【奈良原一高とトラピスト修道院】ライカ北紀行 —北斗— 第83回

24年まえ、函館のベイエリア。じっと見つめ、黙考する。さらに地べたを這うように体を低くして迫る。小型カメラのシャッターをなかなか切らない。被写体に敬意をはらっているのだ。

現代日本を代表する写真家・奈良原一高その人であった。

函館の地域FM、FMいるかの番組に出演時の奈良原一高(1998)
函館の地域FM、FMいるかの番組に出演時の奈良原一高(1998)

1956年、25歳の奈良原は、長崎沖軍艦島の過酷な環境に生きる炭鉱労働者とその家族の力強い姿をとらえた『人間の土地』で衝撃的なデビューを果たした。

函館近郊、渡島当別のトラピスト修道院。

修道士は、自分を見つめ、神とむきあうために自らすすんで修道生活に入る。起床は午前3時半、床につくのは午後8時。

その間、「祈り、労働、聖なる読書」で、話すこともなく沈黙の一日が暮れる。

1958年6月。奈良原は、ここで9日間カメラをかまえて『王国―沈黙の園』を世に問い、これが彼の代表作となった。28歳であった。

そのなかでとくにこころに残る作品は、「両目のまぶたを指で押さえている修道士」。瞑想し神とむきあっているのだろう。

キリスト教徒でもない写真家に、神と人間への畏敬の念、さらに深い共感がなければ、このような写真は撮れない。

『王国―沈黙の園』Ⓒ NARAHARA IKKO ARCHIVES
『王国―沈黙の園』Ⓒ NARAHARA IKKO ARCHIVES

1998年、写真展『消滅した時間』とその講演会のために函館を訪れた奈良原と3日間ご一緒したことがある。

予定の合間をぬい、『王国』撮影から40年の時をへてトラピスト修道院を訪ねた。

まさに写真家の原点回帰に立ち会っている喜びがあった。このとき、どんな思いで修道院をめぐったかは、残念ながら覚えていない。

自身の原点となるトラピスト修道院の裏手にある墓地を撮影する奈良原 1998
自身の原点となるトラピスト修道院の裏手にある墓地を撮影する奈良原 1998

知性がきらめき一時代をきずいた表現者は、晩年、闘病生活をおくり、2020年1月、88歳で世を去った。

函館のベイエリアで奈良原は被写体に向け低い姿勢でカメラを向けた(1998)
函館のベイエリアで奈良原は被写体に向け低い姿勢でカメラを向けた(1998)

写真集『日本の写真家 31 奈良原一高』のカバー(写真は「消滅した時間」)

『日本の写真家 31 奈良原一高』(絶版)

カバー写真は「消滅した時間」
発行:岩波書店
発行日:1997年10月24日
大型本:71ページ
ISBN:978-4-0000-8371-3

●道案内
トラピスト修道院 道南いさりび鉄道 渡島当別駅下車、徒歩20分(地図へ

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