日本人新郎が体験した台湾のびっくり結婚顛末(てんまつ)記・式典編
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僕は、2016年4月、台湾南部の町・台南で、地元育ちの女性と結婚式を挙げた。
占いで結婚式の日取りを決めたり、新婦方の親戚・友人に招待状と合わせて中華風ケーキを送ったりと、伝統的なやり方が根強く守られている現代台湾の結婚式だが、一方で結婚指輪を作るという西洋的な風習も欠かせないものになっている。それで僕らも宝飾品店で純金のペアリングを購入した。
ところが結婚式の前夜、その指輪を紛失するという事件が起きた。結婚写真の撮影以来小箱に入れたままで、その箱が家中の箱や戸棚をひっくり返しても見つからないのだ。結局、義父が純金の指輪を僕に贈ってくれた。この指輪にも、義父母からオーダーメードのスーツを贈ってもらった際に合わせていただいたベルトにも、DUNLOPのロゴが入っている。義父は30年以上車のクリーニングと中古車販売の仕事をしており、タイヤメーカーから贈られた高価な記念品をたくさん持っているのだ。ちなみに紛失したはずの指輪は結婚式から1年半ぐらいたってから、ひょっこり戸棚の中で見つかった。
時代とともに「伝統」も変化
時代の流れにつれて「伝統」も形を変えてゆく。「拍婚紗」(巨大な結婚写真集の制作)のように数十年前から一般化した習慣もあれば、徐々に廃れていく習慣もある。
これは台南で儀式用の紙人形「紙糊」を専門に制作している左藤紙藝薪傳の主人から聞いた話だが、昔は結婚式の前夜に新婦が男の子を抱いた観音菩薩の紙人形を枕に敷いて寝る風習があった。これには早く子宝が授かるようにとの祈りが込められている。しかし今ではこうしたことをしている人はほとんどいない。紙糊といえば葬式か道教の儀式に使うもの、というのが現代の一般的なイメージだが、昔は9割が誕生祝いや結婚祝いなどのめでたいことに使われていたそうだ。どうして廃れてしまったのか、と僕が尋ねると、「年寄りが若い者に教えてこなかったからさ」と主人は答えた。
結婚式当日の朝、日本ではヤクザが身につけるような純金の厚みのあるネックレスを義母が持ってきて、首に掛けるように言われた。初めは断ったのだが、伝統の装飾品だから、の一点張りで掛けさせられた。これにはどうやら妻が夫をしっかりとつなぎ留めておくための首輪という意味があるらしい。その後僕が他の人の結婚式に参加したときも、新郎が皆これを身に着けているのに気がついた。
僕と妻の家族一同は赤いリボンを巻き付けた黒の高級車に乗り、爆竹の音と共に発進して、会場の海鮮料理レストランへ向かった。台湾の結婚式はホテルやレストランの他、公民館や「流水席」と呼ばれる公道上に臨時にしつらえられた宴会場など、さまざまな場所で開かれる。初めて参加した結婚式は小学校の講堂だった。「いつもの服装で来ていいから」という友人の言葉を完全には信じ切れず、暑い中長ズボンと革靴を履いていったところ、会場でTシャツ、半ズボンにサンダル履きの人をたくさん見かけて後悔した。女性も普段着でノーメークの人が多かった。それで僕も以後の結婚式には毎回普段の服装、すなわち沖縄のかりゆしウエアに半ズボン、サンダル姿で出席している。
妻の妹と弟が名簿への記帳係をしてくれた。出席者から「紅包」と呼ばれる赤いご祝儀袋をいただくなり、その人の目の前で開封して金額を名簿に書き入れていく。相場は僕が住んでいる台南のような地方都市の場合、新郎新婦の友人なら1人当たり1200元(1元3.7円)から2200元程度。日本とは逆で偶数が良しとされ、6が一番好まれる。ただし4は日本と同じく発音が「死」に通じ、8も「別」と同じ発音なので避けられる。また白は葬式を連想させる色なので、日本のご祝儀袋はほぼ使えない。
式には名士を招待し、料理はぜいたくに
一方で純白のウエディングドレスは台湾の女性にとっても憧れの的なので、一概に白が忌避されているわけでもないようだ。
