最高裁初 親子2代で長官に

政治・外交 社会

新しい最高裁長官に寺田逸郎氏が就任した。高裁レベルで「違憲状態」判決が相次いでいる「1票の格差」訴訟に、司法のトップとしてどう対応するのか。注目が集まる。

官僚歴長い異色のキャリア

最高裁長官に就任し、記者会見する寺田逸郎氏=2014年4月1日(時事)

第18代最高裁判所長官に、最高裁判事の寺田逸郎氏(66)が就任した。70歳が定年なので、中途で辞めなければ今後4年近く「寺田コート」が続く。

寺田氏の祖父も父も裁判官で、父の故寺田治郎氏は第10代最高裁長官を務めた。親子2代の長官は、戦後の日本国憲法により1947年に発足した最高裁の歴史で初めてである。 同じ66年間に首相経験者は31人を数えるが、親子2代の首相は故福田赳夫氏と康夫氏の1組だけだ。政治家の2世は親の選挙地盤を引き継げるが、裁判官はそうはいかないから、親子2代の司法のトップの方が珍しいのかもしれない。

三審制の最終審である最高裁には、長官も入れて15人の裁判官がいて、5人ずつ3つの「小法廷」に所属する。下級裁判所から上がってきた事件は、通常は小法廷で審理する。一方、ある法令が憲法に適合するかどうかの初判断を示す場合、違憲の判断を下す場合、最高裁自身の過去の判例を変える場合は、裁判官全員による「大法廷」で審理しなければならない。また、事の重大性から「全員で審理した方がよい」と小法廷が判断して大法廷に回される事件もある。長官は大法廷の裁判長を務める。

最高裁判事の条件は「識見の高い、法律の素養がある40歳以上」。法曹資格がない人でもなれるが、少なくとも10人は裁判官、検察官、弁護士、法律学者(大学の教授・准教授)の経験者と決まっている。ほかは行政官か外交官のOBが就任するのが常で、年齢もこの半世紀ほどは全員60歳代。ある元最高裁判事は「頑固な高齢者の集団」と呼んでいた。長官は、かつては学者や検察官、弁護士出身者もいたが、ここ10代は職業裁判官がバトンを受け継いでいる

寺田氏も振り出しは裁判官だが、そのキャリアは異色だ。法廷で過ごしたのは10年に満たない。若くして法務省に出向し、駐オランダ大使館勤務も含めれば20年以上を行政府の官僚として過ごした。法務省の司法法制部長や民事局長として司法制度改革に関わり、刑事裁判への市民参加に道を開いた裁判員制度では制度設計や法案化に手腕を発揮した。交渉力に定評があり、政治家への根回しも巧みで、竹崎博允前長官は寺田氏の「裁判官離れした優れた行政手腕」を評価して後任に推した。

「1票の格差」で 父親が示した“3倍基準”

私は30年ほど前、司法記者として先代の「寺田コート」を取材した。父の治郎氏が在任中に頭を悩ませたのが、「1票の格差」をめぐる政治との関係だった。

衆議院は当時、1つの選挙区から3-5人の議員を選ぶ「中選挙区」制だった。最高裁は、議員1人あたりの人口が最少と最多の選挙区で4.99倍の差がついた72年の衆院選挙に初の違憲判決を下していた。ただし混乱を避けるという理由で、違憲でも選挙は有効(やり直しせず)とし、どの程度の格差なら違憲かの「基準」も示していなかった。

国会は都市部の議員定数を増やし、最大格差を2.9倍に抑える選挙法改正をした。しかし、地方から都市部への人口移動が止まらず再び格差が広がり、80年の選挙時には4倍に迫っていた。最高裁の次の一手が注目されたところに、寺田次郎氏が長官になった。

寺田コートが83年秋に下した判決は、最大格差2.9倍の法改正は合憲だったが、選挙時には「違憲状態」になっていたとした。是正に手間がかかることに理解を示して違憲宣言は避け、「できるだけ速やかに改正するよう強く望む」と国会の対応を促した。

