「報道型ネットメディア」の課題とハフィントン・ポストのジレンマ

政治・外交 社会

前回の拙稿では、日本におけるインターネット選挙運動解禁に伴う課題について述べた。その最後に、政治家(立候補者も含む)から発信される情報が受け手の有権者に届く過程において、ネットメディアの役割が重要だと指摘した。ネット上に時々刻々と発信される情報の量はあまりにも多く、そのほとんどはすぐに埋もれてしまうし、有権者側がそれらの情報を収集することもまた困難になっているからだ。

有権者が投票行動のための判断を下すのに必要な政策・論点を整理し、多様な見方を提供する、報道の性格を持つネットメディアへのニーズはこれまで以上に高まるに違いない。(本稿では、そうしたネットメディアを仮に「報道型ネットメディア」と呼ぶ。なお、ここで言う「報道型ネットメディア」は、誰でもが何でも投稿できるプラットホームではなく、運営者がより主体的にコンテンツ制作に関わるメディアを指すものとする。)

しかし、日本において、企業・団体が運営する報道型ネットメディアの立ち上げ・育成・運営は厳しい状況にあると言わざるを得ない。本稿では、まずこのことについて書いてみたいと思う。

良質なコンテンツ制作と収益確保という難題

日本の企業・団体による報道型ネットメディアが直面している課題は何か。大きくは二つある。一つは、良質なコンテンツ制作(および、そのための人材確保)だ。オリジナリティーがあって、ウェルメードなコンテンツを制作するためには、スキルと専門知識を持ったスタッフが一定数必要だ。しかし、どこかのメディア企業に新卒で入社すると、定年まで勤めあげるのが一般的なキャリアパスである日本では、メディア間の人材の流動性はかなり低い(新聞の発行部数減少が指摘されて久しい現在でもだ)。

さらに、テレビ・新聞といった既存メディア企業の給与水準は相対的に高いため、同等の給与水準でネットメディア運営企業が人材を確保することが難しい状況にある。また、既存メディアとは違い、全国津々浦々にスタッフを配置することはもちろん、若い人材を教育していくための体制も不十分だ。

二つ目は、収益の問題だ。現在、大半のネットメディアは記事閲覧を無料とし、掲載された広告によって収益を上げるモデルだ。このモデルでは、広告のクリック数、ページビュー(閲覧)数こそが重要なファクターであり、特に閲覧数に限界のある政治・経済を中心にしたジャーナリスティックなメディアには困難が伴う。これは広告収入に依存するメディアや広告業界全体の課題でもあるのだが、良質なコンテンツやユーザーの存在だけで収益を確保するのは、短期的には難しい。また、近年、大手新聞社がネットでの記事閲覧を有料化しているケースがあるが、これも紙の新聞の購読料や広告収入という土台があるからこそ可能であり、ネット専業メディアが実現させるのはなかなか難しい。昨年12月の総選挙や今月の参議院選挙に向けたネット党首討論が話題になったインターネット生放送「ニコニコ生放送」の報道系番組も、娯楽系など全てのジャンルを通じた会員からの視聴料収入という土台があるからこそ運営が可能になっているのが現状であろう。

最近では、SROI(Social Return on Investment:社会的投資収益率=影響力や社会的価値を貨幣価値に換算して、投資からの収益を数値化する試み)といった新たな指標や、欧米では一般的な寄付に基づく運営の可能性も模索されている。だが、非営利団体が寄付をベースに運営する米国の報道型ネットメディア「ProPublica」のような取り組みは、日本ではまだ例が少ない。

良質なコンテンツが生み出せるからこそ顧客が付き、収益も上がるし、また人材確保とコンテンツ制作への再投資も可能になることから、以上の二つの課題は車の両輪である。どうすればその正のスパイラルに入ることができるのか、各社とも試行錯誤を続けている。多くのネットメディアでは、あえて一次ニュースソースの調達を諦め、オピニオン主体のコンテンツ調達に注力している。そして、これらのコンテンツ(記事)をいかに低コストで調達するかに腐心している。私たちが立ち上げ、運営している「BLOGOS」もそうだが、ブログ記事のアグリゲーション(集約・整理)型のネットメディアは、掲載される記事を個人ブログから賄っている。参加ブロガー(「書き手」)には、閲覧数に応じた報酬の支払いや、規模の大きなサイトに掲載されることによる拡散力をメリットとして提供しているのが特徴だ。

