次の天皇はどんな方?:皇太子さまの横顔
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担い手が減り続ける「危機」に直面する皇室
2018年2月23日、皇太子殿下は58歳の誕生日を迎えられた。来年5月1日には59歳で第126代天皇として即位される。父である今上陛下は55歳で即位されているので、それより少し遅いとはいえ、30年ほどはその御代が続くだろう。
今年の誕生日にあたっての記者会見では「両陛下の御公務に取り組まれる御姿勢やお心構え、なさりようを含め、そのお姿をしっかりと心に刻み、今後私自身が活動していくのに当たって、常に心にとどめ、自己の研鑽(けんさん)に励みつつ、務めに取り組んでまいりたい」と、今上陛下の歩んでこられた道を踏襲されるお気持ちを語られた。
現在、皇室は危機的状況にあるといっても過言ではない。皇室典範の規定により、皇位継承者は嫡出(ちゃくしゅつ)の男系男子に限られていることから、皇太子殿下の次の世代の皇位継承者は秋篠宮家の悠仁親王殿下(11)お一人だけである。また未婚の7人の内親王、女王方は将来、結婚によって皇室から離れることになるので、公務の担い手が減少していくことも目に見えている。
来年の御代替わり後、これらの課題をどう解決するかを政府において検討することになっている。天皇自身は憲法の規定で国権に関する権能を有しないので、法改正を伴うことに関しては、自身の考えすら表明できないとされている。しかし、天皇がどう考えているのかということは国民の大きな関心ごとであり、政府も一切無視するというわけにもいかないだろう。おそらく水面下で天皇の意向を伺わざるを得ないと思われるが、長い皇室の歴史を背負い、象徴としてこの難題に向かわれる皇太子殿下には大きなプレッシャーが掛かり続けるだろう。
家族と暮らし、学業を優先して成長
皇太子殿下は1960年、皇太子同妃(現、天皇皇后両陛下)の長男として誕生された。28歳まで昭和天皇の孫である皇孫として成長されたが、これは父である今上陛下が誕生時から皇太子だったということと大きな違いがある。今上陛下は、18歳で成人し(天皇、皇太子の成人は18歳と皇室典範に定められている)、皇太子として、また昭和天皇の名代としてお忙しい日々を過ごされた。そのため、学習院大学に一般の学生と同様に通うこともままならず、入学はされたが、聴講生として時間の許す限りにおいて大学で勉強された。
一方、皇太子殿下は、学習院大学を卒業後、同大学院人文科学研究科に進まれ、2年間の英国留学の後、博士前期課程を修了された。皇太子殿下の研究テーマは水上交通である。小学生の時、お住まいがあった赤坂御用地内に鎌倉時代の道が通っていたことを知り、人と人を結ぶ道に興味を持たれた。そして道は道でも水の道を研究テーマとされ、大学の卒業論文では「中世の瀬戸内海の水上交通」を執筆された。留学先のオックスフォード大学では「テムズ川の交通史」について研究された。その後、飲料水から水害まで、人類と水との関係全般に研究テーマを広げていかれた。このように学業を優先できたのは、ひとえに皇太子ではなく、皇孫というお立場だったからである。
皇太子さま略歴
1960年2月23日 | 0歳 | 今上天皇と皇后さまの第一子・長男として誕生 |
1978年4月 | 18歳 | 学習院大学入学。音楽部に所属しビオラを担当。その後、学習院OB管弦楽団で演奏されることも。 |
1980年2月23日 | 20歳 | 成年式 |
1982年3月 | 22歳 | 学習院大学文学部史学科を卒業(文学士) |
同年4月 | 22歳 | 学習院大学大学院に入学。専攻は、史学・中世の交通・流通史。 |
1983年6月 | 23歳 | オックスフォード大学マートンカレッジ留学のため渡英。18世紀英国のテムズ川の水上交通史について研究。 |
1985年10月 | 25歳 | 英国から帰国 |
1988年3月 | 28歳 | 学習院大学大学院人文科学研究科博士前期課程を修了(人文科学修士) |
1989年1月7日 | 28歳 | 天皇陛下の即位に伴い皇太子に |
1991年2月23日 | 31歳 | 立太子の礼 |
1992年4月 | 32歳 | 学習院大学史料館客員研究員 |
1993年6月9日 | 33歳 | 小和田雅子さまと結婚 |
2001年12月1日 | 41歳 | 内親王(女児、第1子)ご誕生。のち「敬宮愛子(としのみや・あいこ)」と命名。 |
2002年6月 | 42歳 | 愛知県で開催された日本国際博覧会(愛知万博)の名誉総裁に就任 |
2007年11月 | 47歳 | 国際連合「水と衛生に関する諮問委員会」の名誉総裁に就任 |
皇太子殿下は30歳までご両親、ご兄弟とともに同じ家で過ごされた。今上陛下も昭和天皇も大正天皇も幼少時にご両親から離され、臣下によって育てられたが、これは君主は“私”よりも“公”を重んじ、肉親への愛よりも国家国民を大事にすべきであると考えられていたからである。皇太子殿下が誕生された1960年当時は、まだそういう価値観の人もおり、将来の天皇が一般家庭と同様に家族と共に暮らすということには批判もあった。しかし昭和天皇は家族は共に暮らすべきというお考えであり、また国民の意識も変わってきていたために家族同居は実現した。ただし、ご両親である今上陛下や皇后陛下には将来の天皇を育てるという大きなプレッシャーがあったことだろう。