最大格差「3倍未満」の基準を示した判決に批判が起きた。「1人が2人分の投票権を行使してはならない」という意味で2倍未満ならわかるが、3倍に何の根拠もなく、国会に甘すぎるというのだ。寺田コートは過渡的な暫定基準のつもりで示したのだろうが、「3倍基準」はその後、四半世紀も独り歩きした。

衆院では94年、1選挙区から1人を選ぶ小選挙区が導入された。最大格差を2倍未満に抑えるのが目標とされたが、人口が少ない県で議席数が急減するショックを和らげるため、300議席の小選挙区のうち、まず47都道府県に1議席ずつを配分し、残り253議席を人口比例で配分する「1人別枠方式」をとった。この結果、地方への配分が厚くなり、最大格差は常に2倍を超えることになった。

国会は、中選挙区時代の寺田コートの判決を盾に、衆院は「3倍未満」、3年ごとに半数改選の参院の選挙区は「6倍未満」を合憲ラインに見立てて、最小限の是正でしのごうとした。最高裁も国会の裁量権を広く認める判決を繰り返して、国会の怠慢を許してきた。

「違憲状態」と断じた竹崎前長官

最高裁が変身したのは、2008年に就任した竹崎前長官の時だ。竹崎コートは衆院小選挙区、参院選挙区の双方に「違憲状態」の判決を下した。

前々回2009年の衆院選(最大格差2.3倍)への判決では「1人別枠方式による不平等」を違憲と指摘。激変緩和のために許される期間を過ぎていると判断した。また前々回2010年の参院選(最大格差5倍)には、都道府県単位の選挙区割りを改めるよう具体的に注文をつけた。

最高裁の強気の姿勢をバックに、前回2012年の衆院選(最大格差2.4倍)では、全国の高裁で違憲、または違憲状態の判決が相次いだ。2件は選挙無効にも踏み込んだ。

国会の定数是正は前回選挙に間に合わず、選挙後に人口が少ない5県の選挙区を1つずつ削る「0増5減」の法改正をしたが、1人別枠方式の廃止はなかった。

最高裁の判断が注目されたが、13年11月の大法廷判決は「違憲状態」としながらも「0増5減」を「一定の前進」「現実的な対応」と評価した。従来の竹崎コートの姿勢からすれば肩すかしの判決で、政治への遠慮が見て取れる。何があったのか?

政権交代で、12年暮れに安倍晋三政権が発足したことと無関係ではあるまい。憲法解釈を変更して集団的自衛権を行使できるようにしたい安倍政権は、内閣の法律顧問役である山本庸幸法制局長官を更迭して最高裁判事に任命し、後任に外交官出身の小松一郎氏を起用する異例の人事をした。法制局は従来、解釈変更に反対の立場で、小松氏は解釈変更に前向きだ。ほかにも公共放送NHKの経営委員に、安倍首相と思想的に近い人物を押し込んでいる。最高裁は人事を武器に使う政権に、いささかひるんだのかもしれない。

最初から試金石、注目される参院「1票の格差」訴訟

2014年7月が定年だった竹崎前長官は、任期を4カ月残して3月末に唐突に辞任した。健康上の理由をあげたが、後任人事で首相官邸の介入を避けるため機先を制したのでは、との憶測が流れた。もっとも、政界に知己が多い寺田氏を官邸が拒む理由はなかった、という見方もある。

寺田新長官が初めて大法廷の裁判長を務めるのは、参院の「1票の格差」訴訟になりそうだ。2013年の参院選では、年末までに各高裁で違憲または違憲状態判決が出そろっている。参院選挙区の最大格差は衆院小選挙区の2倍ほどある。最高裁の再三の勧告を受けて、国会は次の選挙までに抜本改正をすると約束しているが、作業は難航しそうだ。

寺田父子を知る人が「父君より器が大きく、大局観がある」とも評する2世が、父と同じ立場に立たされている。法務官僚時代に政治家とのつきあいに習熟した新長官が試されるのは、司法のトップとしての政治との間合いの取り方である。

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