【寒風干し】入舟漁港 ライカ北紀行 —函館— 第49回
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戦後まもないころ、親父は会計事務所の看板を自宅にかかげたが、しばらくは顧客ゼロであった。
囲炉裏をかこみ身欠きニシンをかじり、濁酒を飲んでは“俺は天下の素浪人”とさけんでいた姿が目に焼きついている。酒が足りなくなると、小学生の僕は、夜ふけに酒屋に走った。
肝がふとく大酒飲みだった親父の墓に一升瓶をそそいだあと、函館山のふもと入舟漁港のあたりをぶらぶら歩き、そこで寒風干しに出会った。
家の軒下につるされたサケが7~8本、冷たい浜風にゆれている。切りさかれた紅ザケの腹は、真っ赤に染まり旨そう。
3日後、また軒下をのぞいたら今度はイカが干され、紅ザケは2階へ移されていた。“父が毎年つくっているの、北洋へ行った経験があるから干し方がうまいのよ”と、家から顔をたまたま出した娘さん。
北洋のサケマス漁業が盛んなころの函館は、魚一色の街であった。石川県は大聖寺出身の祖父・西野吉太郎は、戦前、ロシア領のカムチャツカでサケマスの漁場を営んでいた。東カムチャツカのかなり北、紅ザケが獲れるオッソラ河口の漁場。ロシアの元軍艦を改造した2隻が持ち船で、その船長室で親父は子どものころ遊んだという。
世がうつり大手の日魯漁業へ漁業権を売って、晩年は、骨董と競馬三昧であった。幼いころの親父、家のなかで遊びまわって、松前藩家老で実力派の絵師・蠣崎波響(かきざき・はきょう)が描いた屏風絵に足を突っこんだ、とか。だが、祖父が極楽往生をとげたとき、借金だけが残されていた……。
北洋にわき、北洋にしずむ人間模様があった。こんな栄華と没落、光と影が、港町・函館に深い味わいを生んだといえる。
●道案内
入舟漁港 市電「函館どっく前」下車、徒歩5分(地図へ)