『三つまたわかれの淵』:浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」第44回
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清洲橋を今は望めない富士に見立てる
この絵は、小名木川(おなぎがわ)に架かる萬年橋北詰付近の川辺から、西方向を眺めて描いている。つまり、第43回で紹介した「深川萬年橋」において、カメの奥に広がる景色と極めて近いのだ。ぜひ、見比べていただきたい。
隅田川のこの付近は、かつて「三ツ俣(みつまた)」と呼ばれたという。この絵では右が隅田川上流、左奥が下流で、富士山の下に小さな入り江のように見えるのが箱崎川、枠内には描かれていないが手前の帆を掛けた高瀬舟が向かう先に小名木川がある。三ツ俣がどの地点を指すのかには諸説あるが、確かに隅田川の流れが3つに分かれている場所である。当時は、この辺りで海水と川の真水が交わることから、「わかれの淵」とも呼ばれていたようだ。
箱崎川は、船で隅田川の浅草方面から日本橋川へ向かう際の近道であった。小名木川は千葉方面から東北の物流船などが多く往来していたので、三ツ俣は水上物流の要所だったろう。広重がこの絵に、18艘もの船を描いたのもうなずける。
写真は、萬年橋北詰付近にある「芭蕉庵(ばしょうあん)史跡展望庭園」から撮影した。この公園は小高くなっているので、広重の視線と同様、隅田川方向を俯瞰(ふかん)することができる。水上バスや警備艇、作業船などが頻繁に往来するので、船で混雑した元絵の雰囲気がしのばれる。
対岸の景色は、高層ビルが立ち並んでいるので残念ながら富士山は全く見えない。かつての箱崎川河口付近には、つり橋構造の清洲橋が架かっている。それを富士に見立て、往時の絶景に思いをはせてシャッターを切った。
●関連情報
松尾芭蕉、箱崎ジャンクション
1680年代、俳人・松尾芭蕉は萬年橋北詰近くに居を構え、深川から『おくのほそ道』の旅へ出た。現在このエリアには、芭蕉庵史跡展望庭園の他にも「芭蕉稲荷神社」、「江東区芭蕉記念館」などがあり、「深川芭蕉通り」と名付けられた道もある。小名木川北の隅田川テラスには、「大川端芭蕉句選」という九つの句碑も立てられている。松尾芭蕉ゆかりの地として、江東区を挙げてにぎわいを生もうとしているようだ。
元絵に描かれている隅田川の対岸は、箱崎川の右が現在の日本橋浜町、左が日本橋箱崎町である。右端の赤門は磐城平藩安藤家、河口の左の松林は御三卿の田安徳川家の屋敷であろう。現在の日本橋中州は、当時は砂州のような場所で地図には描かれていない。1972年、首都高速道路や東京シティエアターミナル(T-CAT)建設のために、箱崎川は完全に埋め立てられてしまった。
「箱崎」といえば、都内で車を運転する人の中には首都高速道路の「箱崎ジャンクション」を思い浮かべる人も多いだろう。江戸橋と両国の2つのジャンクションに挟まれ、向島線と小松川線、深川線の各方面へ向かう車線が複雑に交わるので渋滞の名所になっている。今も昔もこの辺りは、交通において重要な場所のようだ。
浮世写真家 喜千也「名所江戸百景」——広重目線で眺めた東京の今
「名所江戸百景」は、ゴッホやモネなどに影響を与たことで知られる浮世絵師・歌川広重(うたがわ・ひろしげ)の傑作シリーズ。 安政3年(1856年)から5年にかけて、最晩年の広重が四季折々の江戸の風景を描いた。大胆な構図、高所からの見下ろしたような鳥瞰(ちょうかん)、鮮やかな色彩などを用いて生み出された独創的な絵は、世界的に高い評価を得ている。その名所の数々を、浮世絵と同じ場所、同じ季節、同じアングルで、現代の東京として切り取ろうと試みているのが、浮世写真家を名乗る喜千也氏。この連載では、彼のアート作品と古地図の知識、江戸雑学によって、東京と江戸の名所を巡って行く。
浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」作品一覧はこちら