ選手団からも陽性者や濃厚接触者が出て、1人は日本での職を求めてキャンプ地から失踪し、一時、行方不明になった。どこが「バブル方式」なのか、と言いたくなるほど抜け穴は多い。

国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長は、東京都の小池百合子知事と会談した際、「日本の方たちに対する(感染)リスクはゼロだ」と語った。バッハ会長は選手村に入る約85%がワクチンを接種して来日する点を強調したが、感染症にゼロリスクなどあり得ない。ここにも楽観的な主催者の姿勢が浮かんでいる。

選手や関係者を「バブル」の環境に押し込め、国民には会合や会食の自粛を求める中、組織委主催でバッハ会長らの歓迎会が約40人を招いて元赤坂の迎賓館で開かれた。飲食のもてなしはなかったというが、国民感情を考えれば、これも開催すべきではなかったのではないか。

菅義偉首相に対して、バッハ会長は感染状況が改善すれば、有観客を検討してほしいと要請したという。バッハ会長を含む5者協議で無観客開催に合意したばかりではないか。感染は日々拡大を続けている。どんな認識なのか、その感覚を疑わざるを得ない。

こうした事実を一つ一つ並べていくと、組織委やIOCの楽観主義、さらに危機意識と当事者意識の欠如が浮かび上がってくる。来日して最初の記者会見で、バッハ会長は「日本の方は大会が始まれば歓迎してくれると思う。アスリートを温かく歓迎し、応援してください」と呼びかけた。日本の現状に無頓着すぎるコメントだ。

7月23日に五輪が始まり、パラリンピックが9月5日に終了するまで約1カ月半ある。五輪は異例の無観客開催となるが、パラリンピックの観客制限について対応はまだ決まっていない。感染が急拡大し、医療体制が逼迫すれば、途中で打ち切る可能性も出てくるだろう。大会を標的にしたサイバーテロも懸念される。こんな主催者の姿勢で大会を本当に成功に導けるのか。不安はなお募るばかりだ。

バナー写真:7月19日、開会式の会場となる国立競技場の周辺を巡回する自衛隊員。多くの課題と不安を抱えて、開幕に向けいよいよカウントダウンが始まった。AFP=時事

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