関東大震災から100年

当事者なき時代の悲劇にどう向き合うか:朝鮮人虐殺事件と歴史認識問題

政治・外交 社会

100年前に起きた関東大震災での朝鮮人虐殺事件が、今も日韓両国の軋轢(あつれき)を生み出している。筆者はこの事態について「われわれは当事者なき時代の歴史認識問題の管理に明らかに失敗している」と指摘する。

歴史認識問題とは厄介なものだ。多くの場合、歴史、つまり過去に関わる問題は、あくまで過去であり、われわれの生活には直結しない。そこに具体的な利益がある事は少なく、時にそれにこだわるあまりに国際関係を損ない、得られるはずだった利益を失うこともある。

もちろん、それでも人は時に、過去に大きくこだわる。例えば、過去の出来事であっても、それにより心身に大きな傷を負った人々にとっては、それは現在までその痛みを引きずる「今」の問題である。だから悲劇的な過去の出来事の当事者にとっては、自らのあったかもしれない、より幸せな人生への機会が奪われた事象に対して不満を持ち、その逸失利益を少しでも取り返そうとするのは、当たり前の事だ。

しかし、それはあくまで、過去の出来事の当事者たちが生きており、自ら声を上げて活動を行っている間の話である。人々の思いを離れて時間は容赦なく流れ、いつしか当事者達は姿を消すことになる。だが、それでも人は時に、過去にこだわる時がある。しかも、多くの場合、そこに具体的で大きな利益は存在しないにもかかわらず。

歴史認識をめぐる報道のメカニズム

では、実際、人はどんな時に過去にこだわるのだろうか。下の図は、1923年の関東大震災時に起こった朝鮮人虐殺事件に関わる報道が、どのような頻度で行われているかを示している。

関東大震災時における朝鮮人虐殺事件関連記事の推移

このデータからいくつか指摘できることがある。一つは、1923年の大震災勃発から数えて節目になる1993年、2003年、そして2013年といった年に一定の記事が出ていることである。日本や韓国の各地で、関東大震災時の虐殺により犠牲となった人々の追悼行事が行われ、またメディア自身も関連する特集記事を載せるからである。

しかし、より重要なのは「記念の年」以外にもその関心を動かしているものがある、ということだ。例えば、韓国における報道が2013年にピークになっているのは、関東大震災から90周年に当たるこの年に、同時に日本の関連する教材の記述を巡る問題が起こったからである。日本側のピークに当たる17年は、東京都の小池百合子知事が、それまでの歴代都知事が行ってきた朝鮮人犠牲者追悼式における追悼文の送付を、突如として取りやめた年である。

13年は前年の12月に第二次安倍政権が成立し、さらにはこの年の2月に成立した朴槿惠政権との間で、従軍慰安婦問題を中心とした歴史認識問題への関心が高まっていた時期であり、2017年もまた新たに成立した進歩派の文在寅政権との葛藤が深化しつつあった年である。だから、このような動きの背景に、当時の日韓関係の悪化があることは明らかである。

同時に興味深いのは、日韓関係がさらに悪化した18年と19年には、むしろその数字が小さくなっていることである。その理由は簡単に説明できる。18年以降の日韓関係の焦点は、同年10月に出された韓国大法院の判決で注目を集めた元徴用工問題であり、また、それを受けて翌年7月に日本政府が発動した、一部半導体関連製品に関わる輸出管理措置の発動であったからである。つまり、これらの大きな問題の勃発により、この時点で90年以上前の過去の出来事である関東大震災時の朝鮮人犠牲者に対する関心は相対的に失われ、メディアの報道も減少したというわけである。

当事者なき時代にも終わらない議論

明らかなのは、今の日韓両国民にとって勃発から間もなく100年になろうとする関東大震災を巡る出来事は、既に自らその悲劇やそこからの救済を求める未だ生存する当事者の存在しない問題となっており、それ故、それが大きな注目を浴びるのは、歴史教科書の内容の改訂や、慰霊行為の取りやめなど「今」の問題と結びついた場合だけだ、ということである。

逆に言えば、関東大震災時の朝鮮人虐殺事件を巡る問題は、それが「今」の問題とさえ結びつかなければ、冷静に振り返る事の出来るものとなりつつあることを意味している。従軍慰安婦問題や元徴用工問題とは異なり、100年以前の事になろうとしているこの問題を巡っては、すでに当事者が存在せず、また、その当事者が有していたかもしれない権利を、確定判決等により法的に継承する人々が ―少なくともこの文章が書かれている時点では― いないからである。