ご家族が共に暮らすということについて、今上陛下は皇太子時代の84年、記者会見で「家族という身近なものの気持ちを十分に理解することによって、初めて遠いところにある国民の気持ちを実感して理解できるのではないかと思っています」とおっしゃっている。こういう陛下のお考えと、それが当然だという多くの国民の価値観、そして昭和天皇の後押しがあり、それまでの皇室の子育てが大きく変わった。
現在、皇太子ご一家もご家族3人で共に暮らしておられる。妻である雅子妃殿下には86年に出会い、7年越しの思いを遂げて93年に結婚された。残念ながら妃殿下は2003年の年末から現在に至るまで適応障害で療養中だが、皇太子殿下はプロポーズの際におっしゃった「雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから」という言葉を忘れておられない。結婚9年目に生まれた一人娘に絵本を読み、一緒に遊び、学校に送っていくこともあった。公務を務めつつ、療養中の妻に代わって子育てに積極的に参加してこられたのである。このようなご姿勢に、プライベートを重んじすぎているという批判の声もあるが、今上陛下の「家族を大事にしてこそ」というお考えが受け継がれているのだろう。
誰にでも気遣いされるお人柄
皇太子殿下は2月の記者会見の際、ご自身の立場をはっきりと自覚されたのはいつ頃のことだったのかという質問に対して、「両陛下のなさりようを拝見しながら私も少しずつ、この立場に、ここに生まれたからには将来は天皇になるという、そういった自覚を持つようになったのではないか」と答えられた。家族同居とはいっても、一般家庭とは違い、大勢の宮内庁・皇宮警察職員に囲まれた環境である。将来の天皇という意識を、自然にお持ちになったのだろう。
同じ皇族とはいえ、天皇や皇太子は宮家の皇族より“私”の部分は少なくなる。皇族も学生時代は学校行事として同級生らと共に地方に旅行されることもあるが、訪問先の市町村長などはそうした際、公的私的に関係なく、わが町においでになっているならぜひご挨拶したいと希望するものである。
その申し出に対してプライベートだからと断る皇族もいるが、皇太子殿下は「周囲の仲間の迷惑にならないなら」とお受けになっていた。これは、相手の挨拶したいと思う気持ちをよく分かっておられるからだろう。
友人や側近が口をそろえて言うのは、とにかくお小さい頃から常に周囲に気を配る方だったということである。宮内庁職員でも侍従職、東宮職、宮家といった側近以外は、両陛下や皇族方とお話しすることはほとんどない。筆者も残念ながら側近経験はないので、普段のご生活ぶりを近くで拝見していたわけではない。ただ、長くマスコミ対応を担当していたので、外国ご訪問の際に同行させていただくなどの経験はできた。
皇太子殿下がご結婚前の1991年、モロッコ・英国の公式訪問に同行させていただいた。宮内庁職員は私を含めて5人だったが、うち4人は東宮侍従長など東宮職の職員で、本庁からは筆者だけだった。2週間の旅を終え、東宮仮御所に戻ったのは夜。東宮職事務室に挨拶をして帰宅しようとしたところ、たまたま皇太子殿下が事務室に入ってこられた。私は「ありがとうございました」というようなご挨拶をしたと思うが、そこで「山下さん、お疲れさまでした。少し飲みますか?」と誘ってくださった。
事務室の椅子に二人で座り、訪問中の思い出話などをしたのだが、おそらく本庁からただ一人の同行者で、明日からは当分会うこともない筆者に気を遣われたのだと思う。訪問中は行事続きで時差もあり相当お疲れだったと思うが、当時係長程度だった筆者にまで気を遣われるお姿をありがたいと感じた。これは筆者が経験した一つの例であるが、お側で接してきた職員も、皇太子殿下は総理大臣でも市井の人でも関係なく、全ての人に敬意を払い、大事にしておられると語っている。
水問題に高い関心
皇室の在り方は時代とともに変わるものである。ただ、変えるべきことと変えてはいけないことがあり、その判断は事務的には難しく、天皇自身がどう考えるかということが重要である。当然、天皇の公務も時代とともに変わるべきである。皇太子殿下も「その時代の皇室として何が求められているかを的確に感じ取り、時代に即した公務の内容を考えていく必要がある」とおっしゃっている。
現在、皇太子殿下が力を入れておられるのは、人類にとって最も大切といわれる“水”に関することである。皇族としては初めて、国連の「水と衛生に関する諮問委員会」の名誉総裁(2007〜2015)に就任され、国内外で講演などの活動をされている。ほかに、「少子高齢化の傾向が急速に進む中で子どもや高齢者の福祉の問題」や、「子どもの教育の問題」、「国際的な文化面での交流や、諸外国との友好親善関係の増進」などを2005年のお誕生日会見で挙げておられるが、具体的に何をされるのか、国民にどういう姿をお見せになるのか、筆者は楽しみにしている。
また、公務や研究以外では、テニス、登山、ジョギング、ビオラ演奏など皇太子殿下は幅広い趣味をお持ちだが、こういった趣味を通したフランクな触れ合いも、大事にしていただきたい。
皇太子殿下の優しいお人柄は、今後、さまざまなご活動を通して、日本国民だけではなく、外国からも厚い信頼と敬愛を得られることだろう。
バナー写真:世界水フォーラムの「水と災害」をテーマにした会合で、基調講演される皇太子さま=2018年3月19日、ブラジル・ブラジリア(時事)