『邱飯店のメニュー』の哲学

社会

邱さんと私

邱 永漢 さん
1924年、日本統治下の台湾・台南で、台湾人の父と日本人の母の間に生まれる。旧制台北高等学校、東京帝国大学経済学部卒業。大学卒業後の1946年、台湾に戻ったが、中国国民党政府に対する台湾独立運動に関与し、1948年に香港に亡命。その後、再び日本に移り、1956年に亡命生活を綴った小説『香港』で直木賞を受賞して以来、作家、経済評論家として活発に執筆・講演活動を行った。ビル経営などの事業を自ら手掛け、ビジネスや投資に関する著作で人気を集めた一方、食文化や日中文化比較のエッセーでも広く知られた。(写真提供=産経新聞社)

邱永漢さんが5月16日に永眠された。その生涯は、高速で回りつづけた独楽に似ている。ひとの何倍も先が見える目、よく動くあたま。著書450冊、年間講演回数200回、年間120回飛行機に乗って東京、台北、香港、上海、北京、成都を巡回。88歳で独楽は止まった。

編集子が最初に邱さんに会ったのが1983年。書籍から雑誌編集に異動になってすぐ、邱さん担当をひきつぐことになった。邱さんと長谷川慶太郎さんがホストになって、毎月どなたかゲストを招いてお話をうかがうという連載シリーズ。最初は熱海に住む投資家・是川銀蔵氏だったと記憶するが、ほかにヤマト運輸の小倉昌男さん、大和證券の千野冝時さん、三楽オーシャン(現メルシャン)の鈴木鎮郎さん、富士通の山本卓眞さん、ミツカン酢の中埜又左エ門さん、さらには三星(サムスン)グループ会長の李秉喆(イ・ビョンチョル)さんなどそうそうたる方々。だいたいは邱さんの人選で、いっぽん連絡も入れてくれている。

この連載は2年で終わるが、その後も「中国人と日本人」の連載や、李登輝さんのインタヴューやで、邱さんとの仕事上のおつきあいはながく続いた。いただいたご本も数知れない。お金もうけや株の本は編集子にはあまり縁がない。好きなのは『邱飯店のメニュー』という、最初にいただいた本である。

「邱飯店」の心遣いと知恵

邱さんの食べ物に関する本で有名なのは『食は広州に在り』だが、この『邱飯店のメニュー』も捨てがたい。邱さんが客人を自宅に招いてご馳走する、その顔ぶれとその日の料理の話なのだが、戦後日本の文化・経済の裏面史といったおもむきがあってなんとも面白い。邱飯店最初の客となったのは、佐藤春夫氏夫妻、檀一雄氏らで、それが昭和29年9月。以降、懐かしい文人墨客の名前がつぎつぎと出てくる。いや、出てくるのは涎もおなじ、千変万化の菜単がくりだされて尽きないのである。

この本にこんなくだりがある。「・・・何回も来る人に同じ料理を出していたのでは芸がなさすぎるし、かといって全部ガラリと変えてしまったのでは、せっかく前に食べた料理を楽しみにして来てくれた人に悪い(中略)。私の体験からすると、前回来たときのメニューを半分くらい変えると、楽しみは倍加するように思う」。

なんの変哲もないあたりまえのことのように思う。だが、われわれは日頃(編集子などは毎食時)こんなことを考えているはずだ。なにか新しいものを食べたい、でも「あの味」も食べたい。分かっている確実な満足をとるか、失敗するかもしれないが新しい扉を開けてみるか。どちらを選んでも、選ばなかったほうに気持ちが残る。

両方を満足させる解決策、邱さんの心遣いから生まれた知恵。旧知にも会えるし、新知にも会える。新知にはこころが躍るし、旧知の好さはさらに「倍加」する。一週間の旅行ができるなら、半分は新しい土地、半分はまた行きたいところ。いやいや話をひろげ過ぎてはいけない。さて、〈今日のわたしに、わたしは何をたべさせようか〉。

(2012年6月8日 記)

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