それは同時に、関東大震災時の朝鮮人虐殺事件を巡る状況が、他の歴史認識問題を巡る問題の近未来だということを意味している。今日の日韓両国の間では、従軍慰安婦や元徴用工等を巡る問題が存在し、それを動かす大きな要因の一つは、遺族をも含む当事者達の動きになっている。しかし、これらの当事者もやがて舞台を去る。問題はその時、何が起こるかである。

そして関東大震災時における朝鮮人虐殺事件は、既にこの段階に到達している。問題は、にもかかわらず、依然としてこの事件に関わる問題は議論されており、日韓両国間の軋轢を生みだしていることだ。つまり、われわれは当事者なき時代の歴史認識問題の管理に明らかに失敗しているのである。そして既に述べたように、この状況を生み出しているのは、教材の内容の変更や特定の政治家の動き、といった「今」の出来事である。それはわれわれが「歴史認識問題」と呼ぶ問題が、実は過去そのものを巡る問題ではなく、さまざまな思惑をもって過去を利用する「今」の人々の問題であることを改めて示している。

虐殺は否定不可能な歴史的事実

だからこそ、われわれは「今」を変えることで、歴史認識問題を巡る状況を変えることができる。忘れてならないのは、関東大震災時における朝鮮人に対する虐殺は、無数の証言や歴史的資料が存在する、それ自体否定不可能な歴史的事実であることだ。議論が依然として行われているのは、そこに当時の日本の公権力の関与がどの程度あり、その責任がどう問われるべきかを巡ってであり、虐殺の有無そのものではない。植民地支配下、自らの生活の為に宗主国に移住した人々が、未曽有の大震災に見舞われて疑心暗鬼になった現地の人々に無残に虐殺される。そしてその背景にあったのは、震災から4年前に勃発した三一運動の記憶であった。三一運動により朝鮮半島の人々が自らの支配を望まぬことを知った人々は、震災時の混乱に乗じて、彼等が刃を向けるのではないか、と恐れたことになる(※1)

何れにせよ明らかなのは、殺害された人々に罪がなく、また、政府や公権力の関与の有無を離れても、この事態が過去の日本人が引き起こした、とてつもない惨劇だ、ということである。だからこそ、今日までこの事件を巡っては、震災に見舞われた関東地方各地に慰霊碑が設けられ、様々な追悼行事が行われてきた。

自らの責任で犠牲者を慰霊するのは当然

ワシントンやロンドンには、戦争に動員されたかつて植民地の人々に対する大きな慰霊施設があり、人々はその場に集い、彼らの犠牲や労苦に敬意を払う。しかし、日本においては、同様の施設や公的な慰霊の機会は決して多くない。その意味で関東大震災時における朝鮮人虐殺事件の被害者に対する慰霊碑は、広島における韓国人被爆者の慰霊碑や、沖縄の摩文仁の丘に置かれた朝鮮人や台湾人犠牲者の慰霊碑と並ぶ、貴重な存在である。そしてそれは何よりも、植民地の人々に対して明確に向けられた、首都東京における数少ない慰霊の場であり、機会となっている。

日本が朝鮮半島や台湾を支配していた時代、悲劇的な事件の犠牲者となった人々や、日本の為の戦争に動員された人々に対して、日本人が敬意を払い、犠牲者を弔う事は、事件の法的性格を離れても当然の事である。

だからこそ、関東大震災時における朝鮮人虐殺事件の犠牲者を巡る問題は、日本人がいかにして自らの過去やその犠牲者に対して向き合えるかの試金石になる。例えば、そこには韓国政府の関与はなく、裁判所の判決も存在しない。だからこそ、われわれは自らの立場を自らの責任で、自由に選ぶことができる。故にその選択の結果として、混乱が起こるならその責を負うべきもわれわれ自身である。過去を本当に過去にできるか否かは、やはりわれわれ自身の問題なのである。

バナー写真:関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑に献花する人たち=2020年9月1日午前、東京都墨田区(共同)

(※1) ^ この点については、拙稿「『不潔』と『恐れ』 - 文学作品に見る日本人の韓国イメージに関する一試論」、岡本幸治編著『近代日本のアジア観』(ミネルヴァ書房、1998年), 103-120頁。

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