【ブロンゲ岬の出会い】ライカ北紀行 ―函館― 第61回
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日露戦争が終わった翌年、1906(明治39)年。おたがい見も知らぬ二人の青年が、ロシア沿海州・アムール川河口のブロンゲ岬でめぐりあった。その岬で、北洋サケマス漁業の夜明けをつげる号砲が鳴った。
根っからの漁師で、函館からサケを買いもとめに来た平塚常次郎。古着屋稼業に飽きたらず、雑貨商いの糸口をもとめ新潟から渡って来た堤清六。
「堤君、こんどの日露戦争でいちばんうれしかったのは、ポーツマス条約で北洋の漁業権が認められたことだよ。……漁師でなけりゃこのうれしさはわからねえ。長年、ロシアの海さ来て、血ば流したおれたちも、これからは、大手ば振って、カムチャッカの果てまでのし渡っていけるんだ!」(『北海の征服者―堤清六』川端克二著)
函館弁の平塚は、これからはカムチャッカの河口に溢れかえっているサケの世だよ、と熱弁をふるった。商売感覚がするどい堤もそのとおりだ、と応じた。
岬の二坪たらずのムシロ番屋で、三日三晩、ぶつぎりの生ザケを肴にウオッカを飲み干す。ふたりは意気投合、東にひろがる曙の空を見あげた。
翌年、堤が調達した帆船163トンの宝寿丸は、新潟を出航、函館で資材と漁夫を乗せて東カムチャッカのウスカムに着いた。
函館の画家・木村捷司がこのときの情景を描いている。「宝寿丸出航」。帆船を背に堤、平塚ほか13人の乗組員、まさに北洋漁業の先達だ。
この絵にひとり外国人の姿がある。ロシア官憲との交渉役に雇われた、ロシアのウラジオストクに生まれた俳優ユル・ブリンナーの父親とか。
カム河は、海からサケの大群がつぎつぎと押しよせ川面が盛りあがって、まさに銀鱗おどる、群来だ! この光景を目の当たりに、俺たちの考えはまちがっていなかった、とふたりは生涯忘れることのない感激を味わったという。
だが、船に満載し持ちかえった紅ザケは買い叩かれた。そのころ、国内で好まれたのは白ザケか、型の大きい銀ザケだったのだ。
カムチャッカの良い漁場ほど売れない紅ザケがとれる。この窮地を救ったのは、欧米で人気が高い紅鮭缶詰の輸出であった。
この作戦は図に当たり、紅ザケ缶詰 あけぼの印(DAY BREAK BRAND)の誕生は、日魯漁業(現・マルハニチロ)、いや、日本の北洋漁業が躍進する礎となった。
●道案内
ロマンティコロマンティカ 市電「大町」下車、徒歩3分(地図へ)
Cafe&Deli MARUSEN 市電「市役所前」下車、徒歩4分(地図へ)
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