山口和也『空花』:大徳寺真珠庵「襖絵プロジェクト」絵師紹介(5)
Guideto Japan
文化 美術・アート- English
- 日本語
- 简体字
- 繁體字
- Français
- Español
- العربية
- Русский
闇に見えた一筋の「光」
空が白みつつある時刻、山口さんはまだ薄暗い本堂で一人、座禅を組んでいた。仏像と同じように「半眼」の状態で、雑念を消し、静かに深い呼吸だけを繰り返す。その時、「闇の粒子」が見えたという。その体験が、創作の起点となった。
制作は自らの手で紙を漉(す)くところから始まった。江戸中期の百科事典「和漢三才図絵」で「紙王と謂(い)うべき」と称された雁皮(がんぴ)を求めて石川県南加賀地方の山に分け入り、原初的な手法で繊維をたたき出し、山の湧き水で紙を漉き、雁皮紙を仕立てた。
その雁皮紙を覆うように、松の木を燃やした煤(すす)と膠(にかわ)を原料とする松煙墨を真っ黒になるまで噴きかける。そこに、銀箔を一つずつ押していき、さらに、その上から再び墨を噴きかける。何度もこの作業を繰り返し、厚みを増していく闇の深さに反比例するように、かすかに残る銀箔の光の粒が浮き上がる。何万光年も彼方の宇宙から届く星の光を連想させる。仕上げは染料や顔料を調合した特製花火に着火し、画面に閃光(せんこう)を走らせた。目をこらすと、黒い画面のところどころに、青や赤の色が染み付いている。「瞬間の彼方にある永遠」がテーマだ。
「この絵は自分の手を離れ、真珠庵に納まるけれど、その後も常に変化し続ける」と山口さんは語る。星の光のように見える銀箔は、時を経るにつれてその色を変化させ、今は松煙墨に埋もれている星々が違った表情で顔を出してくるかもしれない。そうして襖絵の闇はその深みを増していく。
山口さんの襖絵は、方丈(本堂)の北側の仏間に納まった。一休さんの木像を安置した薄暗い部屋には滅多に客人を通すこともなく、通常は住職をはじめとする僧侶しか立ち入ることがない。「せっかくの作品が、人の目に触れることが少ないのは不満ではないですか」と尋ねると、「そこが気に入っている。一休さんの木像に一番近い聖域に描かせていただけたのは光栄なこと」と淡々とした様子だった。人知れずできる「仏間のブラックホール」へ心を寄せること、それが今回、山口さんにとっての襖絵制作だったのかもしれない。
一瞬の輝きを永遠のものに
山口さんを真珠庵に引き寄せたのは、今は亡きプロボクサーの小松則幸さんだ。
ある時、銭湯の脱衣場に置かれたテレビでたまたまかかっていたボクサー・辰吉丈一郎の試合を目にして、山口さんは動けなくなった。極限まで削ぎ落された肉体同士が、張り詰めた間合いで、相互をしとめる一瞬を逃すまいとにらみ合う。「獣たちの舞でも眺めているような、思わず恍惚(こうこつ)としてしまう美しさがあった」そうだ。気が付けば、頬に涙が伝っていたという。
その後、大阪のボクシングジムで出会った小松選手を6年間、カメラで追い続けた。亀田大毅選手との試合を1カ月後に控えた2009年4月、小松選手は精神統一のため真珠庵で数日間の座禅修行に取り組んだ。その翌日、滋賀県大津市の滝を訪れ、誤って滝つぼに落ちて亡くなった。
こつ然とこの世を去った美しき獣の姿を留めておこうと自主制作した写真集「 KOMATSU NORIYUKI YAMAGUCHI KAZUYA 」を目にした山田宗正住職が、山口さんに襖絵制作を依頼した。
果てしない宇宙空間の中で、人間は砂粒ほどのちっぽけな存在でしかない。それでも一人の人間が放つ強烈な一瞬の輝きを目にしてしまった絵師は、襖絵という小さな宇宙の中に、その美しさをとどめようとした。「一瞬と永遠」「闇と輝き」。相対立するようでいて、表裏一体でもある2つの概念を移り行く時空の中、数百年がかりで表現する。壮大な試みは今、始まったばかりだ。
関連記事>真珠庵「襖絵プロジェクト」
写真提供:山口和也、京都春秋、朝日新聞、角田龍一
(バナー写真:仏間の奥に鎮座する一休さんの木像の両脇に収められた「空花」 写真提供:京都春秋)
大徳寺真珠庵 特別公開
- 住所:京都府京都市北区紫野大徳寺町52
- 拝観期間:2018年9月1日~12月16日 ※10月19日~21日は休止日
- 拝観時間:午前9時30分~午後4時(受付終了)
- 拝観料:大人1200円、中高生600円、小学生以下無料(保護者同伴) ※未就学児は書院「通僊院」と茶室「庭玉軒」の見学は不可
- アクセス:「京都駅」から地下鉄烏丸線に乗り、「北大路」で下車。「北大路バスターミナル」から市バス1・101・102・204・205・206系統で「大徳寺前」下車し、徒歩約7分。(所要時間:約35分)
- 「大徳寺真珠庵 特別公開」公式ホームページ
- 京都真珠庵クラウドファンディング