【Photos】池波正太郎が愛でたおせち
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おせち料理は1年の健康を祈る先人たちの知恵
おせち料理の起源は、平安時代から朝廷で行われていた節会(せちえ)にあるといわれている。室町時代になると、庶民もお正月に食積(くいつみ)といわれる祝い肴(さかな)を供えるようになり、昆布、勝栗などの乾物を三方という白木の膳に載せて神に捧げた。雑煮などといった正月の食を楽しむようになったのもこの頃だ。江戸時代後半になるとその食積の乾物を戻したり、煮たりして食べるようになっていく。これが、今のようなおせち料理の始まりとなった。
正式なおせち料理は四つの重からなる(現在は三重のおせちが主流)。一の重には春、二の重には夏、三の重には秋、四の重には冬と、季節を感じさせる料理が詰められる。初春を祝う祝い肴、夏の食欲を増進させる酢のもの、秋の収穫に備えるエビなどの動物性蛋白質、寒さに対する抵抗力を高める野菜の煮もの……おせちには1年を健康に過ごすために何を食べればいいのかという先人たちの知恵が詰められている。
30年以上も続く池波正太郎へのおせちづくり
煮もの、焼きもの、〆ものと何十品もの料理をお重につめるおせち料理はまさに日本料理の真髄。料理人たちは日頃、お世話になっている方々への感謝の気持ちを込めて、五感で楽しめるおせち料理を作り上げる。
「天ぷらと和食の山の上」で修行を重ね、ミシュラン2つ星の「てんぷら近藤」を切り盛りする近藤文夫も 、ある人への想いを込めておせちを作り続けている。日本を代表する時代小説作家であり、美食家・映画評論家としても知られる池波正太郎だ。池波の没後もおせちを届けに近藤自ら足を運んでいる。
毎年、仕込みを始めるのは12月10日頃から。特に時間がかかるのが黒豆で、2時間ほど火にかけては下すという作業を繰り返して豆全体に甘みを浸透させていくという。毎日、日持ちのするものから少しずつ品数を増やしていき、30日の午前中にすべての料理を仕上げる。
おせち作りの締めくくりは毎年、煮しめと決めている。食材を入れると近藤は鍋の前につききりに。傷がつくから、と菜箸などは鍋の中に一切入れず、時折、大鍋を両手で持ち上げてゆすりながら仕上げていく。
「汁がなくなるまで、強火で一気に煮こみます。文字通りこれが煮しめるということです。汁の減り方や、野菜から出る水の分量などを考えて仕上がりの味を想定しながら、少しずつ味を調整します。足が速い鶏肉は別の鍋で、煮崩れしやすい人参は最後に。こうしたルールを守った上で工夫を加えれば料理はおいしくなります。ルールを無視するとどんなに工夫してもおいしくならない。煮しめは単純なようでいて、とても難しいのです」
わずかな人のためのおせち作り、その費用は、店の予算とは別に近藤のポケットマネーで賄っている。
「やればやるほど赤字になるので店の経費には入れられない、というのは冗談で、池波先生からアイデアをいただき、お客様への感謝の気持ちで始めたことですから、原価は度外視です。お客様の日頃の店への愛情を、こういう形で返していきたいと考えています」
40品に及ぶ料理をお重に詰めるのは大みそかの未明から。客が持ち込んだ形の違うお重に、近藤が自分の手で盛り付けていくため、全部終わるまでには約6時間かかるという。作業が終わるとそのまま池波家におせちを届け、お線香をあげ、奥様とお話しをして帰る。それが近藤文夫の仕事納めとなる。