日本上陸「ハフィントン・ポスト」のジレンマ

「BLOGOS」のみならず、日本の報道型ネットメディアは、「書き手」を巻き込むためにさまざまな取り組みを行っている。先述の「ニコニコ生放送」は、もともとユーザーが自由に動画を投稿できるのが魅力だが、ここに文章もセットにして、なおかつ閲覧を有料化させる「ブロマガ」というメールマガジンのビジネスモデルに近いサービスを運営しており、ネットを中心に活動する論客も多数所属している。また、日本で最大のトラフィックを誇る「Yahoo! Japan」内の「Yahoo!ニュース個人」は、ヤフーと契約した個人の書き手が自由に記事を投稿できるサービスだが、今春から一部記事の閲覧を有料化させるなど、書き手への金銭的な支援の側面も強化している。私たち「BLOGOS」も、表彰制度を設けるなどして、書き手支援を模索しているところである。

そのような中、「ハフィントン・ポスト」日本版が5月7日にオープンした。編集長の松浦茂樹氏によれば、記事へのコメント欄――編集部による厳格なフィルタリングを経て表示される――を通じて、新たな言論空間の創出を目指すという。記事を書かないまでも、コメント欄に意見を投稿する読者をも広義の書き手とするならば、彼らのモチベーションをいかに確保するのか。世界各国に現地版をオープンさせている「ハフィントン・ポスト」は、サイトの知名度による拡散力があるからこそ、高名な書き手でさえも無償で寄稿するモチベーションの確保に成功できていると言っていいであろう。

しかしながら、本国・米国版「ハフィントン・ポスト」は、政治・経済の分野、ジャーナリスティックな分野から、エンターテインメントやゴシップなど、比較的軽めの話題にシフトしていることが指摘されている。書き手への還元のためにも、収益を上げようとすれば、広告の力学によって、ともすれば下世話な話題にも手を付けなければならないが、公共的な議論の場の提供といった「世間」(社会)にとってのメリットとのジレンマに陥る。一方で、コンテンツ閲覧を有料にしてしまえば、「買い手」である読者にとってのハードルが上がって、閲覧数は下がり、かえって収益が上がらないという状況に至る可能性もある。そのような状況の中での運営判断だろう。

「書き手」をいかに発掘し、支援するか

ここまで私が述べてきた、コンテンツと資金の調達という課題は、個人運営のレベルでは解決不可能ではない。実際にメールマガジンや電子書籍といったオンライン・パブリッシングを通じて資金を調達して、スタッフの雇用や取材活動に投資し、活動規模拡大に成功しているジャーナリストなども出てきている。しかし、彼らは既に一定の知名度や実績の裏付けがある人々であった場合が多く、それまで多くの人に知られていなかった書き手がネットを通して“発掘”され、支援され、世に出て行った、というケースは少ない。書き手の発掘作業は、いまだ出版社の方が活発だが、報道型ネットメディアは、ここに主体的に取り組んでいく必要があるように私には思える。文学賞・論壇賞授与や出版物への頻繁な掲載を通じて、編集者が書き手と伴走していく出版社のモデルに学ぶべき点も多いかもしれない。

「ハフィントン・ポスト」日本版は、今のところは政治・経済の分野、ジャーナリスティックな分野に軸足を置いているように思われるが、書き手は「Yahoo!ニュース個人」や「BLOGOS」との重複も多い。サイトの特徴の中心に据えているコメント欄も、書き手の記事があって初めて議論を始めることができるし、言論空間の創出も可能となる。「ハフィントン・ポスト」がどのように書き手を発掘していくのかが注目されるし、われわれ「BLOGOS」も含めて、報道型ネットメディアが書き手支援をどのような形で行っていくべきか、真剣に考えていかなければならないだろう。

メディア、読者、書き手の「三方良し」

日本の商人の間で18世紀から唱えられてきた理念に、「三方良し」というものがある。売り手と買い手だけの関係性だけでなく、「世間」にとっても何かしらのメリットがなければならない、というものだ。報道機関には、そもそもこうした公共性が求められることは論をまたないが、特に報道型ネットメディアを取り巻く現状では、「売り手」(メディア)、「買い手」(読者)はもちろんのこと、「世間」のうち、コンテンツを提供してくれる「書き手」のメリットにも細かく配慮した運営を行い、それらをバランスさせなければ、5年先、10年先を見据えたサイトの運営はおぼつかないのである(自戒も込めて)。

次回は、本稿では詳しく触れなかった「良質なコンテンツの確保」を、アジェンダ・セッティングの観点から、ネット選挙運動と関連付けて掘り下げてみたい。

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