NHK朝ドラの「伝説」のヒロインたち―『おはなはん』『おしん』、そして『あまちゃん』へ

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NHK連続テレビ小説『あまちゃん』は、「じぇじぇじぇ」という流行語まで生み出すほどの大人気。日本のお茶の間で半世紀にわたり親しまれてきたNHKの「朝ドラ」とそのヒロインたちの変遷と人気の理由を、テレビ情報誌記者出身のコラムニストが振り返る。

ネットで広がった『あまちゃん』論

NHKの朝ドラ『あまちゃん』がブームになっている。東日本大震災の被災地、東北を舞台にした物語だが、全般明るいコメディータッチで、「じぇじぇじぇ」という流行語を生み、劇中の曲も大ヒットしている。

アイドルを目指すヒロインを軸に、80年代風俗のパロディーを散りばめたストーリー展開は、サブカル(オタク)層の論題にもうってつけであり、ネットを中心に『あまちゃん』論が広がっていった。

『あまちゃん』の主人公・アキを演じる能年玲奈。母親に連れられて東北の田舎町にやってきた東京育ちの内気な主人公が、祖母の影響で海女さんを目指すようになる。やがて、地元の人気者になったアキは、東京でアイドルを目指して奮闘する(放映はNHK総合月~土 午前8時~8時15分ほか / 写真提供=NHK)

『あまちゃん』の魅力については、僕も別誌で何度か語っているので、ここでは“NHKの朝ドラ”という時間枠の歴史をさかのぼってみたい。

“出勤時の時計代わり”番組が生んだ国民的アイドル

朝ドラ―正確には「NHK連続テレビ小説」と呼ばれる枠は、1961年にスタートした。第1作は獅子文六原作の『娘と私』という作品で、8時40分~9時の20分で週5日、約1年間放送された。

当初から画面に時刻が表示され、出勤時の時計代わりの番組、と言われていたという。ちなみにこういう習慣の発端は、ラジオだろう。朝夕、連日ラジオドラマが放送されていて、わが家の茶の間にも流れていた記憶がある。番組中に、「7時53分になりました」などと、小刻みに時刻がアナウンスされるのだ。

さらに、ラジオドラマの手法を借りて、夕刻の6時台に子供向けのヒーロー活劇(『月光仮面』や『七色仮面』)が連日帯で放送されていた。

NHKの朝ドラ、当初から割合と視聴率は良かったと聞くが、ヒロインにズブの新人を起用して、最初にブレイクしたのが『うず潮』(1964年)の林美智子。当時、僕は小学校2年生だったから、林芙美子の半生を描いたこのドラマはぼんやりと記憶にある。林美智子は「シャベリ」も達者で、翌年(65年)の紅白歌合戦の司会に抜てきされた。

ブームに火をつけた47年前の『おはなはん』

そして、社会現象レベルのブームになったのが、1966年の『おはなはん』。僕が小4の時のクラスの担任がはまっていて、給食の時間に教室のテレビでお昼の再放送を眺めたことを思い出す。ホンワカとしたインストの主題歌は、数年前にソフトバンクの“ホワイト犬”のCMに使われたが、詞をノセた曲もヒットして、倍賞千恵子が紅白で歌った。何より、キュートなヒロインの樫山文枝は、国民的レベルのアイドルとなった。

『おはなはん』(1966年放映)の樫山文枝。軍人の夫と死別した主人公のはなが、持ち前の明るさで明治・大正・昭和を生き抜いていく(写真提供=NHK)

その過熱ぶりを伝える当時の『週刊TVガイド』(1962年創刊、東京ニュース通信社発行)の記事を紹介しておこう。

「東京都の水道局員が、ある日、NHKにこう伝えてきた。『朝8時15分になると、水量メーターが急に下がり、水の出がよくなります』。本当にあった話だ…」

当時は朝ドラが8時15分スタートの時代。NHKラジオドラマ『君の名は』(1952年~54年)の放送時に、銭湯の女湯が空になったという伝説の「続編」ともいえる。ま、いまどきの『あまちゃん』で、そういうわかりやすい現象を見つけるのは難しいだろうが。

「波乱万丈」の女性一代記が定番、ヒロインは大女優への登竜門

樫山の相手役(陸軍将校)を務めた高橋幸治にも熱狂的な人気が集まり、戦死する前に助命嘆願の投書が殺到した。また、おはなはんのモデルの「はな」という女性の出身地は徳島だったが、古い街並みを残す愛媛県の伊予大洲(いよおおず)でロケされたことから、こちらがドラマの舞台となり、徳島と大洲の間でもめた、などの逸話もある。“ロケ地町おこし”の発端となったドラマともいえるだろう。