結婚式場には大きなスクリーンが設置されていて、新郎新婦の写真や映像が繰り返し流れる。参加者はそれを追って見ていくことで、まるで映画を見ているように、2人の幼い頃からの成長の記録や、交際の過程が分かるようになっている。僕らもかなり時間をかけて写真を選んだ。僕が子供の頃に台湾を旅行した時の写真や、台湾での生活フォト、2人で阿里山や緑島に旅した時の写真など。いたずら心で、髪もひげも伸ばし放題にしていた16歳の時の写真を混ぜたら、けっこう受けていた。
台湾では結婚式に地元の名士を招待する慣習があり、この日は地元の政治家である郭國文氏、林燕祝氏、姜金堂氏、台日友好交流協会理事長の郭貞慧氏が壇上で祝辞を贈ってくださった。民進党の人も国民党の人もいるが、義父によれば顔見知りなので問題はないという。皆ご祝儀まで包んでくれたといって感心していた。
豪勢な料理を盛った大皿が次々に各円卓へ運ばれる。カラスミ、おこわ、鶏を丸ごと煮込んだ漢方スープ、煮込み魚、大きなゆでエビなどが定番だ。鶏は台湾の言葉で「ゲ」というが、これは結婚の「結」および「家」と同じ発音なので、切らずにお客に出される。魚は「餘」に通じ、「余るほどの富」を象徴する。赤はめでたい色の代表なので、エビや唐辛子も好まれる。義父は料理の内容を基準にこの会場を選んだそうで、後日多くの友人たちも口々に料理の豪華さを褒めたたえていた。
残念ながら僕は「敬酒」で各テーブルを回っている間にかなり時間が過ぎてしまい、ほとんど口にできなかったが。ちなみに台湾の宴会でアルコール類を一人で飲んでいるとムードが盛り上がらない。誰かがグラスを掲げた時に、周囲の人々と祝福の言葉を掛け合いながら飲むべきものだ。
式が忙しいのも、家族のつながりが強いから
式の進行は僕の友人たちに全面的に協力していただいた。茶人でありピアニストでもある黎瑞菊さんに司会を、普段台北101のレストランで演奏されている葉昶氏に伴奏を、プロのカメラマンである蔡宗昇氏と林太平氏に撮影を、それぞれお願いした。作家の一青妙さんからも祝辞をいただき、イラストレーターの佐々木千絵さんに代読してもらった。
出し物としては、台南の有名なティーショップ「奉茶」のオーナーであり詩人でもある葉東泰氏が僕らのために書いた詩を読んでくれ、また「囍」の字が書かれ、中に茶葉の入った青花磁器を贈ってくださった。ふたは赤いシールで封がされているのでこれを「封茶」という。一種のタイムカプセルのように、何十年もたってから開けて中の茶を楽しむものだそうだ。他にもプロのビリヤード選手として活躍されている北山亜紀子さんにカーペンターズの歌を歌ってもらい、ぼくも沖縄三線で「涙そうそう」と台湾民謡「望春風」を歌った。最後にヤマサキタツヤさん、青山京子さん、いいあいさん、佐々木千絵さんと、プロのイラストレーターが4人も日本から参加してくださっていたので、会場の皆にジャンケンをしてもらい、勝ち抜いた4人に彼らが似顔絵を描いてあげるという余興も行った。
こうした出し物は台湾ではほとんどないので、皆さんに楽しんでいただけたようだ。この日の模様は佐々木千絵さんの著書『LOVE台南』(祥伝社)でもリポートされている。
僕らが経験した結婚式までに至る一連の過程は、ある程度、普通よりは簡単に省略した形ではあったが、それでも毎日目が回るほどの忙しさだった。もしも何から何までしきたり通りに進めようとしたら、気が遠くなるような時間と労力を要するに違いない。両家の家族が総出で取り組まなければできないことだ。古い伝統が今もなお生きているのは、家族同士のつながりが日本よりもずっと緊密な台湾だからこそなのだろう。
将来、妻の妹か弟が結婚すると時は、きっと僕の時よりももっと正式な形で進められることになるだろう。それに参加するのが今から楽しみだ。機会があればまた続編として報告したい。
バナー写真提供:大洞 敦史