近藤は言う。
「僕が料理人として今あるのは、池波先生のおかげ。先生が僕に言ってくださったこと、貸してくださったお力ははかりしれない。そのご恩は2年や3年で恩返しできるものではありません。僕が料理人でいる限りは、池波先生に恥じない仕事を続ける。その先生への感謝の気持ちを込めて、一年の終わりにはおせち料理を作り、先生のお宅へお届けする。それが僕のつとめなのだと思います」
近藤文夫はいつ池波正太郎が訪れてもいいように、今でも「てんぷら近藤」を磨き続けている。そして、池波正太郎へのおせちを作りながら、料理人としての今の自分の技量を確かめているのだ。
「仕事着のこの胸のところに先生の『近藤』という文字があるから、僕は朝から晩まで働ける」
「てんぷら近藤」の「おせち」
一の重 祝肴と口取り
1. 紅白なます<千切りにした大根と人参、刻んだ干し柿を甘酢に漬け込む>
2. 葉つき金柑(きんかん)
3. 伊達巻き<白身魚のミンチに卵と砂糖を混ぜて焼いた卵焼きをすだれで巻く>
4. 黒豆
5. 百合根(ゆりね)の梅肉和え
6. 栗きんとん<裏ごししたサツマイモに蜜と水あめを入れて弱火で煮込み、甘く煮た栗を入れて混ぜ合わせる>
7. かまぼこ
8. 梅干しの甘露煮
9. 柚子の甘露煮
10. 菜の花の麹漬け(こうじづけ)<菜の花を酒粕に3、4日漬け込む>
11. 菊花蕪(きくかかぶ)
二の重 焼きもの 酢のもの
1. 昆布巻
2. 海老の具足煮(ぐそくに)<具足煮とは甲殻類を殻つきのまま煮る料理。「てんぷら近藤」では砂糖に濃口醤油を合わせて煮汁を作る>
3. かずのこ二種
4. 小肌(こはだ)の卯の花漬
5. 茗荷(みょうが)の甘酢漬
6. 小鯛の南蛮漬
7. 合鴨(あいがも)の治部煮(じぶに)<治部煮は石川県金沢市の伝統料理。焼き目をつけた鴨肉を水、酒、みりん、砂糖、濃口醤油を合わせたタレで煮込む>
8. ちしゃとうの白味噌漬<ちしゃとうとは球形のレタスの原生種。日本では京都で味噌漬けにされる>
9. 鰻(うなぎ)の山椒煮(さんしょうに)
10. あわびの旨煮
11. すけこの生姜煮(しょうがに)<すけことはすけとうだらの子。千切りにした生姜とともに煮込む>
12. ハマグリのしぐれ煮
13. ハゼの甘露煮
14. 子持ち鮎の煮びたし<煮びたしとは川魚を薄味の煮汁でゆっくりと煮詰めた料理。「てんぷら近藤」では子持ち鮎を煮びたしにする>
15. 鰆(さわら)の西京焼き<「てんぷら近藤」では京都産の白味噌にみりんを合わせたものに鰆を1週間ほど漬け込んでから焼く>
16. 川海老の旨煮
三の重 煮もの
1. 八つ頭の旨煮
2. 慈姑(くわい)の煮つけ
3. 黒皮かぼちゃの甘煮
4. 竹の子の土佐煮<かつおぶしを強めにきかせた出汁に薄口醤油を合わせた汁で竹の子を煮る>
5. 蕗(ふき)の煮もの
6. 京人参の煮もの
7. 百合根の甘露煮
8. 蕗の薹(とう)の揚げ煮<蕗の薹を油で揚げてから、酒、薄口醤油、みりんで煮汁がなくなるまで煮込む>
9. 煮しめ<ごぼう・こんにゃく・椎茸・れんこん・鶏肉・人参・さといもを、日本酒を入れた出汁で煮汁がなくなるまで煮込む>
正月の日本の食卓を彩るおせち料理。「おせちには何十品目の料理が入る。そのどれか一つをほめられると作り手は『他の料理は駄目だったのか』と思ってしまうんです。池波先生は、いつも『おいしかったよ、ありがとう』とだけ、言って下さいました」。
参考文献=『池波正太郎に届ける「おせち」』(筑摩書房)