『おはなはん』は明治、大正、昭和を生きた女性の一代記だが、朝ドラで最も多いのは、こういう“波乱万丈の女の人生”を描いたものだ。そして、第4作の『うず潮』の頃から、ヒロインに新人を抜てきして育成する、というコンセプトが固まった。

歴代ヒロインたちのリストを眺めると、すっかり忘れていた人まで含めて、多くの大物女優の名が並んでいる―大竹しのぶ(『水色の時』、75年)、浅茅陽子(『雲のじゅうたん』、76年)、紺野美沙子(『虹を織る』、80年)、山口智子(『純ちゃんの応援歌』、88年)、松島菜々子(『ひまわり』、96年)、竹内結子(『あすか』、99年)…。このほかにも今をときめく主演女優クラスがまだまだ存在する。別の作品でブレイクした例も含めて、やはり重要な登竜門なのだ。

「ちゃん系」タイトルこそが朝ドラの王道 

ここでちょっと個人的なエピソードを語らせてもらうと、僕は1979年から81年にかけて『週刊TVガイド』の編集部でNHKの担当記者をやっていたので、この間の作品は違った意味で思い出深い。『マー姉ちゃん』(79年)、『なっちゃんの写真館』(80年)、『まんさくの花』(81年)といった東京制作のドラマ(1975年4月から、朝ドラは年間2本になり、年度後半のクールは大阪制作)は渋谷のスタジオでよく取材をした。

入社してまもない時期の『マー姉ちゃん』は、長谷川町子をモデルにした明るいホームコメディーで、三姉妹の長女を熊谷真美、次女(町子)を田中裕子が演じていた。ペイペイ記者の僕は、母親役の藤田弓子さんに毎週、収録裏話を伺いに行っていた。

書きたいことはいろいろあるが、着目したのはタイトルである。マー姉ちゃん、なっちゃん、他にも『おていちゃん』(78年)、『チョッちゃん』(87年)、『ノンちゃんの夢』(88年)、『純ちゃんの応援歌』…そして、『あまちゃん』。そう、「ちゃん系」のタイトルは朝ドラの王道でもあるのだ。『あまちゃん』も作者の宮藤官九郎流パロディーとみることができる。愛らしいヒロインもの、ということで、こういったタイトルが主流になるのだろう。

30年前の屈指の大ヒット作『おしん』を経て、朝ドラ新時代へ

「ちゃん」や「さん」はつかないが、朝ドラ史上屈指の大ヒット番組となった『おしん』(83年)も、愛称タイトルの1つといえる。橋田寿賀子オリジナル脚本のこの作品は、半年クールが通常になっていた当時、1年間放送され、ピークには60%超のお化け視聴率を記録した。ビデオデッキも普及し始めていた83年の60%とは、相当な占拠率だ。そして、とりわけ少女時代を演じた子役の小林綾子が国民的アイドルとなり、『マー姉ちゃん』でデビューした田中裕子が成人したおしんを好演(熟年期は乙羽信子)、第一線の大物女優の座に就いた。

『おしん』(1983年放映)の少女時代を演じた小林綾子。山形の寒村に生まれ7歳で奉公に出されたおしんが、苦難に耐えて経営者として成功するまでを描いた(写真提供=NHK)

ところで、83年というと東京ディズニーランドがオープン、多摩田園都市の高級ニュータウンを舞台にした不倫ドラマ『金曜日の妻たちへ』―略称「金妻(きんつま)」―が流行、ユーミン(松任谷由美)のアルバムがベストセラーになり始める、いわばバブルの予兆期。そんな時代に、明治・大正の山形の寒村を舞台にした忍耐の女一代記―なんて物語がよくぞバカ受けしたものだ。重い話ばかりでなく、お得意の嫁しゅうとネタなどを織り込んで飽きさせない、橋田のシナリオの巧妙さはともかく、そういう時代だからこその揺り戻し、カルビ肉の横に盛られたサンチュ(菜)みたいなバランスが作用したのだろう、と僕は考える。

朝の時計代わり、の習慣はすっかり衰え、視聴スタイルも分散して、数字こそ20%前後に落ち着いたものの、『ゲゲゲの女房』(2010年)あたりから、ここ数年の朝ドラは割合と評判が良い。作品の良し悪しとは別のところで、民放各局の似たようなワイドショーの横並びに飽きてきたせいもあるだろう。そして、15分という短い尺の連続ドラマが、いまどきのリモコン(ザッピング)世代のセンスにまた合ってきた…なんて推理も思い浮かぶ。

(2013年8月12日 記)

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