「台湾料理」は何料理?

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大岡 響子 【Profile】

宴会中華料理としての出発

提供:大岡 響子

台湾料理を教科書的に説明すれば、17世紀以降福建省南部の泉州や廈門から台湾へ移住してきた閩南系の人々の郷土料理がもととなり、台湾の風土や食材に合わせて変容したものだと言われている。『面白い台湾』の永島や『台湾料理之栞』の林らが料理を食べたのは、その当時多くの日本人が訪れた酒楼と呼ばれたいわゆる料亭だったはずだ。というのも、当時の出版物を手掛かりに考えてみると、台湾料理は中華料理のいずれかの系統に属する、あるいは類するものだと紹介されていて、そうした料理が並んだのは一般家庭の食卓ではなく、酒楼の宴会においてだったからである。酒楼で供された宴会料理を通じて、当時の日本人たちはさまざまな系統の中華料理に接していた。

1920年代以降、大いに発展した台北の飲食業界の代表格である江山楼の主人は、北京、広州、天津をはじめ中国大陸のさまざまな地域を訪れ、調理方法を学び、料理人も連れ帰っている。つまり、この頃からすでに台北では中国大陸の諸地域にルーツをもつ料理が楽しまれていたということになる。では、台湾料理とは、中国のさまざまな地方料理が集約された「中華料理」だと言ってしまっていいのだろうか。

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明治学院大学兼任講師。国際基督教大学アジア文化研究所研究員。専攻は文化人類学。植民地期台湾における日本語の習得と実践のあり方とともに、現在も続く日本語を用いての創作活動について関心を持つ。「植民地台湾の知識人が綴った日記」が『日記文化から近代日本を問う』(笠間書院、2017年)に収録されている。

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